第199話 無敵の戦象部隊

 カルタゴ主力部隊の前には、小高い砂丘が広がっている。事前の偵察情報には上がっていなかったものの、砂嵐の後に砂丘が消失したり出現したり、移動したりすることはよくあること。前日の砂嵐であちこち地形が変わってしまっている状況もあって、これを気にするものはいない。


 これまでずるずると押されるままに後退し戦おうとしなかったテーベ軍が、この日は激突に備え陣形を整えていることを見てとったカルタゴ軍は、やる気満々で突撃に向けた体勢をとっている。もちろんその先頭には、戦象部隊が立つのだろう。巨象の咆哮がテーベの陣にまで響き、びくっとする兵も多い。これまでカルタゴの戦象に、何度も戦友を吹っ飛ばされ、踏み潰されてきたのであるから、無理もないことである。


 とはいえ、こんな士気で勝利を得るのはおぼつかない。ようやく出番を得た脳筋皇子が、魔術師の「拡声」の術に乗せて、声を張り上げる。


「一同、聞け! 敵は戦象を前面に出し、我らの中央を突破せんとしている。戦象は確かに大きく、重く、そして強い。だが、恐れてはならぬ! こたびの戦には、力強い味方が馳せ参じてくれているのだ!」


「味方?」

「はて、何のことだろう」

「戦象部隊は最強だ、敵う奴なんているもんかよ」


 兵士たちがいぶかる中、ムザッハルはさらに声のトーンを上げる。


「諸君らも噂には聞いているだろう。先般のモスル戦役で、鬼神の如き術を振るい、我が軍を危うく敗退せしめようとした者たちのことを!」


「ああ、女神とかいう?」

「軍師ってのが凄いらしいな」

「捕らえたって聞いたがなあ」


 兵士たちももちろん、モスルとの戦で精鋭騎兵部隊が壊滅させられ、それが恐るべき智謀と信じがたい魔術で実現されたことを、口づてに聞いている。


「そう『女神』と『軍師』である! 彼らは勇戦し我が軍に大きな損失を与えたが、今はテーベの客人である。こたびの戦にて、テーベに理ありと認め、義をもって参戦を決めてくれたのだ! 我が精鋭たるラクダ騎兵一万余をこともなげに葬った彼らの人知を超える力が、今度はカルタゴの戦象に向かって振るわれるのだ! もはや象どもなど恐るるに足らぬ、そして戦象部隊の突撃なかりせば、カルタゴの兵など物の数ではない、諸君らの武あれば、一人で三人でも四人でも討ち取れよう!」


「そ、そうだな」

「何だかよくわからねえが、客人が象どもを片付けてくれるんだろう、それなら勝てる」

「テーベのラクダ騎兵は無敵だぜ!」


 単純で好戦的だが、カリスマと人気が取柄のムザッハルが演説すれば、兵士たちもその気になってくる。士気の盛り上がりを感じ取った彼が、まなじりを決して号令する。


「行くぞ者ども、いざ、進め!」


「おうっ!」「よっしゃ、行くぞ!」「勝つぜ!」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 一方対峙するカルタゴの陣では、にわかに勇ましく前進を始めたテーベ軍の姿に、やや戸惑いが広がっていた。


「さんざん逃げておいて……まだ戦う勇気があったのか」


 カルタゴの指揮官は豊かなあごひげをひと撫でし、暫時考える仕草をしたものの、それは長いことではなかった。決然として指示を下す。


「我々の作戦は変わらぬ、戦象部隊で敵の中枢を叩きつぶし、一気に蹂躙するのだ! 戦象部隊、前進せよ! まずは、前方の小高い丘を占拠するのだ!」


 この戦において初めて与えられた積極的命令に、戦象乗りたちも奮い立った。一斉に雄叫びを上げ、己が駆る象に鞭をあて、眼の前に広がる砂丘の頂上を目指す。


 地形の有利なところを先に確保すべしというのは、兵法の基本とされている。そして、高い場所が低いところに対しすべからく有利であるというのも、軍事に携わる者にとってまた常識である。カルタゴの指揮官が砂丘の頂上を確保せんと動いたのは、当然のことであった。象の重量が丘を駆け下るとき、それを止められる敵兵など、存在しないであろうから。


 そして砂丘の確保は、拍子抜けするほど簡単であった。テーベ軍は砂丘を避けて左右に別れて前進して来るが、砂丘の前に布陣している中枢部隊はまったく動く気配がなかったのだ。指揮官は、会心の笑みを漏らした。


「精強と言われたテーベ軍も、愚かになったものよ。これでは我らに、中央突破して分断せよと言っているようなものだ……勝ったな」


 だが、老練な指揮官は慎重を期し、すべての戦象が砂丘の頂上に集結するのを待った。数は力だ……二千の巨体が塊となって突撃すれば、敵がどんな戦術をとろうが撃砕できるはずと。


「戦象部隊揃いました、突撃準備完了です!」


「よし、全軍、とつげ……」


 戦の帰趨を決定づける命令を下そうとした刹那、指揮官は自身の体重がふわりと失われた、そんな錯覚に陥った。


 もちろん、そんなことがあるはずもない。次の瞬間に彼は、騎獣である象と自分が一体となって、落下していることを悟った。どういうわけなのか、戦象部隊が占拠した砂丘が、一瞬にして消失したのだ。支える地面が無ければ何でたまろう、象たちはなすすべもなく、重力の軛に囚われてゆくのだった。


「うわあぁぁ~っ!」


 戦象乗りたちの悲鳴が、戦場に響き渡った。

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