第134話 女神をプロモーション
その晩はようやくメフランギスとの添い寝から解放され、ファリドと「ぎゅっと」を満喫するフェレ。もちろん、大人のあれこれは無しである。ファリドの右脚にひんやりした自分の右脚を絡ませながら、つぶやくように言葉を紡ぐ。
「……メフランギス様はあんなこと言ってたけど、大丈夫?」
―――ぜんぜん、大丈夫じゃない。
監禁された将軍を邸宅から奪うことまではできるであろう。しかし二万五千の兵の追撃を振り切って、ミラード率いる離反連隊と合流するなんてことは、常識では無理だ。大きな声でそう言いたいけれど、無心に見上げてくるフェレの瞳を見ると、弱音は吐けない。
「ああ。さすがに二万超の兵力とまともに追いかけっこをしたら勝機はないが、フェレの力をうまく使えば、それを避けることができるだろう。もう少し、策を練らないといけないけどな」
「……うん。リドがそう言うなら、信じる。何でも言って欲しい……必ず、リドが望む通りにやるから」
自ら考えることを完全に放棄したフェレの言い種に苦笑いしながらも、一途に頼られる喜びに頬を緩めるファリドである。彼女の細い肩をぐっと引き寄せ、軽くこつんと額をぶつける。へにゃっと不器用に微笑んだフェレは、百を数えぬうちに眠りの妖精に身をゆだねた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
副都に広がる、ある噂。
「第三軍団指揮官のイマーン将軍は病気療養中という触れ込みだったが、どうも監禁されているらしい。あのクーシャーとかいう代理指揮官は、不正に権力を奪ったのだ」
「なんと? 本当ならば言語道断の振る舞い、許せんな」
噂は街の市場や酒場から発し、第三軍団下級兵士の間にじわじわと浸透した。副都での予期せぬ足踏みに不審を抱いている兵たちにとって、この話は腑に落ちるものであったのだ。軍団上層部の行動に公然と疑問をぶつける者はいないが、下級兵士の暮らす兵舎でそれを語る者が、日々増えている。
これを知った第三軍団上層部は怒り狂ったが、否定のコメントは出ない、いや出せない。噂はまさに、事実そのものなのだから。反論もできず沈黙するだけである。その沈黙がさらに疑惑を招くという、悪循環である。
もちろんこの風評は、ファリドがバラまかせたものだ。リリとフーリが副都にあまた潜伏する「ゴルガーンの一族」を動員し、彼らが一般市民を装って街角で、酒場で、そして第三軍団そのものの中で……さりげなく、しかし効率的に火種を撒いていったのだ。何しろ、噂の内容そのものが、実に刺激的なのだ……導火線に火をつければ、あとは爆発的に燃え広がるのは、自然なことである。
そして、噂には続きがある。
「アミール殿下率いる第二軍団に、アナーヒター女神が降臨したっていうじゃないか」
「その女神は、最近村を襲った暴兵に神罰を下し、生き残った者に祝福を与えたとか」
「女神はこの副都で起こっている第三軍団の謀反にいたくお怒りだという。天の理に反する行為に、間もなく神の鉄槌が下されるというぞ」
前半は、副都に至る途中でフェレがやらかした結果、すでに広まっているものだ。最後の「神の鉄槌」のくだりを、ファリドの指示で「ゴルガーンの一族」がたくみに突っ込んだのだ。
こちらの噂に対して、第三軍団幹部はさしたる関心を示さなかった。民衆ほど純真でも無知でもない彼らは、「女神降臨」なんてものは、そもそも場末の酒場で安酒をあおって泥酔した客の見た夢くらいにしか、思っていないのだから。
「あんな噂を派手にバラまいてどうするの? 却ってイマーン将軍の警護を固められてしまうのではなくて?」
「妃殿下のおっしゃることはもっともです。ですが監禁場所が普通の邸宅であれば、いくら警備を強化しようが、フェレの魔術を駆使すれば力押し突破できます。問題はその後です、二万の兵に追いかけられることだけは、避けねばならないですからね」
「う~ん、今度ばかりは『軍師』の言うことがわからないわ……」
納得いかない表情のメフランギス。一方、魔族アフシンは、納得したようにうなずいている。
「ふむ……『女神』の虚名を、せいぜい利用しようということだの」
「そういうことだ」
「主の望みは、嬢ちゃんと静かに暮らすことではなかったかの。『女神』を前面に出せば、それは難しくなろうよ」
アフシンの指摘は、的を射たものだ。フェレを「女神」としてプロモーションすればするほど、この戦いに限っては有利に働くだろう。だが「女神」の降臨を信じた者たちの熱狂は戦い終えた後も続いて……フェレはファリドだけのものでいるわけには、いかないであろう。
「わかっている、俺だって気は進まないさ。だが、もうあまり時間はないんだ。奴らの切り札は王太子殿下だった。それが掌中から失われたからには、次の行動を遠からず起こす……おそらく王都進軍を。二万五千の全軍が向かうわけではなかろうが、仮に二万だとしても、王都にこもる第一軍団と合わせれば、アミールにとっては大変な敵となるだろう。もはや俺たち二人の暮らしのことなんて、言ってられなくなっているのさ」
「まあ、そうであろうの」「そうね……まずは戦を終わらせないと」
アフシンとメフランギスが納得のつぶやきを漏らしたところに、これまでひたすら沈黙していたフェレが、不意に口を開いた。
「……大丈夫。何があっても、私はリド一人のもの」
安定の無表情で放った言葉だが、まわりに与えた効果はてきめんだった。リリとフーリは頬を染めてきゃあきゃあ喜び、メフランギスは花開くような微笑みで「あらあら」、アフシンは何かに当てられたような顔で「若い者はうらやましいことだの」とつぶやく。
ファリド一人が皆の生暖かい視線を受け、赤面するしかなかった。当のフェレは、平然として甘く仕上げたチャイをすすっていたというのに。
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