第176話 敵基地では
「まず、対岸の基地を潰さないといけないな。そして、あとはシャープールの部族軍が、うまくやってくれるかだが」
「潰すって……またフェレちゃんに雷の魔術を使ってもらうの?」
「いえ、この辺りは完全な乾燥地域ですからね。空一面、雲一つありません。これじゃあさすがに、雷を創り出すことはできないでしょう。『砂の蛇』なら使えますが……万を超えるラクダ騎兵を散開させている敵に、大きな損害を与えることは難しいですね」
「それじゃあ……」
すっかりモスル軍の総司令官に祭り上げられてしまっているメフランギスと言葉を交わすファリド。他国に嫁いだ姫を防波堤に使うとは腐り切った国だとは思うが、愛するフェレは、姉とも慕うこの王女を、何に代えても守ろうという意欲満々なのだ。彼としても、知恵を絞るしかないところである。
「大丈夫です、あれを使いますから」
「あの『黒砂利』を? それに油?」
そう、王都から最前線カヴァ渓谷に至るまでにファリドが調達させたものは、複数の荷車に満載された滑らかに黒光りする砂利と、綿実から絞り出した油の樽だけ。
「じゃあ早速、行くとしようか。マルヤムは、リリと留守番だ」
「いやっ! フェレ母さんと一緒に行く!」
「さすがに危ないからダメだ。それに、俺とフェレはこれから『悪いこと』をしに行くんだよ」
「なら一緒に……悪いことをする。フェレ母さんが悪い子なら、私も悪い子になる」
駄々っ子のようだったマルヤムが、突然大人のような真顔で懇願する。子供など持ったことのないファリドは、戸惑ってしまう。
「……リド、お願い。連れていこう」
「いや、しかし……」
「……お願い」
ラピスラズリの上目遣い攻撃に、男はあっさり陥落した。何やら向こうでフェレとマルヤムがハイタッチなどしているのを見て、深いため息をつくファリドだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「基地の構築は、順調のようだな」
「はっ、抜かりなく。防壁さえ完成すれば、その上から高さを活かし、対岸へ弓を射かけることができます。さすれば敵も、我が工兵たちが橋を仮設するのを妨げることは出来ますまい。橋さえ出来てしまえば、モスルの弱兵など、恐るるに足りません」
テーベ軍総指揮官たる皇子ムザッハルに声を掛けられたラージフという名の軍師が、自信たっぷりに答える。イスファハン国境では慎重な言を吐き、皇子の猛気を抑えていたはずの軍師も、ここでは必勝の信念に燃え、やたらと前向きな姿勢に変わっている。
「ラージフがそこまで言うのならば、この戦はもらったようなものだな。先王の頃より、お前の指南は誤ったことがないと、父も絶賛しているからな」
「過分の評価、恐れ入りまする。我らの勝利は疑いありませんが……懸念はイスファハンが援軍を送ってくること。ですから、彼奴らがモスルに至るまでに、決着を図らねばならぬのでござる」
「そうだな。イスファハン軍はいつ頃来るだろうか?」
「歩兵の速度を考えれば、あと一週間というところかと」
「ふむ……その一週間で、速やかに王都を陥落させねばならぬか。腕が鳴るというものだ」
軍師の見立てに大きくうなずき、戦意をあらわにするムザッハル。しかしこの軍師が置いた前提が、この時点で一部狂っていることを、彼は知らない。イスファハン軍は、ファリドが遠征軍から歩兵を排し部族騎兵のみの速度特化編成を組んだことで、すでに第一線で戦闘態勢に入っているのだ。「軍師」同士の知恵比べは、ファリドが一歩先んじている。
「防壁だけでなく砦も、この短期間というのに素晴らしい出来だな」
「木材で造ったから速いのでござる。とにかく早く基地としての機能を持たせねばなりませんでしたからな。渡河してモスル軍を破った後に、ゆっくりとレンガ造りで本格的な城砦に改築いたす所存」
この乾燥地域では、本格的な城塞は焼きレンガ、ちょっとした砦は日干しレンガで構築するのが一般的である。しかしレンガは製作にも、建築にも膨大な日数がかかる。この軍師は当面の機能を早期に用意するため、乾燥地域では貴重な木材を暫定的に使うことを選択したのである。いわば時間をカネで買ったわけだ。
「ほう、ここの砦を恒久化するというのか?」
「左様にござる。モスルに打ち勝って王都を略奪するだけでは、将来につながりません。ここに拠点を持って軍を駐留させて『胡椒の道』に睨みを利かせ、東西交易の利益を継続的に吸い上げていくことが、テーベの発展ためには肝要かと」
「さすがだ。ラージフの確かな構想力は、俺がたっぷりと父帝に賞揚するであろう。そしてこの勝利で、俺の功績も揺るぎないものになる」
「光栄の極みでございます」
すでに勝利を掌中にしたと確認したようなムザッハルの言葉に、軍師もにやりと笑う。そう、ここまでの展開は、彼が予想し、献策した通りに進んでいる。今回の戦勝は、テーベの知恵袋という彼の名声を、更に高めてくれるだろう。
そうほくそ笑んだ軍師の袖に、ぼとりと音を立ててなにか液体のようなものが付着した。驚いて彼の主君を見れば、この覇気あふれる皇子も、怪訝そうな表情で頭に手をやっている。鳥の糞が落ちてきたにしては滑らかな感触に違和感を覚える。
「これは何だ? 空から落ちて……」
振り仰いだ空に、褐色の絨毯のような、不思議な形の物体が浮いていた。
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