第159話 アミール即位

「アミール陛下、万歳!」

「先王陛下、万歳!」

「アールアーレフ妃さま、萌え~」


 王宮のバルコニーから、王都市民に手を振るアミール達、国王一家。今日は、先王の譲位のことが行われる日……つまりは、王太子アミールが戴冠する日なのだ。


 王都攻略と国王救出劇から、まだわずか一週間しか経っていない。それでもこのタイミングで新王即位を急がねばならないのは、ひとえにテーベ帝国に対し弱味を見せないためである。


 国内政治だけを考えれば、第二王子と奸臣の謀計に陥れられた王が、忠孝の第三王子に救われ復位して、その功を嘉されたアミールが後嗣になるという形を当面続けていく方が、どう考えても間違いない。この動乱の間ずっと日和見を決め込んでいた多くの中位下位貴族は、積極的にアミール軍に投じなかった咎を問われるのではないかと、内心みな動揺している。下手な変革姿勢を示すことなく「全てこれまで通りに戻った」と示した方が彼らを安心させ、より早く国内情勢を安定させ得るであろうから。


 しかし、目下最大の懸案は国内ではなく、あの好戦的な隣国だ。


 国境手前まで迫ったテーベが一旦引いたのは、副都と第三軍団の支配権を短期に奪還するという、水際だったアミール軍団の軍事的手腕を見せつけたがゆえである……実際の立役者はフェレとファリドであったとしても。前回の戦からほぼ十年、すでに国力を回復したであろう彼らは十分な準備を整えれば再び攻勢に出てくるはず。それを少しでも遅らせるには、「戦に強いアミールがイスファハン国内を迅速に再統一した」という形を、はっきりテーベに向け、示さねばならないだろう。その為の、譲位なのだ。


 身内に甘すぎて今回の動乱を招いてしまった責はあれど、先王は基本的に状況理解力の優れた賢王である。 アミールの幕僚たるファリド達があえて迫らずとも、自ら可及的速やかな退位を申し出てくれた。父王から言い出さねばアミールは決して自ら王位に就きたいなどと口にはしないであろうから、ファリドもこの点にだけは先王に感謝している。


 王位など望まぬと公言していたアミールだが、他に候補がいるわけもない。そして彼とて幼き頃より国を率いるべき王族としての教育を受けてきた者なのだ、その胸に目指す国の理想や経綸が宿っていないわけはない。翠色の瞳は、未来のイスファハンを守り民を安んじる気概で、輝いている。


 そして、アレフは今日から、王妃となる。領地持ちとはいえ、貧乏騎士の娘であった彼女にとっては、想像もしなかった運命である。


「大丈夫、がんばるわ。アミール様と一緒にいられるなら」


 王族としての社交に外交、女同士の権力争い……これからアレフの進む道は、貴族社会の隅っこに辛うじて引っかかっていただけの彼女にとっては、厳しいものになるだろう。だがそのサファイアの瞳も、夫と同じく明るく輝いている。


「姉様と兄様にもらった人生ですもの、もう怖いものなんかないわ」


 その華奢な見た目に似合わぬ、たくましい言葉を口にするアレフ。姉と同じく色白で人形のように可愛らしい貌を桜色に染めて、姉の黒髪と対照的な銀髪を風に揺らす姿は、まさに天女のように美しい。光あふれるバルコニーでアミールと微笑み合う姿は、あたかも一幅の絵のようである。


「まさに、感無量……アリュエニスの子が、王になるとは」


 ファリドの隣でつぶやくのは、新王の宰相となった、ビジャンと言う壮年の男……アミールとカイヴァーン王子の母である亡きアリュエニス妃の、兄である。


 宰相選びは、難問だった。アミールは軍に知己多けれど、同士と言える文官を抱えていなかったからだ。もちろんそれは、政治に近づかないという姿勢を明確にして、兄王と争わないことを示すためであったが。政治能力はともかく、アミールが信じて任せられる人材は、結果としてとても少なかったのだ。


「やっぱり、ファリド兄さんが宰相をやるのが、一番いいと思うんだけどなあ」


「無理だ。平民の俺が上に立っても、高級官僚は皆、お貴族様だ。言うことなど聞いてくれぬよ」


「そんな事はないと思うけどな。『軍師』の実績はみんなが認めてる。実力のある者が国を率いるのは当たり前じゃないか」


「アミールが褒めてくれるのは嬉しいが、俺は当分王都では働けない。西へ行って、備えないと」


「う……そうだね」


 アミールは熱心にファリドが宰相になるよう口説いたが、「西の備え」というファリドの言葉で、ようやくあきらめた。内戦で弱った軍事力で、来たるべきテーベの侵攻を止められるのは「軍師」しかいないと、彼も認めざるを得ないのだ。


 そんなわけで彼の伯父たるビジャンが、アミールが信を置く数少ない文官としてその地位についたのである。アリュエニスの兄であるから、当然彼も部族出身で……「ゴルガーンの一族」なのだ。


「ふむ、卑しい生まれと蔑まれた我々だが、『軍師』が王都に戻るまで、微力を尽くすとしよう。どちらかと言えば、陛下の護衛としてになるのかな」


 最愛の妹アリュエニスを、暗殺の毒牙から守り切れなかった。その後悔を胸に、ビジャンはきっぱりと頭を上げて、新しい決意を口にした。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 即位式と民へのお披露目、そして貴族たちを招いての即位記念夜会……疲れ切ったはずのアミールであるが、どうしてもファリドと就寝前の一杯をと言ってきかない。さすがにアレフにそんな元気はなく、ファリドとフェレだけが付き合う。


「ファリド兄さん、ありがとう……僕を国王にまでしてくれて」


 その感謝の表情に、嘘はない。やはりアミールも、大国イスファハンを率いてみたい大望を、胸に抱いていたのだ。兄に対する敬愛ゆえに、それを押し殺していただけのことである。


「おめでとう。アミールなら、より民のためになる治政が敷けるだろう」


「うん、それをいつも胸に置いて努めるつもりさ。今、王都の民が僕を認めてくれているのは、奪還戦で市民から死者をださなかったからだ。本当にフェレ姉さんの凄い魔術のおかげなんだよ」


「……そう……かな?」


 アミールの無邪気な賛辞に、ぽっと頬を桜色に染めるフェレ。彼女は褒められ慣れていないだけで、褒められれば素直に嬉しいのである。


「本当だよ! 数百の兵をひそかに城壁を越えて運んだり、王宮の奥までいきなりあれだけの人数を送り込んだり……あれがなかったら、無駄な血がたくさん流れていたはずさ。ねえ、兄さん姉さん。あんな大魔術は、いつの間に編み出したんだい?」


「そうだな、アミールにはそろそろ、話そうか」


 ファリドが、ゆっくりと語りはじめる。

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