第158話 落ち着かない晩餐
結果として、王都制圧は実に円滑だった。
五万に至らんとする圧倒的兵力が、城壁を挟んでの抵抗を受けることなく、あっさりと城内に入ることができたのである。第一軍団兵力一万は、ほとんど組織的戦闘を行うことなく投降せざるを得なかった。
ファリドの想定した最悪のケースは、国王を人質に王宮に立てこもられることであったのだが、これも王宮の中央部までいきなり兵力を送り込んで、中から制圧することで解決した。
国王は長期間の監禁で弱っていたが、意識はしっかりしていた。王都の中央広場に軍の将校、文官、市民の代表らを集めたところに彼が姿を見せることで、「国王崩御、第二王子即位」というキルス側の主張が、そもそも虚偽であることがまず明らかとなる。そして国王はイスファハン純血主義者を放置していた自らの不明を詫び、近々退位することも宣言する。
第一王子が獄死、第二王子が謀叛の首謀者であるとなれば、後嗣は第三王子アミール以外にない。王はその場で、アミールを王太子とすることを布告した。かくして集まりし者たちは皆、国王とアミールへの忠誠を誓約したのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その晩、王宮のダイニングで豪奢な晩餐が饗されていた。
もちろん、国王の意向でも、アミールの希望でも、ましてやファリドの指示でもない。すでに簒奪者キルスのために、準備されていたものである。キルスは敗戦に次ぐ敗戦で王都に逼塞している状況であるにもかかわらず、日々の生活に贅を尽くすことをやめなかったのだ。高価な食材を腐らせるわけにはいかずこの日ばかりはファリド達もその恩恵にあずかることになったのだが……無論翌日から食材の手配は王族としては最低限のものとなるよう指示が下ったのは、いうまでもない。
「……美味しい」
「うん、美味いな」
兎肉のゼリー寄せなどという優美な前菜を、ぼろぼろの冒険者だった過去の姿が想像もつかないほど優雅な所作で味わうフェレ。ファリドも同意の言葉を口にするが、その前菜の費えだけで実家の騎士家で出す食事の半月分ほどが賄えるであろうことは、言わぬが花である。
そして主菜の肉料理が出される前に、ワインが白から赤に切り替えられる。給仕が手慣れた仕草でグラスに酒を注ぎ、アミールの前に置く。グラスは上座から順々に置かれ、やがてファリドと、フェレにも供される。
「それでは改めて、乾杯しようか」
アミールの音頭で一同がグラスを口にする直前に、侍女としてフェレに従っていたリリがファリドの耳に何やらささやくと、彼の顔色が変わる。フェレのグラスを取り上げると、広間を出ようとしていた給仕を呼び止める。
「君、ちょっと待ちなさい」
「は、はい?」
「このワインを飲んでみたまえ」
「いえ、私ごときが……」
「いいから飲め」
ファリドの眼が座っているのを見た給仕が逃げ出そうとするが、その行く手にオーランが立ちふさがる。給仕は手枷と猿轡を施されて、どこへやら連行されていった。
「ど……毒なのか、ファリド兄さん?」
「そうだな。ああ、アミールのワインは大丈夫だと、リリが言っている」
アミールには当然のように、毒見役が付いている。それゆえアミールを狙わず、より警戒が薄いであろうフェレとファリドを標的にしたようだ。
「同じワインだと思ったのに……」
「グラスに仕掛けをすることは簡単でございますから」
落ち着いた風情で、リリが答える。彼女は副都での一件以降、それまでこだわっていた暗殺や直接戦闘から一歩引いて、侍女兼護衛という今与えられている役割に強い意欲を燃やすようになった。そして、天賦の才を認められ幼き頃より厳しく鍛え上げられてきたリリにとっては、給仕がグラスに仕掛けた手妻を見破ることなど、たやすいことである。
「……リリ、ありがとう。私とリドを、守ってくれて……頼りに、してる」
「え、あ、はい。光栄です……」
敬愛する主人の心からの賛辞に、ぽっと頬を薄紅に染めるリリ。それを微笑ましいものに見ながら、まだ安寧への道は遠いことを思うファリドであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「やはり、黒幕はたどれなかったか」
「仕方ない。だが、イスファハン純血派の貴族であることは確実だ。これからアミールは今まで以上に狙われることになる。『ゴルガーンの一族』に闇の護衛を増やしてもらうよう頼むとしよう」
夜も更けて、蒸留酒を片手に身内だけの語らいは続く。アミールとアレフ、ファリドとフェレ、そして給仕はリリが務める。オーランがどこか近くに潜んでいるはずだが、その気配を感じさせない。
あの後、毒を入れた給仕を締め上げれば直接命じた者の名はすぐ判明した。だがその命令者は服毒して果てており、その先に誰がいるのかは、闇の中だ。
「それにしても、貴族達もある意味さすがだね。こちら側の要がファリド兄さんとフェレ姉さんだということを、認めているんだから」
そう、あれから徹底的に調べたが、毒が混じっているワインは、ファリドとフェレのみに供されていた。アミールでもアレフでも、あるいは将軍バフマンでもなく、無位無官のはずの二人を、貴族たちは狙ってきたのである。
「まあ、仕方ない。第一軍団との戦では必要以上に目立ってしまったんだ。これからは少し自重して、狙われないようにしないとな」
「……そうだね」
だがそれは、難しいだろう。好むと好まざるとにかかわらず、彼らの義弟は権力の頂点に駆け上がってしまったのだ。これから未来へ羽ばたいていくアミールの両翼とみなされているであろうファリドとフェレが、見逃してもらえるはずもない。
「ふふっ、やりがいがありますわ。私の生命にかけて、フェレ様をお守りいたします」
「……生命をかけては、だめ。リリも生きて、幸せになるの。いい?」
「は、はいっ!」
フェレが両腕を広げたところに、リリが飛び込み……その薄い胸に顔を埋める。まるで姉妹のようなその姿に、眼を細める一同であった。
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