第174話 イマイチなモスル王室
国境を越えるまでに二日、そこからモスル王都まではさらに三日の行程である。郊外に陣を張ったイスファハン部族軍は、その司令部天幕に、派手な美貌の女将軍を迎えていた……言わずと知れた、メフランギスである。
「何故、メフランギス殿下がモスルの陣頭などに立たれるのか?」
「……ギース様は、もうイスファハンの王族。なぜモスルの王族が戦わない?」
ファリドとフェレに相次いで疑問符を投げかけられたメフランギスが、大きなため息と共に肩をすくめる。
「そう、本来ならモスルの王族が、前線で将兵の士気を鼓舞すべきところよね。だけど……」
「それを為せる能力ある者が、王子たちの中にはいないと?」
ファリドの問いに、メフランギスがゆっくりとうなずく。この大陸ではいざ戦となれば支配者層が先頭に立つことが常識、いくらなんでも冗談だろうと笑おうとする彼だが、この元王太子妃の硬い表情にそれが真実であると悟り、前途の容易ならざることに暗澹たる気分になる。
「能力もないのでしょうけど、欠けているのはむしろ意欲ね。私のように自ら槍を振るえとまでは言っていないのだけれど……」
「陣頭に姿を見せることすら、やりたくないというのですか?」
「そう言うこと。万が一にも危ない目には遭いたくないのですって。しばらく平和が続いている間に、モスルの治世は緩み切ってしまったらしいわ。私もここまでひどいとは思ってなかった……不覚としか言いようがないわね」
メフランギスの青い瞳にも、さすがに怒りの炎が燃えている。ぶつけようもない焦燥に眉を歪めていても、その容貌は秀麗そのものだ。
「……だからといって、ギース様が指揮を執る必要はないはず」
フェレの言い分は、ごく真っ当だ。それを聞いたメフランギスは、深くため息をつく。
「そうよね。むしろ、もうイスファハンの人間になってしまった私は、他国の戦になど手を出すべきではない。それは分かっているのよ。だけど、幼い時から可愛がってくれた将軍たちから是非にと請われたら、それを断ることなどできないわ」
恐らくそれも、モスル王室の連中の策略なのではないかと、ファリドは疑っている。メフランギスは勇敢で、必要な時には決然と行動できる凛々しき女性だが、王太子に向けた愛の深さが示すように、情にもろいところもあるのだ。何かと小ずるいモスルの王族が、そこを利用してくることは、十分にありうることだ。
「ここまで来たのだから致し方ない。国王陛下にお目通り願うとしようか」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふむ、すでに我らの軍がテーベを防ぎ止めている故、救援と言われても少々遅いのだがのう……イスファハンがぜひ討伐に参加したいというならば、断るのも無粋と言うもの。存分に力を振るわれるがよかろう」
モスル国王の言いようは、同盟国に対するものとしては失礼極まりない。おそらくは、戦勝後に恩を着せられ、何か対価を要求されることのみを恐れ「イスファハンが勝手に参戦してきた」という外面を作りたいのだろう。
そして「国王特使」とはいえ貴族としては最下位に近い男爵位、しかもこの間まで平民であったファリドが相手である。長年の治世にあぐらをかいて権威主義に陥ったモスル王室の面々が、露骨に見下すような態度をとってくるのも、やむを得ないことかとファリドは嘆息する。こんなことならアミールの勧め通り、伯爵位と外務卿の役職くらいもらっておくべきであったかと思わないでもないが、それでは宮仕えの将来が確定してしまう。なんともままならない人生である。
「そなたらが最近市井で話題だと言う『軍師』と『大魔女』であるか。大したものとも思えぬが、せいぜい活躍を期待しよう。それにしても、援軍をくれると言うならばイスファハンの誇る重装騎兵軍団が当然来るものと思っていたが、部族軍とは」
「陛下には、何かご不満が?」
「部族軍と言えば、辺境の異民族たちを寄せ集めた部隊と聞いておる。統制も取れず忠誠も低いとか。参戦してもらったはいいが、果たして戦力になるものであろうかな」
露骨に見下した王の言葉に、誇り高い部族たちの長シャープールが、思わず一歩前に出る。それをファリドが左手で制する。
「陛下の聞いておられる情報は、かなり古いもののようですな。今やイスファハン軍の最精鋭が部族軍であることは、我が国では常識となっておりますが……ご存知ない?」
「何だと、ぶ、無礼な……」
ファリドも内心の怒りに、もはやこの王に礼を尽くそうという気がすっかり失せている。この身分と誇りだけは山より高いくだらない連中に自分が侮られるのは何とも思わないが、信じあう盟友である部族の誇り高い戦士たちが謗られるのは、耐えがたいのだ。
「無礼はそちらでありましょう。出自は低い私ではありますが、今は義弟であるアミール王の信任を受けた者。陛下の態度は、イスファハンに敵意ありと解釈致しまするが、よろしいか?」
「い、いや、そういうわけではなく……」
「さすれば、どういうわけでありましょうや? しかも、我々が伴った最精鋭たる部族軍の能力をお疑いになるとは……当てにされていないのであれば、我々は明日にでもイスファハン帰国の途に就くことになりますな!」
争いを好まないファリドであっても、盟友の名誉を守るためならこの程度の戦闘的言辞も呈するのである。周囲の王族や高官から怒号が上がるが、彼は平然としている。果たして国王は、こめかみに妙な汗をかき始めている。
「いや、これは……何も帰れとは言っておらぬ。活躍の場は用意するゆえ……」
「別に我々は『活躍せよ』とアミール王に命ぜられているわけではないのですがね。そちらが望んでいないのなら、引き上げましょう」
「そ、それは困る! ぜ、是非力を貸してもらいたい!」
「ようやく、そのお言葉がいただけましたか。では、微力を尽くすと致しましょう」
ファリドの返答は、余裕たっぷりであった。
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