第191話 なんとかなった?

「兄上、それはなかなか難しいぞ」


「お前は何を言っているのだ? こ奴らは捕虜ではないか、生殺与奪の全権は我々の手にある」


「いえ、彼らは捕虜でなく、客人でござりまするゆえ」


 いきり立つアスランを、ムザッハルはぞんざいに、ラージフは丁重にあしらう。だが二人の反応とも、この尊大な第一皇子の血圧を上げるだけのものでしかない。


「お前らは戦で勝利し、こ奴らを連行してきたのではなかったのか?」


「いえ殿下、少々誤解がござりますな。確かに拙者どもはモスル軍を叩き潰し、主将メフランギス殿下を捕虜と致しました。妃殿下を解放する条件としてお二人に『我が陣においで頂く』ことを要求し、イスファハンがそれを容れたまでのこと。あくまで『おいで頂いて』いるのであって、捕らえたのではござりませぬ」


 ラージフの言いようはファリドたちを守るための詭弁であるが、同時に一片の真実も含んでいる。使者とファリドが約したのはあくまで文言上「テーベの陣を訪問する」ことだけなのだ。もちろん丸腰で敵の大軍に囲まれれば、普通の男女なら虜囚と変わらないと言えるのだが……残念ながらフェレは規格外品だ。彼女の超絶魔術を考慮すれば、それはいいとこ「客分」と言ったところになるだろう。


「何だと……それで、こんな危険な奴らを拘束もせず、皇宮に連れてきたと言うのか、愚か者め! 陛下の御身に万一のことあれば……」


「私たちは、義姉たるメフランギス殿下を解放して頂いた恩義に基づいて、ここまで来たんです。身の安全を保証してもらえるなら、こんなところで暴れてテーベ帝室に害を及ぼすことは決してしませんよ。何の得もないですからね」


 ファリドが宣言する。その言葉がやや投げやりで礼を欠くものになっているのは、仕方ないであろう。彼もアスランの小者ぶりに、若干イラッと来ているのだ。


「虜囚のくせにその尊大な態度……衛兵! こ奴らを拘束せよ!」


「はっ!」


 顔を真っ赤にして怒る皇子の命に従って、数人の兵がファリドたちを囲み、一人がフェレの腕を乱暴につかむと、ただでさえ大きい彼女の双眼がかっと見開かれる。


「うわっ、何だこれは?」


 違和感に驚いた兵が慌てて手を引っ込めるが、もう遅い。その手は見る間に自由を失い、やがて完全に凍りつく。


「私に触っていい男は、リドだけ」


 安定の仏頂面のまま、そんなデレたセリフを吐くフェレに、ファリドも苦笑いだ。そしてファリドを拘束しようとした兵は、フェレに向かった者より遥かに苛烈な仕打ちにあっていた。フェレの「真空」で頭の周囲から空気を抜かれ、酸欠で倒れ白目をむいている。他人を傷つけることを誰よりも恐れる彼女だが、ファリドを護るためであれば、容赦なくも残酷にもなれるのが、また彼女である。


「四方から魔術師を囲め! 一斉にかかれば全員はやられぬ!」


「待つのだ!」


 アスランの指示で衛兵がフェレだけに向かって殺到しようとしたその時、威厳に満ちた低い声が響いた。


 その声の主が玉座から立ち上がり、フェレの方にゆっくりと歩み寄る。その眼には驚きと、少しばかり歓喜の色がある。


「皇帝陛下?」


「イスファハンの『女神』殿、その腕環を見せてくれぬか……」


 フェレが無言のまま、三都でカシムから譲られた魔銀の腕環を外し、膝を曲げて敬意を示しつつ、皇帝に差し出す。皇帝はそこに刻まれた紋様を穴が開くかと思われるほど見つめ、裏側の刻印まで確認して、大きくため息をつく。


「これをどこで?」


「イスファハン三都に住まう元冒険者、カシムという者から譲り受けました。彼の亡き妻の形見であるそうです」


「亡き妻……そうか。ファーティマはすでに、この世の者ではないか」


 口下手なフェレに代わってファリドが皇帝の問いに答えれば、この中年男が気落ちしたように、声のトーンを下げる。


「……ファーティマ、様?」


「うむ、我が末妹であった。テーベでは不世出と謳われた魔術師であったが……優しい心の持主でな。戦場で人を殺すために魔術を使わされることをよしとせず、出奔したのだ。そうか、冒険者になっておったか……魔物を倒すことで民のために尽くそうとしたのだな。連れ合いが居ったのなら……子供はいるのか?」


「……娘さんが三都に。魔虫に冒されていたけど、魔法薬で治しました」


「そうか……」


 しばらく眼を閉じて沈思していた皇帝が、衣装を翻し玉座に戻る。


「皆も聞いたな。この者たちは我が姪の恩人であるそうだ。客人として不自由無きよう遇せよ。ハディード、お前が責任を持て」


「はい、父上」


 それまで一言も発していなかった第三皇子が、短く了承の意を示す。兄たちと違い平凡な外見だが、その物腰は柔らかく、優しげだ。


「……この腕環、返さなくていいの、ですか?」


「はっはっは。そのような物を返されたとて、帝室にはたいした魔術師はおらぬ故、何の役にも立たぬ。神とも称えられる魔術師の腕に在った方が似合うと言うものであろう。それはもう、そなたの物だ」


 皇帝の言葉に、仏頂面だったフェレがへにゃりと眉を緩め、魔銀の腕環をその薄い胸に抱き締めた。

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