第135話 将軍イマーン

 副都の一角、小高い丘に建つ瀟洒な貴族邸宅の一つで、もはや老境に至ったと言っても良い武人が、白く見事な髭を撫でつつ、独りため息をついていた。


「儂は、愚か者どもの暴挙に対し、何一つ為すことも出来なんだ。このままでは、イスファハン王国は……亡びの道を辿るしかないだろう」


 武人は、先日まで第三軍団の長であった、将軍イマーンである。書類上はまだ軍団長のままであるが、「病気療養」と称して実権を全て奪われ、この邸に軟禁されているのだ。


「部下の心に寄り添う努力をしてきたつもりであったが……権力闘争が第一優先の腐敗貴族どもには、かえって恨まれておったか。つくづく、儂も世渡り下手であったということだろうな」


 そう、この将軍は一般兵士や平民出身の将校から支持されること、国軍幹部では随一であった。自らは貴族でありながら時には下級兵士と寝食を共にし、身分を問わず賞罰に公平であった故である。しかし一般的には美徳とされる彼の振る舞いは、軍の上層部を固める貴族階級の者からすれば、全く怪しからぬことであった。蟄居させられた最大の理由はもちろん第二王子キルス支持を肯じなかったことだが、彼が平民を貴族と同列に扱っていたことも、また大きな要因であっただろう。


「まあ、儂の待遇は、まだましであると言うべきか。王太子カイヴァーン殿下は……もはやこの世には居られぬであろうからな」


 第二王子派としても、この将軍を害するわけにはいかない。第三軍団の兵士達は、老将軍を敬い、親しみ、惜しみない忠誠を捧げているのだ。いざと言う時に姿を見せられる状況にしておかねば、軍の統率が怪しくなる。


 一方、王太子にはそういった利用価値は全くない。生かしておけばキルスの支配確立に、何かと邪魔になることばかりなのだ。唯一の使い道は兄を敬愛するアミールと対峙した時に、彼の攻撃をためらわせる「壁」としてであろうが、アミールとて自分に課せられた責務は理解しているだろう、それほどの効果が期待できるものでもない。そして「壁」として使う場合には、王太子が五体満足である必要はないのだ……手足を斬ろうと鼻を削ごうと、生きてさえいればいいのだから。


「この老骨のみが、のうのうと生き恥を晒すことになるのか……」


 王太子の人柄を愛する老将軍は、虚空を見上げて深くため息をついた。その時ふと砂塵が窓を叩く音を耳にして、外を眺めた彼は、驚きに眼をみはった。

 

「何だ、この砂嵐は?」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 同じ驚きの声が、副都の高級住宅街を巡回する第三軍団の兵たちの間にも広がっていた。


 将軍を軟禁した邸宅を取り囲むように、砂が渦を巻いている。それは時を経るごとに益々濃く、もはや目視で邸の様子を伺うことはできなくなっている。


 真夏であれば、この地方でも砂嵐が街を覆うことは珍しくない。日中の寒暖差が激しい気流をもたらし、街の西部に広がる乾燥地域から砂を巻き上げ、数メートル先も見えない状態になることは、この町の住民にとっては毎年のように経験していることである。


 だが、今は春。砂嵐など起こらぬ、穏やかな季節のはずだ。加えておかしなことに、砂が舞っているのは、くだんの邸宅周辺だけ。副都の中心部には、見上げれば青空が広がっているのである。さらに奇妙なのは、これほど砂を巻き上げていながら、将校たちの頬にはそよとも空気の流れが感じられない……風もないのに、砂が勝手に踊っているのである。


「うむ、実に怪しい。魔術の類かも知れぬ、周辺警戒を怠るな、不審な者は捕らえよ!」


 第三軍団のベテラン将校が、麾下の兵達に檄を飛ばす。さすが経験豊かな叩き上げ平民将校は、内心の驚きを押さえつけつつ冷静にやるべきことを指示している。いま一人の平民将校もそれに倣うが、現場の将校でただ一人貴族階級である若者は、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「あれが魔術だと? いくら国軍の筆頭魔術師でも、あれだけ大量の砂を郊外から運んできたあげく、長時間空中に浮かせ続けられることなど出来ぬ。そんなことすら知らぬとは、やはり平民出は教養が足らんな」


 一回り以上若い同僚に嘲られた平民将校は一瞬眉をぴくりと震わせるが、努力で感情を抑えて平静を装う。どうせお貴族様は早々に偉くなって転出していくのだ。下手に反抗して無用な嫌がらせをされるよりは、丁重に無視した方がいい……そう割り切って、部下への指示を続ける。


 貴族将校が「魔術でこんなことはできない」と考えたことは、常識的にはまともな判断と言える……彼は、暴力的なまでに非常識な力を振るうフェレの存在をまだ知らなかったのだから。国土の東端に位置するルード砦で起こった「砂攻め」を見た者なら彼女の存在を連想したことであろうが、ここ副都に駐留する第三軍団にまでは、その情報は伝わっていないのだ。


「うわっ、あれを見ろ、竜だ!」


 兵士たちの切迫した叫びを聞いてもう一度邸宅に眼を向ければ、褐色の竜が数体、邸の周りを右回りに旋回している。よく見ればそれは、先ほどまで周囲を待っていた砂が集まり、竜そのもののように複雑な造形をとったもの。


「こんなことができるのは……魔術ではない、神の仕業と言うべきか?」


 平民将校が絞り出した呻きに応えるように、落ち着いた、しかし凛々とよく通る若い女性の声が、彼らの頭上から響いた。


「そう、神です。神が怒っておられるのです!」


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