第205話 兄上様は塩対応

 眼前には、とても急造したものとは思えぬ、しっかりとした城壁が聳えている。


 基礎部は石材で組み上げ、そしてその上部は焼き煉瓦をきっちりと積み上げてこさえた、堅牢な造りである。壁の厚みも実に申し分ない……おそらく煉瓦壁を二枚造り、その隙間に砂か土を詰め込んでいるのだろう。投石機で一発二発ヒットしたところで、崩れるものではなさそうだ。


「おいおい、こんな本格的なものを敵が作っている間、黙って見ていたって言うのか?」


 ファリドはもはや、呆れるしかない。


 こんなカチカチに硬い砦を造られては、攻略には数万の兵と大規模な攻城部隊が必要になる。そして、砦の安全が確保されればカルタゴは次々と人員や物資を送り込み……益々潰すのは困難になる。いや、それで済めばいいが……この砦が巨大化したら、アレキサンドリアの貿易港機能は麻痺し、最悪は街の失陥につながりかねない。


 だからこそ、砦が本格的な防御力をつける前に、多少の犠牲を覚悟してでも全力で叩き潰さねばならなかったのだ。何だかんだ理由をつけて出兵を止めたという阿呆な貴族どもには怒りを禁じ得ないが、結局のところそういう口だけの連中を重用し、言うことを聞いてしまったアスランが、無能ということなのだろう。


「いや、兄は実に有能だ。政治的に自分の味方を増やし、数の力で権力を我がものにすることについてはな。その手腕は、まったく俺にはないものだからなあ」


 呆れるあまり思わず思考が口をついて出てしまったらしい。隣で聞いていたムザッハルが皮肉のたっぷり利いたフォローを入れる。


「まあ、こんな物騒な砦を放置しておくわけにはいかない。早く兄のところへ向かい、攻略の指揮権をもらわねばならぬな」


 脳筋らしくスパッと割り切ったムザッハルの言葉に、一つ大きく息を吐きつつファリドもうなずいた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「我が軍を今、敵の砦に向けるわけにはいかぬ」


 アスランの発言に、眼を丸くするムザッハル。彼の後方に控えるファリドも、予想しなかったレスポンスに驚いている。


 弟に戦功を挙げられては何かと困るアスランであるが、いくら何でも砦を攻略、破壊せねばならないという認識は同じであろう。さすればムザッハルの伴った兵力をあてにして、その指揮権をよこせと言われるのではないか……そう予想し、対策も用意していたファリドにとっては、まさかの空振りである。


「いや、しかし兄上……」


 言い募ろうとするムザッハルに、取り巻きの貴族どもがああだこうだと兵を出せない言い訳を並べ始める。いわく、海上から市街に上陸せんとする敵を防がねばならぬとか、攻城戦で陛下から預かった大事な兵を失うわけにはいかないとか。


 こんな苦境に陥っているのもアスランの部隊が海上では突っ込みすぎ、陸上では引きすぎという二重の作戦ミスをやらかしているからなのだが、貴族ども、そして彼らに担がれた神輿であるアスランには、反省の色が全く見られない。


「では兄上は、俺にどうしろと言うのだ!」


「ふむ、お前は陛下から『敵の砦を攻略せよ』と命ぜられたのだろう。であれば、お前の部隊で好きに攻撃すれば良かろう……あれだけの大軍を率いているのだ、出来ぬとは言わせぬぞ?」


 確かに今回、ムザッハルは陸上戦から凱旋した兵の半分……一万五千の兵を率いて来ている。兵の数はもちろん多いが……アレキサンドリアに急ぐため足の速さを重視し、ラクダ騎兵を中心とした編成を組んでいる。だが言うまでもなく、騎兵は城攻めに向かない兵種である。城壁にこもる相手にはラクダ騎兵の速度も突進力も、役に立たないのだから。


「なるほど、では攻城兵器だけでも、お貸しあれ。あとは我々の兵力で、何とかしよう」


「何を言っているのだ? それくらい自分で何とかするのだ。投石機は街の防衛にも必要だ、貸してやるわけにはいかんな」


 アスランが冷たく言い放つ。もはやこの皇子とその取り巻きは、物事の優先順位を完全に取り違えていると、ファリドは思う。敵に負けるより、弟に負ける方が嫌だとは、どういう腐った脳味噌なのだと。


「いい加減に……」


 耐えきれず爆発しそうになる皇子の袖を、ファリドがそっと引く。振り返った先に「軍師」の自信満ち溢れる表情があるのを見たムザッハルは、何とか落ち着きを取り戻した。彼は必要最小限の礼節を守り、砦の攻略にはアスラン部隊が一切干渉しないという言質を取るだけ取ると、胸に怒りの炎をメラメラと燃やしつつ、早々に兄皇子の前から退出した。


「くそっ、馬鹿兄どもめ……ファリド、あれで良かったのか?」


「ああ、奴らが攻略を、邪魔さえしなければいい。よく我慢したな、ムザッハル」


「しかし、俺の率いる部隊は、平地でのぶつかり合いなら最強だが、城塞を攻めるのは向いていないぞ」


「そうだな。だから、邪魔な城壁を壊してしまおう……もちろん、フェレの力でな」


 そう口にしながらニヤリと笑ったファリドは、いつもになく悪い顔をしていた。

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