第143話 反撃構想
「『軍師』のお陰で将軍が合流され、戦力も増えた。いよいよ副都奪還と反逆者クーシャーを成敗すべき時だな」
ミラードが、その日焼けした貌に期待の色をにじませる。そうであろう、彼はこの二ケ月というもの、戦いたい本能をぐっと堪えて、時を待っていたのだから。
「うむ。だが未だ我々の戦力は一万強と言ったところ、減ったとは言え二万に近い奴らには大きく劣後しておる。そこには『軍師』の意見を聞きたいが?」
真面目に受ける老将軍だが、いたずらっぽい表情でわざわざ「軍師」というところを強調するところが、人が悪いというべきだろう。
「第三軍団が副都にこもっているなら、勝つのは難しくありません。但し、時間さえあればという条件付きになりますが」
だがファリドは彼らの予想と少し違うことを口にした。二万弱の兵力を崩すことなど、簡単だと言わんばかりなのだ。
「時間さえ……か。時間がたっぷりあれば、どうやって奴らの大軍と戦うのだ?」
「武力では、戦いません」
「ふむ?」「どういうことだ?」
将軍たちはいぶかし気な顔をするが、それまでワインのグラスに眼を落していたメフランギスは、何かに気付いたようにふっと微笑んだ。
「リリやフーリを使うのね?」
ファリドはうなずく。そして怪訝そうな男達にその名が「ゴルガーンの一族」の女が持つものであることを告げると、老将軍がはたと膝を打つ。
「なるほど、あのお嬢さんたちか。あのような若く可愛らしい娘が酒場で噂を耳に吹き込めば、あっという間に兵の間に広げられるであろうな」
首肯しつつ、ファリドが説明を続ける。二人に加え、以前より副都に幾人も市民として潜んでいるゴルガーンの一族を使って噂を兵の間に広め、クーシャーに対する不信感を植え付ける。その上でこちらは副都の近くに滞陣するのだ。夜ともなれば自軍を見限った兵たちが五月雨のように次々と副都を離脱し、ミラードの陣に飛び込んでくるであろう。
虚偽の情報を流す必要はない。今起こっている事実を伝えるだけで、兵が脱営する理由になるのだから。ミラードの側には本来の司令官である老将軍が在り、さらに王太子妃メフランギスまでが、最高に豪華な看板として在るのだ。対してクーシャーは「将軍の体調不良による代理」を務めていると主張しているだけの存在だ。どちらに理があるか、考えるまでもないだろう。
そして彼らが企図した陰謀が「事実」であるからこそ、理詰めで否定しようもない。いきおい下級兵士達を抑えつけるしか打つ手がなく、それはかえって兵の反感をあおるだけ……いずれにしろ、副都の近くに軍勢を展開させ存在を示しておくだけで、敵の組織は勝手に崩壊するのだと。
「さすがは『軍師』だな、理路整然としている。だが、なぜ『時間さえあれば』なのだ?」
「今回、時間をかけるわけには、いかないからです」
ファリドの答えに、また不思議そうな表情を浮かべるミラードとイマーンだが、ワインで口を湿らせたメフランギスがヒントを出す。
「それが心配で、私がわざわざ最前線に残っているわけよ」
「さてさて……メフランギス妃殿下のお言葉は、何かの謎かけのようだな。フェレ嬢はこの謎かけ、おわかりになるかな?」
「……考えるのは、リドの仕事。私は、信じて戦うだけ……リドは絶対、間違わない」
ミラードが振った話題に安定の仏頂面で、しかし全力ののろけを無自覚にぶちかますフェレに、ファリドが思わず赤面し、メフランギスが優しい視線を向ける。戦略論が妙な方向にそれかけたその時、老将軍がポンと手を打った。
「なるほど、テーベが攻めてくると言いたいわけだな」
「そうです。内戦が長引いている情報が伝われば、必ず侵攻してくるでしょう。いや……すでに、軍勢をこちらに向けているやもしれません」
真顔に戻ったファリドが、深刻な懸念を口にすると、ミラードたちも納得したようにうなずきを返す。
そう、イスファハン王国の西国境は、二つの国に接している。
西北はモスル王国、メフランギスの母国である。王女を嫁がせてくるくらいであるから、イスファハンにとっては大切な同盟国と言ってよい。交易の中継点として繁栄し、軍事力は、そこそこといったところだ。
一方西南方向には、テーベ帝国が広がっている。国土の大半は不毛の乾燥地域であるが、二本の大河を中心とした縦長の平原は豊饒な農業地域だ。そして軍事力も非常に強く、乾燥地域で戦えばイスファハンの誇る重装騎兵隊ですら一歩を譲る、ラクダ騎兵隊を主戦力としている。おまけに代々皇帝は極めて好戦的で、十年おきくらいに大規模な攻勢を掛けてくるのだ。かつてファリドが家族を失い、副都を去る切っ掛けとなったさきの戦争も、テーベとのそれであった。老将軍とて、長い軍隊人生の間に、テーベとの戦で何度も苦杯をなめさせられている。
「ですから、速やかにクーシャーを下して、第三軍団の指揮権を取り戻さねばなりません。現在われわれの手元にある一万一千の兵力だけでは、とてもテーベ軍を止めることなど覚束ないですから」
「しかしのう。奴らが早期に我々と決着をつけに出てきてくれれば良いが、副都の城壁内に引きこもられる可能性もあるのではないか? それこそたかだか一万強の兵で、あの城壁は打ち破れぬぞ」
美髯を撫でつつ老将軍が長期戦の懸念を口にすると、ファリドは破顔した。
「大丈夫です、将軍。奴らは必ず決着をつけにきます……いえ、早期決着を目指さねばならない深刻な理由は、むしろ奴らの方にあるのですから」
その表情は、自信に満ちていた。
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