第190話 皇帝拝謁

 イスファハンのそれよりかなり豪華な玉座には、中年の、しかし見るからに覇気に溢れた男がどっかりと納まっている。言うまでもなくテーベの皇帝、アレニウス二世だ。


「ムザッハルよ。此度の戦、ご苦労であった。お前のお陰で久し振りの領土拡張がなったことは、評価に値しよう。『胡椒の道』の利権までは届かなかったが、やむを得まい」


「ははっ、ありがたき父上のお言葉。恐悦至極」


 俺様マインドのムザッハルも、このテーベで生殺与奪全権を独占する父帝の前では、借りてきた猫のようである。


「だが父上、あまりに被害が大きすぎました。我が精鋭たるラクダ騎兵を一万騎強失い、国軍の建て直しには大きな時間と費用を要するでしょう。作戦指揮に問題がなかったのか、検証する必要があるかと」


 勝利を讃える雰囲気に冷や水を差したのは、第一皇子のアスラン。武人らしく日焼けしたムザッハルと対照的に、クールな白皙の美貌から、冷たく鋭い視線を突き刺してくる。


 何も凱旋報告の席で、無粋な嫌味を言うこともなかろうというものだが、実のところアスランは軍の損害を憂えているわけではない。弟皇子の功績が称揚されることで、自らが着々と舗装してきた皇位への道が怪しくなることを、恐れているのだ。その意図を正確に理解したムザッハルが、立ち上がって不満を鳴らす。


「兄上はそうおっしゃるが、兄上ならもっとうまくモスルを攻略できたとでも言うのか!」


「仮定の話には答えられぬ。だが、兵を死なせた責任はあるだろうと言っているだけだ」


「ぐっ……」


 言葉での攻防となれば、直情径行的なムザッハルは、良くも悪くも政治的言辞に長けるこの長兄には勝てない。なお言い募りたいような風情ながら、皇帝の前ではぐっと飲み込まざるを得ない。


「陛下、戦勝とはいえ斯様に多くの被害。戦死した兵にも残されし家族のがいるでしょう。彼らの無念の思いを鑑みれば、凱旋の儀式などは控えるべきかと」


 いかにも国民の気持ちを思いやるが如きアスランの言いようだが、もちろん彼の真意は異なる。未だ定まらぬ皇太子レース最大のライバルであるムザッハルを、目立たせてはならじという卑しい意図が見え見えだ。だが高位貴族の多くはアスランに抱き込まれている……あちこちから今回の凱旋式は見送るべきとの声が上がり、ムザッハルは唇を噛む。


「畏れながら……拙者に発言をお許しいただけましょうや」


 一歩進み出たのは、軍師ラージフである。


「うむ、許そう。そちも今回の戦では苦労したと聞いている。カヴァ渓谷で一敗地にまみれた後それに屈せずムザッハルを支え、カルバラで完勝に導いたとか。見事であった」


「拙者のような者に、もったいなきお言葉、恐悦至極にござる。拙者については此度の戦、モスルはともかくイスファハンの動きを読み違え、陛下の精兵を無駄に損ないしこと、罪こそあれ功はございません。しかし……凱旋式の可否については、申し上げたきことがござる」


「ほう……アスランや貴族たちは控えよと申しておるが、そちはどう思うのだ?」


「はっ。凱旋の儀は、必ず行うべきでござる」


 アスランがピリッと眉を震わせ、何か言おうとするのを抑え、皇帝が続ける。


「ほう、それは何故だ。アスランの申す通り悲しんでいる遺族も多いと思うが」


「それ故でござる。息子や兄弟を亡くした者は悲しみに暮れておりましょう。だからこそ、その死に意味があった、国の礎になったのだと陛下が明らかに称揚することで、少しでもその感情を慰めることが必要なのです。そして、それだけの苦しい戦いを潜って生き延びた者たちに栄誉を与えてやらねば、今後の士気にかかわりまする」


「ふむ。ラージフの言やよし、凱旋の儀は盛大に行おう」


「陛下っ!」


「決めたのだ。それ以上申すな、アスランよ」


「くっ……」


 アスランは老軍師に鋭い憎しみの視線を向けるが、ラージフは涼しい顔である。


「父上、ありがたき幸せ! 不肖このムザッハル、帝国の剣であり続けますぞ!」


 快哉の表情で叫ぶ若き皇子に、老軍師が優しい視線を向け、なおも続ける。


「今回の戦では、数十年ぶりの領土拡大もさることながら、もう一つ大きい成果がございまする。イスファハン軍の要であると評される『軍師』と『女神』をここに招くことが出来たことです」


 あえてラージフは後方に控える二人を、虜囚とは言わない。ファリドがその気になりさえすれば、多少の軍隊で囲もうが突破してしまう二人であることを、共に過ごしたこの数週で、悟っているのだ。


 皇帝は、少し意外そうな表情を浮かべるが、すぐ真顔に戻る。


「わが国最高の軍師ラージフが絶賛する『軍師』とは、そのほうか」


「そう呼ばれることもございます」


「そして、隣の女人が数々の奇蹟を為したと吟遊詩人が唄う『女神』と言うわけか。普通の若者たちにしか見えなんだが……まずは歓迎しよう」


 縄すら打たれていない危険人物を前にして、平然と構えている。軍事大国の皇帝はさすがに剛腹だとファリドは感心する。どうやら皇帝自身は、二人にさしたる敵意を抱いていないようだが……彼の隣に立つ皇子は違った。


「ムザッハル! 帝の御前に捕虜風情を連れてくるとは何事! すぐに捕らえて地下牢に放り込め!」


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