第204話 貿易港アレキサンドリア

「すまぬ、あれだけ勝利に貢献してくれた後だけに、お前たちにはしばらくゆっくりと休んでもらおうと思っていたのだが」


「皇帝陛下の勅命とあらば出陣も仕方ないだろう。ムザッハルが戦わねばならないと言うなら、我々も行かねばならないさ、『友人』だからな」


 真底申し訳なさそうに詫びるムザッハルに、気にするなと手を振るファリド。


「……バドルの餌も十分あるから問題ない」


 ペットの餌とかそういう問題なのか、と突っ込みたいファリドであるが、こういうフェレのズレた反応は平常運転だ、深く考えるだけ無駄というものである。


 話題の仔象バドルは餌をたっぷりもらい、マルヤムが甲斐甲斐しく世話を焼いたお陰もあって、すっかり体力も回復している。戦象とは思えぬほど温和で、すっかり兵士たちからも人気を勝ち取っている。


 そして二日前からはその背中にマルヤムを乗せるようになった。戦闘用の象を乗用に変えるのは非常に困難とされているが、バドルはマルヤムが黄金色の視線を向けると、乗ってくれとばかりにぺたんと地面に腹ばいに座り込むのだ。そして手綱すらつけていないというのに彼女の望みにしたがって、嬉しそうに歩き回っているのだ。最初はハラハラしていたフェレも、すでにそれを日常の光景として受け入れている。


 そしてテーベの兵たちも、象の背に乗る魔族少女を、すでに当たり前のように受け入れている。魔族を決定的に忌避する宗教文化がないことも幸いしているが、彼女の保護者たる『軍師』『女神』が信じられぬ大勝を彼らに与えたことが、その娘に対する好意につながっているのである。


 少女にしては低い声ではしゃぐ愛娘の姿を微笑ましく眺めつつ、ファリドがムザッハルに港町の戦況を確認する。


「アレキサンドリアに上陸を許したっていうのは本当か?」


「ああ、俺も耳を疑ったが、間違いない」


 港町アレキサンドリアは、テーベの海上交易を一手に扱う、大貿易都市だ。経済規模だけならば、帝都をしのぐ。今回カルタゴとぶつかるにあたって、常駐軍五千に加えアスラン率いる一万が加わって、「ひたすら守って損害を出来るだけ出さない」ことがミッションであったはずだ。


 テーベの海軍力はカルタゴに劣るが、港にこもり陸上の砦と連携しつつ戦えば、決して負けはしない……面白みはないが「やらかし」もない戦いのはず。それゆえアスランは本来自分が指揮すべき陸戦をムザッハルに押し付け、「簡単なほう」である港町防衛任務を取ったのだが……敵の上陸を許し、あまつさえ拠点を造られるとは失態も極まるというものだ。


「アスラン兄は、カルタゴに海戦を挑んだようでな」


「艦の数では負けていても港の中でなら、勝てるだろう? 狭い港では全艦投入はできぬし、港を見下ろす砦からは、投石やバリスタで援護できるはずだ」


「そこが兄の愚かなところで、港を出て外海で戦ったのだと」


「それは……馬鹿としか言いようがないな」


 押し寄せたカルタゴ軍のガレー船は、千隻超だったという。対するテーベ軍は五百隻弱、陸上戦力の助けを借りてようやく凌げる程度の戦力差だ。だがアスラン皇子は、砦からのバリスタ攻撃が奏功し数十隻を沈めて撃退したことに高揚し、あろうことか敗走する敵を外海まで追撃させたのだ。もちろんそこには、無傷の数百隻が待ち構えていて……アレキサンドリアの海軍は、緒戦であえなく全滅した。


 その後の海上は、カルタゴ軍のやりたい放題。すでに火砲の技術は失われて久しく、ガレー船からの攻撃は精々バリスタか投石機程度だが、海に面した施設は危険になった。


「危険なエリアから兵を撤退させるところまではまともだが、敵の上陸を阻止するための哨戒まで減らし始めてな……」


 そしてある夜、敵はアレキサンドリア郊外で一気に兵力と物資を陸揚げし、夜を徹した作業を敢行し仮設の砦を構築したのだ。慌てて兵を出したものの防壁が一度できると守る側は強い。ずるずると日が経ち、砦はどんどん強化され……いまや八千の兵が立てこもる立派な拠点になってしまっているのだとか。


「ファリドなら、どう戦う?」


「砦を見つけた初日に、全軍を投入してでも潰しにいくだろうな。まあその前に、海の王者カルタゴに、正面からの海戦など挑むわけがない」


「まあ、そうなるよな。軍事の専門家なら、そうする」


「アスラン殿下の陣営には、軍事のアドバイザーがいないのか? ムザッハルにとってのラージフ殿のような?」


「もちろん、軍のベテラン将帥が策を献じているはずだ。だが、取り巻きの貴族どもがああだこうだと持論を振りかざして、助言しても取り上げられないようでな」


 ファリドは、暗澹とする。後継者最有力の皇子がこのように愚かな軍事的敗戦を繰り返していては、ムザッハルがいくら勝利を積み上げても水の泡と言うものだ。


「このままでは、どんどん敵の拠点が強化され、アレキサンドリアの機能は完全に麻痺してしまう。兄に対し思うところはあるが、砦だけは陥とさねば」


「そうだな。俺たちにできることは協力するさ」


「……砦攻めは得意かも。任せて」


 いつも戦いを前にすると仏頂面を動かさないフェレが、珍しく口角を上げた。

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