第138話 小道具調達

 貴族階級の者からの知らせで、クーシャーら第三軍団の首脳陣は、イマーン将軍の脱出を知った。


「くそっ、奴らはおそらく、ミラードの連隊に合流しようとしているのだろう」

「させてはならぬ! 老巧のイマーンに五千もの軍勢を与えては厄介になる!」


 かくして追討部隊を出すことが決定したものの、その編成は難航した。兵の間で例の噂が、枯れ草が燃え広がるような勢いで拡散していたのである。


「クーシャー司令官代理は、イマーン将軍を監禁して指揮権を奪ったのだそうだ」

「しかも、盟主たる王太子殿下を弑し奉ったとか」

「無道の振る舞いに怒ったアナーヒター女神が将軍に力を貸して、脱出させたというぞ」

「実際に女神が竜を操るのを、ビジャンの奴が見たらしい」


 こうなると、兵士達も将校に説明を求める仕儀となる。将校とてロクな説明ができるはずもなく、散々もめたあげく結局は権力で押さえつけて出撃させるしかない。かくして二千を数える兵力ながら、極めて士気が低く統率の怪しい部隊が、のろのろとファリド達を追うことになったのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 疎らに低木が生える丘の斜面から、ファリド達は長い隊列を見下ろしている。自分たちを追っている、第三軍団の兵士達を。


 まともに逃げても、歩兵主体の彼らが追手の騎兵に捕捉されるのは時間の問題である。無理やり振り切ったとて、目指すミラードが拠る砦の周辺は、第三軍団に固められているであろう。であれば、一旦やり過ごすのが得策ということなのだ。


「さて『軍師』よ。これからどうするつもりなのだ? 敵をやり過ごしたのは良いが、奴らは砦を囲む隊に合流して、我々が近付くのを待ち構えることになろう?」


 美髯を撫でつつ、老将イマーンが問う。それは質問というよりも、若き弟子の成長を確かめる試験のようでもある。


 ファリドは首をすくめて見せる。かつてこの将軍が彼に「軍師」の称号を与えるべく運動しなかったとしたら、今このように余分な苦労を背負い込むことは、おそらくなかったであろう。苦情の一つも言いたいところであるが……もしも「軍師」の称号を得なかったとしたら、フェレとの運命的な出会いもなかった。なかなか複雑な、ファリドの心境である。


「まあ我々の戦力では、二千の部隊を撃破することは難しいですから。敵には、ぜひ本隊に合流してもらいましょう。うちのアタッカー……フェレの業は、敵が密集すればするほど、効果を発揮するものなので」


 老将軍は興味深げにフェレの方に眼をやり、すぐにファリドとの関係を推察したらしく、ふっと優しげに目尻のしわを深める。人生経験の差、あるいは大人の余裕を見せつけられているかのようで、ファリドとしては若干の居心地悪さを感じつつも、言葉を継ぐ。


「西の砦は岩だらけの乾燥地帯、フェレの持ち技である砂の蛇や雷撃は使いづらい環境です。まあこういう場合に備えていろいろ練習してきましたから……なんとかなるでしょう」


 ファリドは一瞬フェレと視線を絡ませる。フェレの眼に自信があふれているのを確認した彼は、魔族の方を向いた。


「というわけでアフシン殿、フェレのために小道具を調達して欲しいのだが?」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 輜重部隊の不寝番などという役目は、なかなか退屈なものだ。


「本隊は、脱走部隊に追いついたのかな?」


「騎兵五百で追ったというから、まず捕捉できただろう。俺たちが砦に着くころには、奴らの首が晒されている頃だろうよ」


「あ~あ、俺もそういう戦功を挙げたいのに、来る日も来る日も兵糧運びじゃなあ」


「そう言うがな、生きて帰りたきゃあ輜重隊が一番さ。何しろ本隊が敵を平らげた後をゆっくり進めばいいだけさ、安全この上ない。年季が終われば確実に故郷に帰れるってのは、いいもんだぜ」


「まあ、そういやそうだが……」


 当直の兵が交わす緊張感のない会話は、やむを得ないものだろう。敵はたかだか百ばかり、それも二千の味方が露払いをした後の街道だ、安全極まりない任務にしか思えないのだろう。


 だが、兵の一人が大きくあくびをしながら同僚の方へ振り向いた時、それは起こった。


 兵の眼に映ったのは、首から上がない同僚の姿。それがゆっくりと自分の方に向かって倒れ込んでくる。彼は驚きと恐怖に悲鳴を上げた……つもりだった。


 その叫びは声になることはなかった……彼の頸部に細引きが巻きつき、これでもかというほど締め上げていたのだから。細引きに全体重をかけて兵士に止めを刺したのは、まだうら若い娘……リリである。血濡れた短刀を手に兵の生首をぽいと投げ捨てるアフシンと視線を交わし、さらに次の標的に向かっていく。


 かくして見張りの兵がその役目を果たすことなく斃れると、後は簡単だった。脱走部隊百名が闇の中から現れ、野営の天幕に次々と侵入していく。寝込みを襲われてはひとたまりもなく、百を数えぬうちに、五十人ばかりの補給部隊は全滅した。


「よし、全員小麦粉の袋を奪って担ぐんだ。いいか、小麦粉以外は捨て置くんだぞ!」


 ファリドの低い命令が、闇の中で響いた。

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