第142話 上官との再会

「将軍!」「ミラード……」


 もはや中年の渋い外見の男と、老人としか表現できぬもう一人の男が、衆人環視の中でがっしりと熱い抱擁を交わす。もちろんそれは衆道などとは無縁の、親子の情愛に近いそれである。生死を共にする中で育まれた信頼と友愛は、下手な男女の仲より堅く、濃いものなのだ。


「将軍を苦境からお救い出来ず、ご苦労をお掛けしました」


「いや、ミラード。お主が西の砦で踏ん張ってくれたゆえ、クーシャーの王都へ向かう企図を阻むことが出来たのだよ。良くやってくれた」


「はっ、ありがたきお言葉」


「儂の苦労など、王太子殿下のそれに比べれば毛ほどにもなるまい。まさに王たる器量をお持ちのお方だったというのに……おいたわしいことをしてしまった」


 老将軍は眉間に皺を刻み、視線を落とす。幼い頃より見守ってきた王太子の死は、イマーンの心に深い傷を負わせていた。


「まずは将軍が自由を取り戻されたことを良しとしましょう。それでこそ王太子殿下の弔い合戦も出来ようというもの。二万以上の兵を擁するあの副都から、よく無事で脱出なされた。いかなる策を用いられたものか……」


「ふむ、たしかに嘆いていられる状況でもない。儂に残る時間は、新しい力……アミール殿下の御代を造ることに捧げねばなるまい、もちろんその過程で、クーシャーの奴輩には不忠の代価を払わせるとしよう」


 ミラードの前向きな言葉に憂悶の表情を解いたイマーンは、振り返ってファリドを差し招き、その肩に手を置いた。


「そうじゃ、儂がここまで傷一つ負わずに来られたのは、この男の知略によるものだ。ミラードも、覚えておろう?」


 ファリドを見るミラードの怪訝な表情が、不意にぱっと明るく変わる。


「お前……ファリドか!」


「ええ、ご無沙汰してます。またお会いできて、嬉しいです」


 ファリドに歩み寄りその肩をたたこうとして、ふと何かに気が付いたようにその手を止めたミラードは、表情を真面目なものに変える。


「すると、ひょっとして……噂の『アミールの軍師』『アミールの女神』というのは、君たちなのか?」


「噂かどうかはともかく、それはおそらく俺とこのフェレです。ほら、フェレ、ご挨拶して」


「……あ、あの……フェレシュテフ、です……ファリドの……」


 白い頬を紅く染め、つっかえつっかえ言葉を絞り出す。こんなところでも思い切り人見知りのフェレに小さなため息をつき、ファリドが話を引き取る。


「婚約者になります。目立つのが嫌いな女性ですが、おそらく魔術の威力はイスファハン随一、戦士としてもかなりのものです」


 なんだか身内褒めをしているようでむずむずするファリドだが、公平に見てこの評価は誤っていないであろう。


「魔術の『威力は』ってわざわざ付けるのはなぜなんだ?」


「ああ、フェレは不器用でして。ごく限られた魔術しか使えないのですよ。ですが、その少ない魔術一つ一つの強さは、どんな魔術師にも負けないはずです。『女神』の噂は誇張されていますが、概ね事実ですから」


「じゃあ、マハン平原でいかづちを思うままに操り、最精鋭の重装騎馬隊を一人で全滅させたというのは……」


「ほぼ事実ですね」


 あっさりと認めるファリドに、眼を白黒させるミラードの反応は、当然のものであろう。眼の前にいる物慣れぬ小娘のような女が、そんなスペクタクルを演じるとは、とても思えないのだ。思わず不躾に見定める鋭い視線に、フェレが身体を縮め、その薄い胸を両腕で抱く。


「これミラード、他人の妻女になろうと言う娘さんをそんなにじろじろ見るのは失敬であろう。相変わらずの不調法ぶりは、何とかならぬか」


「こ、これは済まぬ。フェレシュテフ嬢にも、申し訳なかった」


 将軍の言葉に慌て、変な汗をかきつつ謝罪するかつての上官に、ファリドは意外な面を見た思いを抱く。豪放な指揮官ではあるが、女性に対しては新兵のように初心なのだ。妻子がいるとは聞いているが少なくともファリドが在隊している間、一度も自宅に帰っていなかったのは事実で……よく愛想をつかされないものである。


「そ、それより……ファリドは、本物の『軍師』になったのだな。ぜひ今日の夕餉では、武勇伝を聞かせて欲しいものだ」


 不器用に話を逸らすミラードに、老将軍が困ったものだという眼を向けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「凄い武勲ではないか!」


 夕食の席には酒も出た。辺境の砦でいきなり兵力が倍になったのだから補給物資も節約せねばならないのだろうが、今日ばかりは無礼講である。久しぶりの酒にいい気分になっているミラードが、アミール軍が次々第一軍団を破ってきた経緯を誇るでもなく語るファリドの言葉に、興奮している。


「まあ、俺自身の武勲はほとんどありませんよ。俺は、フェレの力を一番効果の出る場面で、発揮させてやるだけ、だからこれはほとんど彼女の力と……あとは部族軍の活躍によるものですね」


「謙遜するものだな。まあ確かに、フェレシュテフ嬢の活躍分は割り引いて考えないといけないだろうが、それでも素晴らしい」


「……リドがいてこそ、私は力を使える。私が功を成したと言うなら、それはリドの功績」


 ずっと黙って肉を頬張っていたフェレが、不意に言葉を挟む。その頬は桜色を通り越し、リンゴのように紅く染まっている。よほど思い切って口にしたものであろうか。


「ほほう、そこまで惚気られれば本望だのう、ファリドよ。愛されておるな」


 将軍のからかいに、ファリドの頬にも血色が上る。戦場とは思えぬほど、呑気な光景であった。


◆◆作者より◆◆

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