第130話 王太子の手紙
「うむ、アミールはすでに王都を囲んでいるか。私はこの体たらくだが、あいつが王家の名誉を救ってくれたのだな……さすが私の自慢の弟。それにしても、その『軍師』は記憶にないのだが……」
「はっ。元々軍に居た者ではなく、冒険者であった由にて。傭兵勤めをしていた際にアミリ峠の戦にて見事な献策を行い、イマーン将軍にその名を冠せられたと聞いております。アールアーレフ妃の姉君である『女神』と婚姻を約しており、その縁で殿下に仕官したと」
「そうか……孤独であったアミールにも、頼れる家族ができたのだな。安心して、この国を任せられるというもの。では、書状を準備するゆえ、今少し待ってもらおう」
起き上がることすら思うに任せぬ王太子の背中を、リリが素早く近づいて支える。
「うむ、ありがとう。私の右手を残した選択を、反乱軍の連中に後悔させてやろう」
そうつぶやくなり王太子は、地下牢には似つかわしくない最高級のペンをインクに浸し、重厚で上質な紙に走らせ始める。重傷の身とは思われぬ速度で流麗な書体が紡ぎ出され、短い時間に四通の書状が並び、そのいずれにも末尾に美しい花押が付されている。
「この花押ばかりは偽造できぬ。王家特有の魔力を流しているゆえな……闇に生きる者達よ、手間を掛けるがこれを、わが妃に届けてはくれぬか」
「はっ、必ずや」
「うむ、これで何も思い残すことはない……そして、最後の頼みだ。私を殺してくれ。まあ、できるだけ苦しくない方法がよいのだがな」
発熱に侵され、額に玉の汗を浮かばせながらも、そう言って笑う王太子カイヴァーンの表情は、実に穏やかなものだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「そうですか……確かに夫からの書状、受けとりました。皆さん、お疲れさまでした。今宵はゆっくり休むのですよ」
オーランの報告を受けたメフランギスは、表面的にはしごく冷静だった。夫に加えられた凄惨な拷問や、泰然として毒を仰いだ最期の瞬間について聞く際も、表情すら変えなかった。生まれながらの王族というのはこういうものかと、妙な感心をするファリドである。
「一通は私個人宛ね。そして一通は公文書、王位継承権第一位の権限をアミール殿下に渡す旨、記されているはず。あとの二通はアミール殿下と……これは『軍師』様宛ね、はいどうぞ!」
意識してトーンを高めた声をあげ、すぱすぱっと書状を捌いていくメフランギス。だが、彼女が必死で感情を抑えていることに、その場の者はみな気付いていた。最もニブいはずの、フェレでさえも。ファリド達は一礼すると、静かに天幕を出る。
「メフランギス様……」
天幕の傍らから離れないフーリを、フェレとリリがしきりになだめている。木に寄りかかったファリドは、なぜか自分宛になっている王太子の書状をひらき、読み始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「軍師」ファリド殿
貴殿と、パートナーである「女神」殿の戦いぶり、闇の者よりつぶさに聞いた。実に痛快な活躍であった。我が愛する弟アミールへの多大なる助力、衷心より感謝申し上げる。
アミールは幼き頃に母を亡くし、家族の愛を受けることができず育った、孤独な子であった。私は隔てなく交わってきたつもりだが、やはり王太子と第三王子という立場上、その付き合いは家族団らんという雰囲気とは遠いものであったことを認めざるを得ない。
しかし、アールアーレフ嬢と親密に交際するようになってから、アミールは変わった。暇さえあれば彼女の暮らす小さな村に足を運び、帰ってくるとその表情がすっきり晴れ晴れとしているのだ。聞けばその豊かとはいえぬ騎士家で、質素ではあるが心のこもった交わりが得られるのだという。自分にもようやく家族ができたようだと表情を崩すアミールを見て、私も心の底から祝福を送ったのだ。まさかこの大乱において、その「家族」達が信じ難い力を振るい、圧倒的不利な状況を覆してくれるなどとは、予想だにしてはいなかったのだが。
そう、こたびの乱、巻き込んでしまった貴殿達にも、無辜の民達にも大変申し訳ないと思う。すべては私と父王の考えが甘かったゆえだ。
キルスが野心を抱いていること、そして部族に反感を持つ貴族の間で、純血のイスファハン人であるキルスへの支持があることも、もちろん知っていた。だが、時間をかけて徐々に立場を固めて行けば、いずれあきらめてくれようと期待していたのだ。とんだ、勘違いであったわけだが。
しかも私は、第三軍団すら統制できなかった。信頼するイマーン将軍が率いる彼らが、背くとは毛ほども思っていなかった私は、つくづく想像力が足りなかった。この軍団の将官にも不平貴族があまたいることが、少し考えればわかるはずであったのにな。
私は王国を率いるには、甘すぎる男であったようだ。もはやその重たい役割は、アミールに引き継いでもらうより他あるまい。しかし、アミールは私以上に、思いやりがありすぎる……ありていに言えば、私よりはるかに甘い。厳しく叱り、補佐する者なかりせば、いずれ外敵や悪意ある奸臣に、陥れられることであろう。それは、耐えられぬ。
「軍師」殿。貴殿の義弟を、どうか見捨てず導いて頂けないだろうか。自らの力不足で大乱を招いた私の頼みなど迷惑なだけであろうが、貴殿の「家族」として、アミールを守ってはもらえないだろうか。すべてを失った、ただの兄としての哀れな願いを、どうか頭の隅にでも、置いておいて欲しいのだ。
そのお礼というわけではないが、王家の秘密をひとつ、貴殿だけにお伝えしようと思う。それは……。
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