第189話 皇太子争い
大河を見下ろす小高い丘の上に石造りの街が広がり、その中心にひときわ高く、壮麗な宮殿がその偉容を示している。
「……すごい。イスファハンの王都より、ずっと大きい」
「そうだな。テーベはこの大河のおかげで食料生産力がとてつもなく大きいんだ、養える人口が多いから国力も高い。軍事力もだけどな」
ファリドの言葉にフェレが大河を見やる。ゆったりと蛇行する大河は、イスファハン人には想像がつかないほど広い川幅をもって、ゆるやかに蛇行している。その両岸は、見渡す限りの豊かな麦畑だ。十年に一回ほどものすごい氾濫被害をもたらすのだと言うが、それが上流から肥沃な土壌を運び、耕地の生産性を回復させている側面もあるのだという。
「……とても、豊かな国なんだね。こんなに豊かなのに、なんで他の国を攻めるのかな?」
単純思考の彼女としては、疑問を抱かざるを得ないらしい。民を養う食料が足りねば、豊かな隣国の領地を奪いたくなる、それならフェレも理解できるのだが。
「う~ん、フェレの価値観ではおかしく思えるのかも知れないが……この世界には、戦うのが生きがいっていう人たちもいるのさ。テーベの帝室は、その代表なんだ」
そう、テーベは他国を侵略などせずとも、民の生活は豊かだ。だが、砂漠の遊牧生活から激しい相克を経て支配者の地位に就いた皇族たちは、常に戦い続けることを国是としている。まるで遺伝子の中に戦争が組み込まれているかのように、敗れようが、大切な人が死のうが、ひたすら挑み続けるのがテーベという国なのだ。
「……理解できない」
フェレにとっての戦いとは、大切な家族や仲間を守るためのもの。それ以外の戦いなど、自分の心が傷付くだけだと言うのが彼女の認識である。
「フェレは、それでいいんだ。だがこの国の上層部が、外征を善き行いと考えている人々だってことは、覚えておいてくれ」
無言でうなずいたフェレは、新たな疑問を口にする。
「……街のまわりに、城壁がない。帝都なのに?」
「そうだな、彼らには攻めてくる敵を石壁の中でじっと待つという発想がないんだ。街に立てこもるんじゃなく、打って出て正面衝突で敵を打ち負かすという考え方なのさ」
そう、イスファハンの大都市はすべて、堅固な城壁で街を囲んでいる。それに対してテーベ主要都市の周辺には、防壁の類が一切存在しない。籠城作戦で隠忍自重して機会を待つなどと言うまだるっこしいことは、彼らの好戦的メンタリティが許さないのだ。
テーベ軍は強い。特にラクダ騎兵の強さは、カルタゴの戦象部隊に匹敵するとも言われ、野戦においてはイスファハンの重装騎兵ですら一歩を譲る。だが攻め一辺倒の単純思考と、攻城戦が苦手と言う弱点が災いし、ここ百年間に数十回周辺国に侵攻しながらも、テーベの領土はさほど広がっていない。
それでも、彼らのモットーは戦い、勝ち取ることなのだ。そんなテーベにとって、今回の遠征は、久しぶりに新領土という明確な戦果を挙げた大成功事例なのだ。凱旋する兵たちの眼は輝き、その中心にいる皇子ムザッハルは、堂々と胸を張っている。
「ご主君はひとかたならぬご機嫌のようですね、ラージフ殿?」
「まったくでござるな。まあ、モスル国土四分の一ばかりを勝ち取ったことゆえ、誇る資格は十分あるのでござるが」
「これで、次期皇位に近づいたということでしょうか?」
「ご本人は、そう思っておられようが……」
歯切れの悪い老軍師ラージフの言い様に、ファリドは違和感を抱く。
「テーベの後嗣指名は、成果主義と聞きましたが?」
「まあ、表向きはそうなのでござるが、なかなか……」
ラージフが続ける。皇位継承候補となるのは三人の皇子。長子アスランは二十八歳、有力貴族の支持をいち早く集め、着々と皇位への道を固めている。次子のムザッハルは二十五歳、派閥工作などは苦手であったが、こうやって自らの武功を示し対抗しようとしている。末子ハディードは二十三歳、内政能力随一であることは衆目の一致するところながら、武断の国テーベの皇帝になるにはアピールが足りず、次期皇帝レースからは脱落とみられていると。
「アスラン殿下は立ち回りが上手なお方、すでに高位貴族の七割を味方につけており、皇帝陛下と言えど彼らの意向を無視もできず……本命であることに変わりござらぬ。ムザッハル殿下は今回の戦功を梃子にご自身を皇太子とするよう訴えられるだろうが、有力貴族の支持が得られぬ現状では、不利でござるな」
「ですが、ラージフ殿はムザッハル殿下を推されていますね、どうしてでしょう?」
「ムザッハル様は、良くも悪くも正直な方でござるゆえな。間違うこともござろうが、直言すれば聞いて下さる。一方アスラン殿下のやり方は敵を謀略で陥れ、賄賂で味方を増やすもの、下手な諫言などすれば消されかねない。殿下が国を率いるようになれば、テーベは暗黒国家となるであろう……それを避けたいのでござるよ」
頭を振りつつため息を漏らすラージフの姿に若干の同情を覚えつつ、ファリドは考える……これからどう動くべきかと。どの皇子に接近するかで、彼とフェレの運命が決まる。
「生きて帰らないといけないからな……マルヤムのためにも」
ラージフに聞こえないように、ファリドは独りごちた。昼下がりの帝都には、汗ばむような陽射しが注いでいた。
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