第192話 新生活

「ここが、当面お住まいいただくところになります」


 第三皇子ハディードが指し示す先には、イスファハン風の瀟洒な屋敷。虜囚を収容するにしては豪華すぎるが、国賓を迎えるような贅沢なものではない……そんな「いい塩梅」の邸宅だ。


「一年前までイスファハンの商人が住まっていたところですから、概ね必要なものはそろっていると思います。執事はこちらで用意いたしましたが、他の使用人などは、追々ファリド殿ご自身で選ばれた方がよろしいかと」


 高い皇位継承権を持ち、財務卿補佐の職位も持つと聞く皇子だが、まったく偉ぶるところなくまるで商人のように慇懃な態度に、さすがのファリドも戸惑い気味だ。


「皇子殿下にここまで直接のお世話をお掛けしてしまって、申し訳ございません」


「いえ、皇子と言っても、こんな武断の国で私に皇位が回ってくる可能性はありませんからね。殿下とかいう堅苦しい呼称はやめて、ハディードと」


「では、ハディード殿。ずいぶん用意が良かった気がするのだが……まるで我々が客人扱いされるのを、予想していたかのように」


 ファリドの疑問に、ハディードは人懐こげな笑みを浮かべる。笑うとなおさら、商人のように見える。


「ええ、予想しておりましたとも、陛下……父は強き者が大好きですからね。前線から伝わってくるお二人の活躍を聞けば、必ず一定の待遇を命ぜられると思っていましたよ」


 それにしたって、こんな高級邸宅を準備するには、それなりの期間がかかるはずで……この皇子の実務処理能力は、かなりのものだ。若くして高位の官僚として働いているのも、うなずけるというもの。残念ながら武術も用兵もからきしなのだと言うが、それでも外征が遺伝子に組み込まれているこのテーベ皇室で、内政能力だけを武器に皇位継承権を維持しているのだから、皇帝も彼の能力を高く評価しているのだろう。


「殿下は幼き頃より学問の道では抜きんでておられたのでござる。博覧強記とはハディード殿下のためにあるような形容でござってな、ファリド殿とも話が合うと思うのでござる」


 なぜかついてきた軍師ラージフが、まるで自分の息子のように自慢げに話すことを、ファリドは不思議に感じる。


「ハディード殿と親交が深いようですが、ラージフ殿は第二王子ムザッハル殿下の麾下にあるんですよね?」


「まあ、疑問に思われるのも無理なきこと。拙者はハディード殿下幼少の頃よりの専属指南役でござってな。本来であれば皇位争いにあたっては殿下を第一に推さねばならぬ立場であるのでござるが……」


「私が命じたのですよ。『ムザッハル兄につき、彼を皇帝にして差し上げよ』とね」


 なぜか歯切れの悪いラージフをフォローするハディードの言葉は、感情を抑えてはいたが、決然とした響きだった。


「武力を振るうのが不得意な私を、父帝が後継者に選ぶことはないでしょう。残るは長兄か次兄か……長兄は貴族の支持を取り付け有利な立場にいますが、彼の本質は疑い深く他人を信じず、金銭や権力で従わせるというもの。皇帝になったら国民がどんな目にあうか、容易に想像がつきます。一方次兄は短気で直情的ではあるが、正直で弱者への思いやりがあります。思考が足りない部分を私が輔けて差し上げれば、よき皇帝になれるでしょう。消去法ですが私は次兄ムザッハルを次の帝としたいのです。現在不利な彼が逆転するには、確固たる武勲を挙げる必要がありますが、彼は知恵袋を持っていない。そういうわけで……この国最高の『軍師』を麾下に送ったというわけですよ」


「まあその『テーベ最高の軍師』は、『イスファハン最高の軍師』に手痛い不覚をとってしまったわけでござるがの」


 重い決断をした経緯を、理路整然と語るハディード。ファリドの表情が曇るのを見てすかさず自嘲気味に混ぜ返し笑いをとるラージフの呼吸も、さすが長い付き合いである。


 いずこも後継者指名と言うのは難しいものだな、とファリドは独りごちる。イスファハンでは人品能力共に優れた長子を早くから王太子に指名していたにもかかわらず母の血統があだとなって、すさまじい内戦を引き起こした。一方テーベでは貴族の支持を集める長子に器量が足りず、皇帝は後継者を明確に指名できていない。


「そういうわけでござるゆえファリド殿、ぜひハディード殿下の相談にも乗って差し上げて欲しいのだ。ムザッハル殿下はまだ負けた悔しさで素直になれぬが、いずれ語り合う機会を設けさせてもらうゆえ、友誼を結んでもらいたい」


 それも悪くないかと、ファリドは考える。客分の身としてあまり派閥行動をするのはマズいが、第一皇子アスランが二人に抱く心証は、今日の謁見で最悪になっているだろう。ならばハディードやムザッハルと適当な距離感で友誼を結んでおいたほうが、フェレの生活をより安全にすることができるのではないかと。


「ぜひ、昵懇にお願いしたい」


 ファリドとハディードが、がっしりと握手を交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る