第149話 寝返り
不意討ちの優位を活かして、ファリド達の率いる中隊は一気に司令部に迫る。
しかし、さすがに司令部の警護は厳重であった。もともと百を超える兵が夜通し守っていたのだ、霧さえ晴れてしまえば戦闘能力は高い。守備兵はやや混乱しつつも、夜襲部隊に決定的な突破を許さない。
そうしているうちに、異常に気付いた周囲の部隊からも増援が徐々に到達する。もちろん濃霧から出た瞬間を狙い撃ちできるファリド達の方が有利ではあるが、無限に近い増援が期待できる第三軍団には余裕がある。司令部を突破できなければ、ジリ貧になってつぶれるしかないのが、ファリド達の立場なのだ。
攻めあぐねる彼らの前に、親衛隊に護られた指揮官らしい男が天幕から現れる。酷薄そうな眼をした指揮官の姿に、老将軍が怒号を浴びせる。
「クーシャー! 貴様……」
「諦めろ! ここまで攻め込んだ勇戦には感服すれど、もはや貴官らの勝ち筋はない! 降伏すれば寛大な処置を……」
寛大な処置など、するわけがない。クーシャーが立場を守るには、これまでの所業を徹底的に隠蔽しつくすしかないのだ。その為に不都合な存在、イマーンもメフランギスも……そしてもちろんファリドやフェレには、この世から消えてもらわねばならないのだから。
「断る!」
「ならばこの場で死ね! 者ども、老人どもを取り囲んで、鏖殺するのだ!」
その時にはすでに、ファリド達の左右、さらに後方からも第三軍団の兵が迫っていた。クーシャーは口角を片方だけ上げて笑みを作ったが、兵士達にとってそれは悪魔の微笑に見えた。
だが、その次の瞬間。
薄気味悪いクーシャーのせせら笑いが、いきなり凍り付いた。己の首筋に、冷たい刃が押しつけられたのに気付いたからだ。
「ダーラー、閣下に何をする!」
「指揮官の生命が惜しければ、全員武器を捨てろ!」
指揮官の背後から忍び寄り、その首を抱え込んで刃を突き付けたのは、親衛隊の若者。第三軍団兵は一斉に動きを止めたが、副司令官らしき高級指揮官が剣を抜く。
「うつけ者めが! クーシャー閣下は死よりも恥を恐れる高潔なお方だ! 喜んで大義に殉じられるであろう、者ども、構わず反乱分子を討て!」
その声に反応し、十数人の兵が剣を構えなおす。副司令官がニヤリと笑ったその時。
「待て! 待て! いかん、抵抗してはいかん! 皆、武器を捨てるのだ! どうした、早くせよ、お主らの司令官は儂だぞ!」
裏返った声で叫んだのは、背後の若者に生死を握られている哀れな司令官、クーシャーだった。副司令官がせっかく用意した「死よりも恥を恐れる高潔な司令官」の舞台から、迷わず飛び降りる彼である。
「早く! 抵抗をやめよ! やめるのだぁ~!」
もはやクーシャーは、失禁で股間を濡らしてしまっている。第三軍団の兵士たちは気が抜けたような表情を浮かべながら、次々と武器を地面に投げ捨ててゆく。いつしか抵抗の意志を示しているのはくだんの副司令官のみとなり……結局彼も頬の筋肉を痙攣させつつ、その手から長剣を落とした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、第三軍団の兵士達は、自軍の首脳陣がすべて交代していることを知って驚いた。
病気療養中とされていたイマーン将軍が突然現れ「総帥」に、そして昨晩まで賊軍の長として扱われていたはずのミラードが、今日から自分達の「指揮官」になるのだという。そして、昨日までの上層部……司令官クーシャーを始め副司令官、参謀、そして七人いたはずの連隊長が、煙のようにどこかへ消えてしまったのである。
この事態に混乱して騒ぎ立てる者は、もちろん多くいた。しかし納得した者たちの方が、はるかに多数派だったのである。情報工作が、ようやく奏功してきたのだ。
先日副都にて百名ほどの兵が、本物の将軍イマーンと王太子妃メフランギスが西方へ去る姿を目に焼き付けた。そして将軍達が強い口調で語ったクーシャーを始めとする第三軍団首脳部の不実と不忠も、そこにいた兵達の信じるところとなったのだ。
もちろん首脳陣は百名の兵士に厳しく口止めした。しかしイマーンらに加護を与えているという「アナーヒター女神の奇蹟」まで眼にしてしまった兵士達の興奮を収めることは、もちろんできなかった。結局のところ上官の眼の届かぬところで、兵士たちはイマーン達の主張をひたすら広めたのだ。
加えて、ファリドが都に残したリリとフーリが中心となり、潜伏するあまたの「ゴルガーンの一族」に属する者が、ありとあらゆるルートからその噂を第三軍団兵に吹き込んだのだ。そこは茶店であり、市場であり、そして酒場でもあった。
王太子の悲劇や将軍の監禁と脱出、そして第一軍団に神罰を下し壊滅させた「女神」の存在……どれ一つをとっても吟遊詩人の叙事詩になりうる衝撃的でドラマチックな出来事だ。一旦噂に火が付けば、燎原の火の如くそれが広がるのは、自然なことである。
そうやって噂を耳にした者たちにとって、逆クーデターとでも称すべき首脳陣の一斉すげ替えは、「ああ、あの話はやっぱり本当だったのか」と、自然に受け入れられたのだ。
かくして、一般兵の血をほとんど流すことなく、ファリド達による第三軍団の指揮権奪取は、わずか一晩で成った。
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