第206話 砦を攻めましょう
「……今から行って、燃やそうか?」
「いや、フェレが言うと本当にやりそうだから……やめような」
皇子アスランとのやり取りを聞いたフェレの反応である。表情を変えずに静かに怒っているのだが、こういう時の彼女は本当に怖いということを、ファリドは知っている。
「それより、眼の前にある砦を壊して、馬鹿皇子の鼻をあかしてやる方が、面白いだろう」
「……うん、そうする」
ファリドが左手でフェレの髪をくしゃりと軽くかき回すと、彼女は撫でられた犬のように表情をへにゃりと崩し、気持ちよさそうに眼を閉じる。
「あとはあの皇子が、作戦が成功した後、しれっと功績を横取りしないかってことだな」
「ファリド殿、そこは御心配なさらず。我々が見ておりますから」
どこまでも小ずるいアスランに、ファリドが警戒するような言葉を吐いたところに、背後から声を掛けてきた者がいる。いかにも文官といういで立ちの、二人の男だ。
「ハディード殿!」
「我が父も、テーベ帝室伝統の脳筋ではありますが、馬鹿ではありません。今回の戦では功を偽る者が出るかも知れないと、私と彼を軍監として差し向けたのですから」
軍監は支配者の意志を受け、戦の功績、兵の士気、指揮官の忠誠などを見極める役割を果たす。ハディードが来たことに少しの驚きはあるが、絶対権力者が前線に軍監を送り自らの耳目とすることは珍しいことではないのだ。
「ああ、私が軍監などに任じられている理由ですね。簡単です、父は私を、権力争いに興味がない人物とみなしているからですよ。一緒に派遣された彼も、似たようなものでしてね」
ハディードも皇位継承権はまだ保持しているはずだが、父たる皇帝は彼が文官を志している時点で、皇位への欲望はないとみなしているらしい。尚武の国であるテーベではそれが一般的な見解であり、貴族たちもそう思っているだろう。
ハディードは内心でムザッハルを支持し皇位につけたい希望を持っているが、それを悟らせないようアスラン派の大貴族とも親しく交わっている。皇帝も彼の思いには気づいていないようだ。
「まあそんなわけで、良い見届け役として便利に使われているわけです。私は軍事に明るくありませんので、事実だけを陛下にお伝えしますよ。アスラン兄が海戦で深追いし多数の艦を損ねたこと、そして敵が拠点を築く間それを妨げなかったこと、すでに調査裏取りが済んでいますので、当然報告します」
だから、あとはムザッハルに功を立てさせるだけだぞ、とハディードの眼が語っている。その意を汲んだファリドは、静かにうなずく。
「しかしあの砦、思っていたより堅牢ですな。そして失礼ながらムザッハル殿下の軍勢は野戦部隊、城攻めが不得意なのは明らか。ここのところ名高い『軍師』といえど、攻略には手を焼くのではありませんかな?」
もう一人の軍監である年嵩の文官が、疑問を呈する。彼はアスランが攻城兵器を貸し与えなかったことに疑問と義憤を覚えているらしい、きちんと振る舞って戦果を出せば、ムザッハルにとって良い報告を上げてくれるだろう。彼の好意を確実なものとしておくため、ファリドは少し種明かしサービスをしてやろうという気になる。
「敵の砦……いやもう半ば城塞とでも言うべきでしょうか。非常に分厚く高い城壁に守られています。あれがある限り、力攻めすれば兵を損ずるだけ」
「いや、まったくその通り」
「ですから、あの城壁を壊すしかないでしょうね」
「なんと?」「どうやって??」
ハディード含めた軍監二人が、驚きの声を上げる。さもりなん、石積みと煉瓦、さらに砂まで組み合わせた重厚な城壁を、この若者はあっさりと「壊す」と言ってのけているのだ。
「無茶だ。投石機と破城槌を数十も揃えれば別だが、こちらは軽装甲の兵ばかり、壁に取り付いた瞬間に、城壁の上から射殺されるだろう」
「ええ、軍監殿のおっしゃる通り。ですからムザッハル殿下の兵は、壁を壊した後が出番になりますね」
「じゃあどうやって壊すと言うのだ、ファリド殿?」
さすがにハディードも、疑問を抑えられなくなったのであろう、声のトーンが一段上がっている。
「ご覧下さい、あの砦、どういう地盤の上に建っていますか?」
「そりゃあ、砂地だが……」
アレキサンドリアの街は、大河が運んできた細かい砂の上にある。そしてその郊外も、砂の大地。砂漠のような砂丘は形成されず、それなりに締まって平坦である。海から上陸したカルタゴ勢が「一夜城」を建設できたのは、整地にほとんど時間を要さないこの地盤あってのことなのだ。
「わかったぞ! 『軍師』がルード砦をほとんど無血で奪取したという、あの戦術ではないのですか!」
「あの戦術とは?」
「『女神』殿が砦の中にだけ大量の砂を降らせた、あれですよ!」
聞けばハディードは、イスファハンの内乱を智略と華麗な魔術で鎮めた二人の活躍譚を集め、既に誦んじているのだとか。その化け物じみた戦績とは似つかず野心のない二人に感心し……ようはファンになっているらしい。苦笑するしかないファリドである。
「ああ、今回その戦術は使えませんね。ルード砦の時、城内にいた兵の大半が、不満を溜めていた部族兵でした。それを煽るにはあれが有効だったと言うだけで。たった今あそこにこもっているのは、困難な建設を成功させ士気の高い兵たちです、砂を降らせたくらいでは、耐えてしまうでしょう」
「なるほど、では、どのように攻めます?」
「ええ、それは……」
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