第203話 予期せぬ転戦
ムザッハルは、そのままの勢いでテーベとカルタゴを隔てていた小国に突入し、破竹の勢いで降伏に追い込んだ。ここに関してフェレとファリドは指一本すら動かさず、ただついていっただけである。
大国に挟まれた小国の悲哀とはいえ、カルタゴの前線基地を受け入れ、協同してテーベに牙をむいたのだ、無事で済まされるはずもない。王家の者たちは拘束されて、帝都に連行されることが決まる。完全に滅ぼされるか衛星国として辛うじて存在を許されるかは、絶対権力を握る皇帝の胸一つであろう。
「よし、ここまではっきりと戦功を上げれば、兄アスランも文句は言うまい」
「御意にござる。今回は兵の損失も極めて少ない中での大勝利、宮廷における殿下の発言力も、いや増しましょうぞ。まあこたびは『軍師』と『女神』がいまいましい象どもを一掃してくれたことが、最大のポイントでござったが」
「うむ。あの二人の功には、厚く報いるよう皇帝陛下に申し上げねばならぬな。思えば俺は、敗れた悔しさを拭いきれず、最初は随分無礼な振る舞いをしてしまった。それなのに彼らは、勝てば俺の功績になるこの戦に、全力で協力してくれた……改めて、礼を言わねばならぬな」
「もっともなことでござる」
空前の大勝利を挙げたムザッハルは、ご満悦である。そして彼なりに、ファリドたちに何を褒賞として与えるべきか、悩み始めている。短気で直情的であるが、基本真っすぐな性格の彼は、今や二人を盟友として認めていた。彼らのなしたあまりに巨大な貢献に、ぜひ応えねばならぬと真剣に考えているのである。
テーベの勲章などもらっても彼らには何のありがたみもないであろうし、抑留されている国の爵位や肩書などもらっても困るだけだろう。美女などを贈ればフェレのクールフェイスがさらに凍り付くだけであろうし、そうなるとやはり金銀か……だが、彼らの暮らしぶりは基本的に質素なのだ。金目のモノを与えても、貯まるだけのこと。
「やはり、イスファハンに帰してやらねばならぬか……」
「いかさま、左様にござる」
老軍師の短い同意に、深いため息を吐くムザッハルである。
ファリド達が望んでいることは、イスファハンの故郷に戻り、軍事だの政治だのという厄介なものにわずらわされぬ静かな生活を送ること。それは何回も彼らと杯を交わし語らううちに、これでもかというほど良くわかってきた。だが数百年来の敵国、かつ東の強国であるイスファハンが再びこの英雄たちを得れば、テーベにとって大きな脅威となるであろう。そして何よりも、皇子たる自分に対して卑屈になることなく対等に付き合い、語り合ってくれる友を失うことが、惜しくなってきているのだ。
「実に、実に残念だが……彼らに喜んでもらえる謝礼は、それしかなさそうだ。陛下には、その旨お願いせねばなるまいな。そうだ、ハディードにも口添えを頼むとするか」
そんな奏上をすれば、弟たちのやることなすこと何かイチャモンをつけずにいられない長兄アスランが、待ってましたとばかりに反論してくるだろう。論戦になってしまえば、ムザッハルは弱い。冷静で理知的、そしてファリドたちとも深い友誼を結んでいるらしい弟皇子の力も借りて、なんとか二人への恩を返したい。脳筋皇子は、そう結論付けてこぶしをぐっと握った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うむ、ムザッハルよ。お前の活躍、すでに聞き及んで居る。見事なものであった、この戦終わりし暁には、重く賞するであろう……だが、なぜお前は我が命に従わず、帝都に来たのだ?」
「は?」
帝都宮殿、謁見の間で、ムザッハルが口をポカンと開けて固まっている。
「あ、兄上!」
「はっ……へ、陛下……陛下の命令とは、如何なるものでありましょうや?」
ハディードが慌てて促し、我に返ったムザッハルが反問する。
「お前は、聞いていないと?」
「はっ、勅令を違えるとは万死に値する不敬の行いながら、全く初耳にて……」
「陛下! ムザッハル兄は陛下の命を知りつつ懈怠するような男ではございません、何か間違いがあったものと……」
にわかに冷気を帯びた皇帝の言葉に、冷や汗を背中に流しつつムザッハルがやっとの思いで言葉を返せば、弟も必死で弁護する。その様子をみて皇子たちに逆意なしとみたものであろうか、皇帝の表情がふっと緩む。
「ふむ、そのようだな」
「して、兄上に下された勅命とは?」
「帝都に復命する必要なし、直ちに港町アレキサンドリアに向かい、上陸したカルタゴ軍を撃退せよというものだったのだが……」
「は?」「なんと?」
二人の皇子が途方にくれるのを見て、皇帝もさすがに説明の要を感じたらしい。
概要はこうだ。本来自分が撃退すべき最強のカルタゴ戦象部隊を弟に押し付けたアスランは、代わりに港町アレキサンドリアの防衛を任されたが、一方的に押しまくられたあげく上陸を許し、郊外に拠点まで造られてしまった。報告を受けた皇帝はやむを得ず、陸上戦で大勝したムザッハルの部隊に応援を求めるようアスランに命じたのだが……
「すると、アスラン兄がその命を、俺に伝えなかったのか……」
「そのようだな」
皇帝が眉間にしわを寄せる。どうやらテーベ皇子の兄弟仲は、国益を損なうレベルまで悪化しているようであった。
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