第150話 裏切りの動機
第三軍団本隊とミラードの部隊は合流し、混乱しつつも一日半をかけて再編を行ってさらに一日後、副都に帰還した。ミラードが拠っていた西の砦には、テーベの動向を探るため三千の兵が残ることになる。
諜報作戦によって下級の兵たちの首脳陣に対する信頼を崩したうえで、迅速に組織のトップを押さえて事態を一気に決めるというファリドの策は、見事に当たった。だがその勝利がまさに薄氷を踏むようなものであったことを、彼自身が一番承知していたのだ。最後の場面で、あの若い親衛隊員が寝返ってくれなければ、ファリドは老将軍と王太子妃を無事に逃がすことに全力を上げざるを得なかったであろう。
その立役者となったダーラーという名の親衛隊員は、副都に帰還するなり宿舎を飛び出し、街角の花屋で大きなバラの花束を買うと、跳ねるような足取りであの酒場へ向かった。あの晩、必死で伝えた自分の想いに、頬を染めながらはにかむような笑顔で応えてくれた、ジラと言う名の可愛い給仕娘。今日こそ彼女に、結婚を申し込むのだ。
身分の差は多少気にならないでもなかったが、親しく話すうちに彼女はイマーン将軍の隠し孫だということを打ち明けた。であれば、伯爵家の子弟である自分の妻たる資格十分だと、遅い初恋に夢中となっている彼は自分を納得させていた。彼女自身に断られるなんて可能性は、もちろん頭の隅っこにも存在していない。
「だって、出征する僕を、あんなに切なげな眼で見上げてくれていたのだからな」
一途に自分を想ってくれる彼女の姿を思い浮かべるだけで、心臓がきゅっと締め付けられるようで、自然と足取りも早くなろうというものだ。だが、浮き浮きした気分のまま訪れた彼を迎えたのは、悲痛な顔をした酒場の主人だった。
「今……何と言った?」
「二日前のことですじゃ。何やら驚いて暴走した馬車の蹄に掛けられて……手の施しようもなく、哀れなことにその場で……」
「な、亡骸は……」
「丁度今日の昼に、荼毘に付しましたのじゃ」
奮発したであろう豪華な紅一色の花束が、若者の手から地面に落ちた。
「そんな、そんな……」
若き親衛隊員は悲痛な叫びをあげて、街路に崩れ落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
副都の外れにある国軍の城砦で、論功行賞が行われていた。
外敵に打ち勝った戦ではないため派手な褒賞はないが、感状と金貨、そしてちょっとした副賞が、その功に応じて与えられる。
「第一の功、ミラード司令官殿!」
もちろん、筆頭者として顕彰されるのはミラードである。圧倒的権力を握っていたクーシャーの一派に敢然と異議を唱え、辺境の砦にこもって死を覚悟の抵抗を行うことで、第三軍団が王都へ進軍するのを妨げた彼の勇気と功績を讃えるのは、当然である。彼が中央政府から与えられていた職位は第三軍団第二連隊長であるが、王太子の代行権限を振るったメフランギスが、先日軍団全体の司令官に任命している。
戦功第一のミラードにだけは、王太子妃メフランギスが直接賞賛の言葉と、一振りの長剣を贈る。恭しくそれを受けるミラードの姿に、広場に集結した将兵が上げる賞賛と羨望の声が、城砦中に響き渡る。
「第二の功、ダーラー親衛隊員殿!」
そして戦功第二とされたのは、自らの司令官であったクーシャーを捕らえ、第三軍団首脳部を降伏に追い込んだ、あの若き新鋭隊員であった。ある意味裏切り行為である彼の行動を批判する者もいないわけではないが、彼が寝返ったことで余分な血を流さず正しき秩序が回復されたことは、間違いないのである。第三軍団が彼を重く賞しないわけにはいかないであろう。
第二功以降の者への褒賞は、新たに「総帥」となったイマーン将軍が与えることになる。
「ダーラー卿、お主の働きなくば、かように速やかに軍団指揮権を奪回することはできなんだ。感謝申し上げよう」
「はっ、ありがたきお言葉……ただ……」
「何か、言いたいことがあるのかね?」
「失礼を承知でお聞き申し上げます。将軍の御令孫が市井で酒場の給仕として暮らしておられたという話は……」
その言葉を聞いた老将軍はぴりっと眉を震わせ、やがて悲痛な表情でゆっくりと口を開いた。
「あの娘には、申し訳ないことをしたと思っておる。日陰者暮らしをさせたあげく、あたら若き生命を、哀れにも散らせてしまった……」
「やはり、本当であったのですね。ジラ嬢がお祖父様……将軍を心配して涙を流す姿に心を動かされ、私はあの行動を起こしたのです……」
「そうか、孫娘は、最後まで儂のことを気遣ってくれたのだな。孫娘……ジラが、儂に手紙を残してくれていた、想う青年がいると。お主のことだったのだな、ありがとう……」
老将軍は眼を細め、この真っすぐな眼をした青年将校を、優しげに見つめる。
だがダーラーは、完全に打ちのめされていた。彼が恋した娘……ジラが自分に本当の身上を隠し、まだどこかで生きているわずかな可能性にすがり、思い切って将軍に無礼な質問をぶつけたのだから。
しかしその将軍さえ、ジラが手の届かないところへ行ってしまった事実を、あっさり裏打ちしたのだ。論功行賞の主役であるはずの彼は、セレモニーの間ずっと魂を抜かれたような表情で、ただ虚空を見上げていた。
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