第144話 仕掛け
イマーン将軍とミラードの得心できていない風情を見て、ファリドも補足説明が必要なことに気付く。
「奴らの弱点は、自分たちに都合悪い真実を一般兵士に隠していることです」
ファリドは続ける。
上流階級の既得権を重視するクーシャーは貴族階級が多くを占める高級指揮官達をしっかり掌握しているが、下級指揮官や兵士の積極的な支持を得ることはできていない。
そのため王太子を監禁拷問のあげく死に追いやったことも、老将軍から不当に指揮権を奪い軟禁したことも、そして第二王子を奉ずる最強の第一軍団がアミール率いる第二軍団に惨敗し王都で包囲されていることすら、下級兵士に情報を与えていないのだ。
もしもそれらの情報が明らかになれば、将軍への忠誠篤い一般兵士が雪崩を打つように脱営し、ミラードの勢力に合流するであろうことを想像することは、極めて容易だ。しかしこれまでは、その事実を声高に触れ回る者がいなかったことが彼らに味方していただけのことである。
「しかし今は違います。王都で将軍やメフランギス妃の姿を見た兵を百人以上、王都に残してきています。もちろん厳しく口止めがなされるでしょうが、人の口に戸はたてられないもの。時間が経てば経つほど、真実を知る兵が増えていく……奴らに残された時間は、多くないのです」
「なるほど実に、分かりやすい。ファリドよ、『軍師』の二つ名にふさわしく成長したようだな。そこまで予想しているということは……奴らと激突した俺たちが勝つ手段も、用意してくれているんだよな、軍師よ?」
「ええ、今回に限っては、必ずや」
弟分の成長に眼を細めるミラードに、大言壮語を嫌い万事慎重なはずのファリドが、はっきりと勝利を宣言した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
時は数日をさかのぼる。
第三軍団の若い兵士や下士官達の間で、近頃話題になっている娘がいた。
彼らが駐屯する砦の前に在る茶店に数日前から入った給仕で、飛び切りの美人ではないのだが快活な声と笑顔が可愛らしく、一度会えばまた会いたくなるタイプの娘なのだという。お陰で非番の日や休憩時間になるとその茶店に入りびたる若い男が引きも切らず、売り上げが倍増しているとかいないとか。
「あらっ! お客さんも三都から来られたのね。最近そういう兵隊さんが多いみたい。遠いところから出張してきて戦うのじゃ、大変ですよねっ!」
「そうなんだミナーちゃん。遠征は大変だけど、憧れだったイマーン将軍の下で働けるから、張り切ってるんだよ!」
いかにも熱血脳筋の雰囲気を漂わせた若い下士官は、この化粧っけすらなく清楚で明るい娘に気に入られようと、如何に自分が意欲に燃える軍人なのかを必死でアピっているつもりである。だがミナーと呼ばれた娘の反応は、下士官の期待と異なるものであった。彼女は驚いたように眼を丸く見開いて、下士官が想像もしていなかったことを口にした。
「あら、変ですね? 昨日来られた将校様は『イマーン将軍は副都を脱出されミラード軍に合流された』っておっしゃっていましたけど?」
「な、なんだって?!」
「お客さん、お声が大きいですよっ」
「しかし、それが事実であれば……」
娘は自分の細い人差し指を下士官の唇に当て、声を潜めてささやいた。
「大きな声では言えないのです。詳しいお話がお聞きになりたかったら、一時間後に店の裏においで下さい、ね?」
下士官は、ごくりと唾をのみ込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夕刻、駐屯地近くの路地にある酒場に、ひときわ明るい笑顔を振りまく若い女給がいた。酒に酔った男の下卑たからかいにいちいち頬を紅く染める純情そうな振舞いが、男の保護欲をかき立てる娘である。
よくよく注意して見れば、昼間に茶店でミナーと呼ばれていた娘と同じ顔の造作をとっているのがわかるのだが、なぜか髪色と髪型を変え、薄いながらも化粧をした姿を見て、昼間の娘と同一人だなどと気付く、勘のいい酔客はいない。
娘はくるくるとこまねずみのように忙しくテーブルの間を行き来しては、客の注文を手際よくさばいていく。そうしていながらも彼女は、それぞれのグループで交わされる会話を、注意深く拾っている。
そのほとんどは物わかりが悪い上官の愚痴であったり、故郷に残してきた恋人の自慢であったりと、毒にも薬にもならないものばかりであるのだが……石ころの中に、宝の原石が潜んでいるかも知れない。それを聞き逃さない鍛錬を、娘は幼いころから積んできているのだ。
「おめでとう、ダーラー!」
「ありがとう、みんなのおかげだ!」
「クーシャー閣下の親衛隊入りとは、凄い出世だな!」
ふと、後方で交わされる若い貴族青年達の会話が、娘のアンテナに引っかかる。素早く近くのテーブルにつき、空いた皿やジョッキをさりげなく片付ける振りをしながら、全神経を背後の声に集中する。
「まあダーラーは伯爵家の三男だからな、いずれはと思っていたが……異例の早さでの抜擢だ。同期として鼻が高いよ」
「父が閣下と旧知の仲だからだと思う、僕の実力じゃないよ」
「そんなことはない、ダーラーの正義感と真剣な訓練ぶりは俺たちが一番よく知っている、きっとそれが目に留まったんだよ、誇っていいさ」
「ありがとう、益々精進して、国のために尽くすつもりだ」
探していた原石を、やっと見つけた。娘はわずかに口角を上げ、隅のテーブルに眼くばせを送った。
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