第184話 気楽な虜囚生活

「お、お前が『軍師』なのか?」


「イスファハンでは、そう呼ぶ人々もいるようです」


 敵皇子の訊問に、誇るでもなく謙遜するでもなく、ファリドは答える。その容貌は上の下程度、さわやかで好感の持てるものではある。しかし、たった今鋭い視線を彼に突き刺している、テーベ皇子ムザッハルの野性的かつ印象的な容姿に比べれば、まさに路傍の石程度の平凡なものでしかない。どこにでもいそうな若者で、軍師らしき貫禄など、どこにも感じられないのだ。


「どう見ても、神算鬼謀の知将には見えんな」


「で、殿下……」


「ふん、所詮こいつらは我々の虜囚だ。礼を尽くす意味などなかろう」


 軍師ラージフが無礼を諫めても、この皇子は省みる様子もない。自身が後嗣の座を得るためには必須である今回遠征における大功を、まんまと潰したこの「軍師」に対する怒りを抑えきれないところが、若さと言うべきであろう。


 乱暴に言い捨てて天幕を出ていく主君に、ため息をつくラージフ。


「ご無礼申し訳ない。殿下も貴殿らの強さを認めておられるのだが……まだ覇気を抑えられないお年頃にござるゆえ」


「気にしていませんよ。私たちがただの虜囚であることは本当なのですから。いきなり斬り殺そうとか殴り倒すとかされないだけでも、ありがたいことです」


 もっとも、斬りかかられたりしても、ファリドが慌てることはない。傍らに立つフェレには、敵が攻撃してきたときの対応を、数十種類のケースを想定して叩き込んでいる。フェレが指示通りに魔術を操れば、彼らが傷を負うことはないだろう。


 ムザッハルの方でも、それがわかっているがゆえに、それ以上突っかかってくることをせず踵を返したのだ。若さ故感情を制御できない部分はあっても、決して馬鹿ではないのである。


「モスルとの交渉でいらだってしまっておりまして……それを貴殿らにぶつけるとは、我が主ながら大人げないことで」


「相変わらず交渉は?」


「思わしくありませんな。さっさとカヴァ渓谷以南の領地を渡してくれれば、我々がそれ以上侵攻することはないというのに、モスルのタヌキ共はなかなか首を縦に振らぬのでござる。殿下は早く都に凱旋したくて、うずうずしておるのですがなあ」


「その焦りを見透かされて、持久戦の交渉を仕掛けられてしまっているのでしょうね」


 テーベの軍師ラージフがひときわ深く息を吐いて、肩を落とす。イスファハンの「軍師」たるファリドも、若干の同情を禁じ得ない。まあ彼の場合は主君の猛気や覇気ではなく、お人好しを抑えねばならない立場であったのだが。


 この老軍師に共感したわけではないが、ふと手助けがしたい気分になったファリドが、ラージフが予想もしていないことを口にする。


「ラージフ卿……とおっしゃいましたか。余分なことですが、一言申し上げましょう。テーベの皆さんは、まったく焦る必要がありません。一週間……長くて十日もすれば、モスル側から早く交渉をまとめようと迫ってくるでしょう。貴国の要求を、すべて丸吞みしてでも、ね」


「そ、それはどういう……」


「これ以上は企業秘密です。あと十日でいい、あの短気な殿下の手綱を決して放さないでくださいね」


「あ、相わかり申した……」


 よくわからないながら、うなずくしかないラージフである。彼がばたばたと主君になにやら注進をしに行くのを見て、ファリドは傍らのフェレと視線を絡ませた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから数日間、二人は前線の駐屯地に留め置かれた。拘束されることもなく、かなりの範囲で自由に歩き回ることもでき、食事も兵士たちと同じものが供された。


 こんなゆるい待遇が許されたのは、軍師ラージフが直接手を回してくれたからのようであった。同じ「軍師」同士通じ合うものを感じてくれたのかどうかは判然としないが、フェレに不自由な思いをさせずに済んだという点において、ファリドは大いに感謝している。もちろん、顔を合わせた時はあのように怒って見せた皇子ムザッハルが、それを許可したからでもある……認めるべき者は認めるという、一種の度量は持っているようだ。


 やることもないので、日がな一日のんびりと半砂漠の大地を眺め、フェレと冒険の思い出などを語り合う。よく考えればしばらく振りの休日らしい休日なのだ、同じ「のんびり好き」同士、フェレと無為の時間を楽しむ。


 二日三日もすると、敵の軍師ラージフが、菓子などを手に訪ねて来るようになる。戦場では貴重な甘味にフェレの仏頂面が緩む。酒ではなく菓子であるところが、機嫌を取るべきは誰であるかということを的確に読み切っている、さすが老巧の軍師といえよう。


 この軍師とは一定の関係を築いておいた方がよかろうと、ファリドも積極的にラージフと語り合う。きちんと古今東西の兵学を修め、各国の戦史も頭に入っているこの「軍師」との会話は、ほとんど書物からのみ知識を得て、系統立てた学びをする機会がなかった彼にとって、なかなか新鮮であった。


 さすがに現在のイスファハン戦力を推定させるような情報を与えるわけにはいかないものの、差支えない範囲でフェレと二人でこれまで辿った道のりにちょっと触れれば、知識欲にあふれた敵軍師も、膝を乗り出す。


 敵地にいながら、思わぬ友情を育んでいる、彼らであった。


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