第141話 爆破?
不思議な雲が晴れた後、あたり一面に立っている者は誰もいなかった。全身焼け焦げて地面に倒れ、身動きすらしておらず、先ほどまで指揮官であった「モノ」がどれかすらも判然としない。堅牢な司令部の天幕も吹き飛ばされ、焦げた支柱が無残な姿をさらしている。
「『軍師』よ、あれは……いかなる仕組みなのだ?」
旧文明で便利に使われた爆薬とか炸薬とかいうものを造る技術は、すでに失われている。老将軍がいぶかるのも、ある意味当然だ。むしろこの爆発に動揺していないことを、さすがは年の功と言うべきであろう。
「ええ。燃えやすい物を細かい粉にして、ある一定以上の濃さで空中に浮かせるのです。そこに着火すると、爆発的に燃えるのですよ。旧文明ではたびたびこれで事故が起こっていたようで、書物に記されていたのを、たまたま覚えていたのです」
「燃えやすいものとは?」
「ええ、金屑でも炭粉でも砂糖でも、なんでも良いようなのですが……今日の小道具は、小麦粉です」
そうであった。ファリドが輜重部隊を襲い、小麦粉「だけ」かっぱらったのは、これを人為的に起こしたかったからなのだ。
旧文明の時代には大規模かつ高速化自動化された工場や炭鉱で、可燃物の粉がもうもうと舞う事例が多く存在したであろうが、手作業が基本であるこの時代、そんな環境は存在しようもなく……粉が爆発するような現象は、書物の隅に残滓を残すのみで忘れ去られていたのだった。
しかし、ここにフェレの「細かい粒ならいくらでも制御可能な」魔術が加わったら、どうか。何億何兆という粒子を浮かせて好きなところに爆発寸前の雲を作ることは、いとたやすいことになるだろう。そしてそこに着火源があれば、大量殺戮も、思いのままだ。
「では、あれだけ大量の小麦粉を強奪してきたのは……」
「ええ、もちろん兵糧にするためではありませんよ」
その時彼らの後方で、脱走部隊百名が一斉に小麦の袋を開き、中身をぶちまけ始める。そしてそれはそのまま宙に舞い上がって分厚い雲状になり、砦を囲む兵たちの頭上から降り注ぐ陽光をさえぎる。
ファリドがフェレの耳に何やらささやくと、小麦の雲から民家一軒ほどの大きさの塊が分かれ、先ほど一斉射撃をかましてきた弓箭隊の真上にゆっくりと近づく。ファリドがまた火矢をつがえたのを見た兵士たちは青くなって、弓を放り出して逃げ散っていく。弓兵があらかた逃げたことを確認して放ったファリドの矢が、また爆音を響かせた。
「ひえぇっ……」「死にたくねえ!」「俺達にどうしろと言うんだ??」
逆らい難い暴虐への恐怖が兵士達の間に十分広がった頃、老将軍が再び呼びかける。
「見たか諸君! アナーヒター女神の絶対的な力を!」
「女神」と称されたフェレは、相変わらず鉄板の無表情。しかしたった今人知を超えた力を見せつけられた兵士達の眼には、その姿が美しく清冽なるも厳しい、あたかも神の如く映ってしまったのも、無理からぬことであろう。
「諸君一人一人に罪はない、真実を知らされず、ひたすら上官の命令に従わされていただけなのだからな。しかし、今後は違う。我々と共に正義をなさんとする者は、衣の左肩を脱げ。あくまでクーシャーに従い、砦を攻めんとする者は、右肩を脱げ!」
老将軍は続ける。いにしえの東国で王家と外戚の権力争いがあった際に、軍がどちらにつくかのという意志を確認するために衣を使ったこのような選別があったという。ファリドも、軍史に詳しいイマーンもその故事を知っており……ならばこの場で使ってみようということになったのだ。
「お、俺は女神様に従う!」「私もだ!」「正義に殉ずる覚悟!」「踏まれたい!」
兵士達が、次々と軍服の左肩を脱ぎ始める。一部変なリアクションも混じってはいるが。
「貴様ら! 脱営は死罪だぞっ……お、お前ら……」
ヒステリックに叫ぶクーシャー派らしい将校も、周囲の兵士たちに一斉に睨まれてたじろぐ。そしてまた雲の塊が一つ自分の頭上に近づいて来るのを見て、顔を真っ赤にしつつ押し黙ってしまう。
「クーシャーに従おうとする者も、ここで殺しはせぬ。副都に逃げようと言うなら止めぬ。もちろん、再びまみえた時には、容赦なく神罰を受けてもらうことになろうがの……」
◇◇◇◇◇◇◇◇
二時間の後。およそ三百ばかりの敗残兵が、装備を全て取り上げられたうえで副都に向かって逃げるように去っていった。残る六千数百の兵は、砦に拠る勢力と合流し、副都の第三軍団と袂を分かつことを決めたのだ。すでにミラードの部下が砦を出て、降兵の新たな編成準備を開始している。
「いやはや、ここまで、うまくいくとは……お嬢さんと『軍師』のお陰だ。感謝の申しようもない」
「いえ、もちろんフェレのデモンストレーションも有効であったでしょうが、ここまで多くの兵が転向したのは、将軍が説得したゆえのこと。将軍が日頃より兵の信頼を勝ち得ていたからでしょう」
老将軍の賛辞にファリドは謙遜するが、かなりの部分は本気である。数千の軍人に対し人生が一転するであろう決断を迫ることは、立場の軽いファリドでは無理だ。王太子妃メフランギスならある程度の効果はあろうが、兵士達から見れば縁遠い存在だ。苦楽を共にしてきたイマーンの言葉であるからこそ、信頼と共感を得られたのである。
「そう言ってもらえると、不甲斐ない自分にもう一鞭入れる元気が出てくるな、ありがとう……おっ」
将軍が何かに気づいて視線を砦の門に向ける。そこには、日焼けした貌に綺麗に整えたひげを蓄えた、渋み掛かった三十代後半と思しき男が、右手を上げていた。
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