第148話 いざ司令部へ

 首尾よく大隊の一つを無傷で掌中に収めたものの、イマーン将軍はいぶかしげな様子だ。


「のう『軍師』よ、まさかこの調子で一つ一つ戦隊を説得してゆくわけではあるまい?」


「ええ、そんなことをしていたら夜が明けてしまいます。説得はこの一大隊だけで十分です」


 中隊、大隊の次は連隊を説き伏せねばならぬのかとげんなりした顔をする老将軍に、ファリドは笑顔を向ける。


 もちろん敵の中に埋伏の毒を仕込むことの意味は大きいのだが、大隊長以上の幹部は貴族出身者が大半であり、平民も貴族も公平に扱うイマーンより、露骨に貴族を優遇するクーシャーにシンパシーを感じる者の方が多いのだ。先ほどファリドが為したように、次々幹部を斬り殺していく羽目に陥りたくはない。彼の目的は、そのはるか先にあるのだ。


「しかしさっきの戦闘は間一髪だったな、危ないところであったはずだが、奴の動きが一瞬遅れたのが不思議だった」


「俺の剣術は正規軍ならひいき目に見ても『上の下』くらいですからね。きちんと腕を磨いた方には敵いませんよ」


「お前が斬り捨てたあの大隊長は、軍の剣術大会で、四年前に優勝して居った者なのだがな」


 そう教えられると改めて背筋に寒気が走る。到底ファリドごとき冒険者上がりがかなう相手ではなかったのだ。


「それで、どのような仕掛けで対手を倒したのだ?」


 老将軍がいたずらっぽい眼で追い込んでくる。ファリドは一瞬逡巡したが、この方なら知られても構うまいと、声を低めアフシンを呼ぶ。


「これです、将軍」


 無造作に差し出されたのは、細長い針。そしてアフシンが、葦の茎に似た細長い棒を取り出し、くるっと回して見せる。


「なるほど、吹き針というわけか……魔族殿は、そのような業も持っているのか」


 ファリド達……というよりフェレに心を許したアフシンは、己の持っている特殊技能を、あらかた彼に伝えていた。その一つがこれである。本来は毒を塗った針でターゲットの生命を奪う道具であるが、今回は「ここぞという時に敵の動きを一瞬遅らせる」ためだけに使ったのだ。


 アフシンは「お安い御用だのう」とうそぶいたが、隊長たちに姿を見せるわけにはいかない彼である、天幕の外殻に小さな穴をあけて、外から狙ったのだ。視界が遮られている中で正確に神経のあるところに当てるなど、普通の人間にできる業ではない。


「まあ、儂は魔力が見えるからの」


 なんと彼には、天幕の向こうにいる人間の発する魔力の形が見えるのだという。それを頼りにタイミングを見計らい、敵が必殺の一撃を放とうという瞬間、首筋に一本細針を撃ち込んだのだ。


「そういう訳で、アフシン殿の助けがなかったら、斬られていたのは俺の方だったというわけですね」


「坊主はともかく、嬢ちゃんを悲しませるわけにはいかんからのう」


 飄々とした魔族の返しに、将軍が豪快に笑った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 将軍と会話を交わす間にも、ファリドの手は休まず何やら図面の上を動いていた。そして最初に寝返った中隊長とあれこれ打ち合わせた後、彼は天幕に隊長たちを集めた。


「ここから先は、戦闘も説得もやらない。直接司令部に突っ込んでクーシャーを捕らえる」


 彼らの前には、第三軍団の布陣図がある。ファリドはこの重要情報を手に入れるために、大隊をそっくり一つ乗っ取る必要があったのだ。


 かくしてその二十分後には、一中隊百人を引き連れたファリド達が、指揮所を求めて進発していた。自分達が行軍するところだけ細長く霧が晴れていることに驚きの声を漏らす兵もいるが、下士官達が素早く黙らせる。何しろこの作戦は、敵に発見された時点で、終わりなのである。


 布陣図を慎重に検討してファリドが定めたルートを黙々と行軍する間、そんな都合の良い状況がずっと続くのだ。一時間も進んだ頃には、出発前にイマーン将軍が与えた「我々には、女神の加護がある」という訓示を、全ての兵が信じるようになっていたのは、道理である。


 やがて一行は敵本隊の宿営地に至り、ここからは兵士たちの本領発揮である。


 不意に眼の前に現れた敵になすすべもない不寝番兵を確実に倒し、天幕で寝んでいる兵達はもちろん一声も許さずあの世へ送り込む。アナーヒター女神に与えられし使命に高揚している兵達は己の実力以上の活躍を示し、本隊の三割ほどを音もなく片付けた。


 しかし、いかな達人の手からも水は漏れるもの。数十張り目の天幕で、ついに胸を貫かれた兵士が鋭い断末魔の叫びを上げ、夜襲は敵の知るところとなった。仕損じた兵士達を責めるわけにはいかないであろう、彼らは暗殺訓練など受けていないのだから。


 無論、この事態もファリドにとっては織り込み済みである。


「フェレ、進路の霧を晴らせ!」


 愛する男の声に応じてフェレが眉をきゅっと上げると、彼らの前面で直径百メートルほどの空間にある霧が一気に消え、篝火があたりを照らし出した。


「諸君、クーシャーを討つは今ぞ! いざ、司令部に向け、突撃せよ!」


「おうっ!」


 老将軍の命令に応え、兵士たちはこれまで抑えていた鬨の声を一斉に上げ、体勢の整わぬ第三軍団兵を、次々討ち取っていった。

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