第132話 生きる力
その夜のこと。
「とりあえずは自殺を諦めてくれたみたいだが、いつまたやらかすかも知れん。心配だが、いつも付いているわけにもいかんし……頼むぞ」
そう言ってファリドは侍女兼護衛の「ゴルガーンの一族」フーリに視線を向ける。フーリも小さくうなずく。彼女が常に近くにあれば、毒物の類については妃の周囲から除けてくれるだろう。
だがそれだけでは、メフランギスの殉死を妨げるには不十分だ。四六時中フーリが背後についているわけにはいかぬし、発作的に懐剣で喉でも突くような行為は、止めようもない。王太子妃自身が生きる気力を取り戻してくれねば、根本解決にはならないのである。
ふと気付くと、フェレが寝支度を済ませて……メフランギスの天幕へ向かおうとしている。いつもであればファリドに「ぎゅっと」を要求してくる時分であるのだが。
「フェレ、何をしようと?」
「……メフランギス様と寝る。『ぎゅっと』は、こんど」
そう言い捨てて携帯枕を小脇に抱え、妃の眠る……いや眠れてはいないか……天幕にそっと入っていくフェレ。
―――そうか、それもいいかも知れん。
憂いに眠れぬ夜を一人で過ごすことは辛い。人肌の温もりが、最愛のパートナーを失い悲しみに暮れる王太子妃の心を少しでも癒せるならば、それは歓迎すべきことだろう。もっともファリドは、フェレに添い寝されてその低めの体温を感じると、逆に安眠できなくなってしまうのだが……それは若い男の悲しい性である。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝になった。
侍女のフーリが恐る恐る覗き込むと、そこには幼女のようにあどけない表情ですやすやと眠る主人メフランギスと、その背中を抱きしめたままのフェレの姿があった。彼女は深く安堵のため息をつき、その頬に微笑を浮かべて、天幕を静かに出る。
「みんな、おはよう!」
そして、いつもよりかなり寝坊してから起きてきた王太子妃が、やたらとすっきりした表情で快活な声を上げる姿を、一同は驚きの眼で見た。
「メフランギス様はお疲れのはず。もう少し、お休みになっていた方が……」
「何言ってるのフーリ、すぐにでも動き始めないといけないでしょう。もうカイヴァーンはいない、そしてその地位をアミール殿下に譲ったの。私達はそれを殿下に伝え、一日でも早く国土の再統一をして頂かないといけないわ」
妃が発する言葉には力がこもり、澄んだ青い眼には強い意志と明るい光が戻っている。昨日のように無理をしている様子はまったく窺えない。
「しかし、昨日あのようなことがあったばかりで……」
「うん、それはもちろん悲しいよ。だけど今朝起きたら何だか元気が湧いてて、頑張らなきゃって気持ちになっちゃったのよね。一晩フェレちゃんに抱きしめられていたら、なにか不思議な力が伝わってきたって言うか……気が付いたら胸の中の憂いなんか消えちゃってたのよね、いったいどうしちゃったんだろう?」
ふふっと笑うメフランギスの様子には、偽りや強がりは感じられない。フェレが本当に、この王太子妃を癒したのだろうか? ファリドは優しく問う。
「なあ、フェレ。妃殿下に、何か魔術を掛けたりしたか?」
「……特別なことは、してない。背中から抱きしめて『この人に力をあげたい』って願っただけ」
―――あっ、そうか。フェレの魔力を、メフランギスに渡したのか。
フェレの魔術は身体強化と「粒を動かす」ことだけ。その「粒」を極め、ファリドが書物から仕入れるいにしえの科学知識と組み合わせ熟成することで、超絶魔術を編み出しているのだ。だが、フェレの並みはずれた魔力量には、もっと原始的で直接的な使い道があった……それを譲渡した相手の生きる力を、増幅することだ。
ファリド本人も、クーロスとの戦いで致命傷を受けながら、フェレの魔力を譲渡されることによって生き延びたことがある。その魔力は、聖職者の奇蹟のように傷や病を癒してくれるものではないが「死なないように命をつなぐ」効果が抜群なのだ。
生命をつなぐ力……それは、生きる気力にも通じるのではないか、ファリドはそこに気付く。憔悴していたメフランギスが一晩で変貌したのは、身体を密着させて一晩過ごす間にフェレの有り余る魔力が妃の身体にしみ通り、それが前向きな気力に変換されたのであろう。
「うん、あれは、癖になりそうだわ。ふわっと何か暖かいものに包み込まれて、それからじわっとしみこんでくる感じ、すごく気持ちいいのよね~」
栗色の髪をふわりと揺らして、メフランギスが嫣然と微笑む。彼女が明るい自分を取り戻してくれたのは、確かなようだ。
「妃殿下が大丈夫とおっしゃるなら、ありがたいです。では、まず二手に分かれ、一隊はアミール殿下に急報、残る一隊は第三軍団を離反した五千の勢力にコンタクトしましょう」
「ええ、良いと思います。『軍師』の思い通りに、進めてくださいね」
◇◇◇◇◇◇◇◇
かくして、フェレの意図せぬ活躍のおかげで、王太子妃は一晩で立ち直ったが……
「今晩、フェレちゃんを借りるわね!」
そう言って、メフランギスがフェレを自らの天幕に引きずり込む夜が、その後やたらと増えたことには、苦笑いを禁じ得ないファリドであった。
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