第136話 メフランギスの演説
声の主は、すぐ近くにある屋敷の屋根上に立ち、兵士達を見下ろしている。
栗色の柔らかくウェーブした髪をなびかせ、澄んだ青い瞳を輝かせて堂々と立つ派手系美女は、王太子妃メフランギスだ。その後方に、フェレとファリドがそっと従っている。
フェレの「添い寝」によるエネルギー補給で最愛の夫を失った衝撃から立ち直った彼女は、今回も助演女優を買って出たのである。さすがに危険だと止める一同に、彼女は言ったものだ。
「私の望みは、この先安楽に暮らすことではないわ。つがいを失った私は、もう死ぬのも怖くない。このイスファハン王国を、夫カイヴァーンの目指した国に少しでも近づけることに、この命を使いたいの」
そう言われれば、何も言えない。実際、ファリドにとってはありがたい申し出だ。メフランギスは女優としても広告塔としても、極めて優秀なのである。フェレ達と違って、黙ってすれ違っても十人のうち必ず十人が振り返る、華のある女性なのだ。
そして彼女は今、屋根を舞台として、主役ばりの名演技を披露している。
「神はお怒りです。副都に駐在する第三軍団の、義に反する振舞いに!」
もともと大きな眼がかっと見開かれ、その強力な眼力が、観客たる兵士たちを射貫く。そして強い意志をこめた言葉が、彼らの胸に刺さる。
「義に反する振舞いって何だ?」
「俺たちは一生懸命、軍務に励んでいたつもりだがなあ?」
一般兵士たちのもっともな疑問にうなずいたメフランギスは、更に後を続ける。
「そう、兵士の皆さんは、与り知らぬことでしょう。ですが第三軍団の上層部は、腐っています。たった今軍団を指揮するクーシャーなる者は、イマーン将軍を捕え監禁し、不当にその地位にあるのです」
「なんだって?」
「イマーン将軍は病気療養中って話じゃなかったか?」
「確かに、そのような噂を酒場で聞いたが……本当だったのか? だとしたら許せん!」
兵達が騒ぎ出す。ここまでは、ファリドがあらかじめ副都にバラまかせた噂と同一の内容だ。貴族出身の将校は怒りに眉を逆立てている。もちろんその怒りは、ありもしない虚構で名誉を傷つけられたためではない……隠していた不都合な真実を暴かれたゆえの怒りだ。
「それだけではありません。クーシャーを始めとする第三軍団上層部は、こたびの内乱に際し本来この軍団の盟主となるべき王太子カイヴァーン殿下を不当に捕らえ、害したのです」
「なんと! 最近王太子殿下が姿を現されぬと思ったら……」
「それじゃ、俺たちは反逆軍になってしまうじゃないか!」
この部分は、元のうわさには無い衝撃的な内容だ。口々に叫ぶ兵の様子を見て、平民将校達はただ一人事情を知っているであろう貴族将校に、厳しい視線を向ける。
「あの女が申し立てていることは、事実でありましょうか? 事実ならば、誠に由々しきこと」
「何を血迷っているか! あのように何処の馬の骨か知れぬ女の言うことなど、真であろうはずがないわ。お前達、さっさとあの者達を捕らえよ!」
こめかみに青筋を浮かせて喚き散らす将校の命令に応え、兵士達が混乱しつつも動き出そうとした刹那、屋根の上からひときわよく通る声が投げつけられた。
「『どこの馬の骨』とはしたり。そこなる将校よ、そなたは貴族なのであろう。末席であろうと貴族の端くれにある者が、私の顔を知らぬとは……もう一度、この姿を見るが良い、それでも思い出さぬか!」
「なんだと、ふざけるな!」
末席と貶められた怒りに真っ赤になった貴族将校が何かに気付き、見る間にその顔から血の気が引き、白く……いや、青く変わる。
「ん? あの方は、メフランギス妃殿下でねえか?」
「そういや王都のパレードで見たお顔とそっくりだ」
「王太子妃殿下!」「メフランギス様!」
メフランギスは一度見れば忘れ難い、派手系美女である。王室行事で王太子妃をチラ見した兵士の脳裏にも、その姿が焼き付いていたのであろう。熱烈な王太子妃コールが一旦起こると、それは瞬く間に広がって、彼女が見下ろす街区に、歓呼の声が満ちた。
しばらく歓声を受けた後、メフランギスは右手を静かに上げ、兵達を制した。
「ありがとう。しかし私は、皆さんに歓迎して頂くために副都に来た訳ではありません。我が夫である王太子を害し、将軍を捕らえている不忠の者に神罰を与えるべく、ここまで『女神』を導いてきたのです」
そうであった。目の前の美女は、愛する夫を失い、その悲嘆を怒りに変えて、ここに在るのだった。一瞬の盛り上がりに冷や水を掛けられた形の兵士達は、水を打ったように黙り込んだ。
知らぬこととは言え、どうも王太子を弑したのは、自分達が属する第三軍団であるらしい。「女神」がどんな力を持つ者なのかはわからぬが、怒れる妃の心に同調して、苛烈な仕打ちを自分たちに下すのではなかろうかと。
「大丈夫です、夫である王太子の死に対し、兵士の皆さんに責任がないことは承知しています」
メフランギスがその大きな眼を緩めて口に出したその言葉に、あちこちで安堵のため息が漏れる。しかし次の瞬間、その眼は大きく見開かれ、目尻が強い意志を持ってきゅっと吊り上がる。
「ですが、第三軍団の首脳陣を、許すわけにはいきません。必ず、反逆の代償を払わせます。そのために、まずはイマーン将軍の身をこちらに頂いてゆきましょう。心正しき者達を将軍が率いれば、きっと正義はもたらされます」
これまでとは異なる冷たい声音で発せられた言葉に、兵士達の背中に、汗が流れた。
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