第202話 犬じゃないんだから
「いや、ちょっと待てマルヤム。犬や猫ならともかく、帝都の館で象は飼えないだろ」
「どうして? 屋敷のお庭は広いよ? この仔は賢いから、塀の外に出たりしないし」
「餌だって大変だ、象ってのは身体が大きいから、草や小枝を山ほど食べないといけないんだぞ」
「だったら庭をお花じゃなくて、草や木で一杯にすればいいよ。足りない分は、私とお爺ちゃんが毎日採ってくるから」
ファリドとフェレの言うことにはすべて二つ返事でうなずいていた典型的「良い子」のマルヤムが、今度ばかりは頑強に言い募る。
これが仔犬でもあったならば「世話はちゃんとするんだぞ」と父親が威厳たっぷりに諭した後はめでたく……となるのだろうが、帝都のど真ん中で象を飼うと言われれば、胆力には自信のあるファリドもさすがに父の度量を簡単に示すわけにはいかないのだ。
「いや、しかしだな……」
「……リド、なんとかしてあげて」
「おい、フェレ!」
傍らに立つフェレにまで裏切られ、ファリドはいつしか孤立無援に追い込まれていく。
「……街で、それも敵国の真ん中で象を飼うなんて無茶だってこと、もちろんわかってる。ムザッハルやハディードにも、迷惑をかけてしまうかも知れない。だけど、今までろくなおねだりもしなかったマルヤムが、初めて本気で欲しいって言ったのがあの仔なの。私は、願いをかなえてあげたい」
「そ、その気持ちはわかるんだが」
「……ねえ、リド。きっと帝都に帰ったら、ムザッハルだけじゃなくて私たちにも少しは、ご褒美がもらえるよね。それを全部断って、象だけが欲しいって言ったら、ダメかな?」
「うむ……」
何かとフェレには甘い、ファリドのことである。彼女の懇願に、そういうやり方もありかも知れないなあと考え始める。
実際のところ、彼らがほとんど二人だけで敵主力の戦象部隊を無力化したことが、今回の勝利を決定づけたことは、疑う者はいないだろう。重い恩賞を与えないわけには行かないが……それが戦利品の象と、その餌を支給する位で済ませられるとなれば、テーベの帝室もいっそ喜ぶのではないかと。
「うむむ……ムザッハルに話してみようじゃないか」
「……やっぱりリドは優しい、そう言ってくれると思ってた」
「やった、父さん母さん、大好きっ! ねえねえ象さん、君は今日から、うちの仔だよ! そうだ、名前を付けてあげる……バドルなんて言うのはどうかな、満月って意味なんだよ! ね、いいでしょ、バドル!」
興奮で白い頬を紅潮させて話しかけるマルヤムに、仔象がまた一声、今度は力強く鳴く。こうしてなし崩しに、ファリド一家に新しい家族が増えたようであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「さすがは我が友だ! 『軍師』と『女神』の力、惜しむことなくわが軍の勝利のために披露してくれたこと、感謝しかない!」
ムザッハルがファリドの身体を、がしっと抱き締める。男同士が抱き合う姿はイスファハン人からするとちょっと異様だが、テーベでは普通の友情表現であり、特別な意味はない。
彼が大げさに感謝の言葉を並べることは、当然のことである。フェレが現出させられる超絶魔法を見せるということは、将来イスファハンの切り札になる戦術をテーベにバラすということになるのだ。軍事的にはたいへんよろしくないのだが、ファリドとフェレは、惜しげもなくそれを使い、ムザッハルにとって最大の脅威であった戦象を無力化してくれたのである。どれだけ賞賛しようが、足りるものではないのだ。
「まあ、今回の作戦は、フェレの力技だったからな。『軍師』の知恵など必要なかったわけさ」
むしろ、フェレの展開する砂の膜が、どれだけの負荷に耐えられるのかを知るという目的をもって、象を二千頭支えるなどという荒技を提案したのである。もちろん、フェレが限界を迎える場合も想定して次善策も準備していたファリドだが……幸いにして使わずに済んでいる。
「……力技、本当にそう、さすがにキツい。これがなかったら、危なかったかも」
そう言いつつフェレが大事そうにさするのは、カシムから譲られた、魔銀の腕環。かつてのテーベ王女が所有していた、術者の魔力効率を増幅してくれる、国宝級の魔道具だ。
「頑張ったな。これからはもう少し負荷を下げて戦うことを考えよう」
ファリドのねぎらいに、またへにゃりと仏頂面を緩め、少し頬を染めるフェレ。もう何度も繰り返される、安定の反応である。
「まったく仲の良いことだな。俺もそろそろ妃を迎えたくなってきた……それはそうと、こたびファリドたちの功は巨大だ。これだけ画期的な成果を出したのだから、皇帝陛下も厚く賞するだろう。何が欲しいんだ? 多少のものだったら、俺が口添えするぞ?」
「ああ、それならもう決まってる」
「ふむ、何だ? ファリドは爵位持ちだからそういうものはいらんだろうし、そうなるとやはり金貨かな」
「いや……あの象をくれ」
「はあぁっ?」
唖然とするムザッハル。さもあろう、敵主力を二人でぶっ潰して、褒美がはぐれ象一頭……
「……マルヤムが欲しがってる。それだけで、私たちにとっては十分な理由」
安定の仏頂面でぶっきらぼうにそんな言葉を吐くフェレに、この皇子は呆れたような表情で、ただ首を振るだけだった。
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