第129話 囚われの王太子
それから三日後の夜。オーランとリリ、そして魔族アフシンは、第三軍団の本拠たる、副都西端の城塞に潜り込んでいた。長年素性を隠して軍に入り込んでいる「ゴルガーンの一族」の一人が、地下に貴人らしき気配ありと告げてきたのである。
「ふむ、かなりの警備だの。我々であれば何とか出入りできようが、ここに王太子が放り込まれておっても脱出させることは無理だのう」
堅固な城壁は手引きがなければよじ登ることもままならず、あちこちに聳え立つ石塔は侵入者をたやすく見つけ、矢の雨を降らすことができる。夜も煌々と篝火が焚かれ、昼は歩哨がそこかしこに立ち、蟻のはい出る隙間もないという言葉がぴったりくる。
「アフシン様の仰る通りとは思いますが、我が主人なら、力技で何とかしてしまうのでは?」
リリの言葉に、アフシンが思わず頬を緩める。
「なるほど『力技』か。確かに、あのお嬢なら、こんな城壁などはぶち壊してしまいかねんのう」
そうだ、フェレが全力で「砂の蛇」を何発か叩き込めば、石造りの城砦とてさすがに耐え切れまい。しかし、それをやってしまっては囚われし者ももろともに地に埋めてしまうであろうし、それこそ第三軍団が総出で立ち向かってくるだろう。ここはアフシンのような闇に生きる者がこっそりと忍び込むのが得策である。
「それで、貴人が居るというのは?」
「その先の地下牢だ」
オーランが沈んだ声で答える。彼は知っているのだ、その牢に入れられて五体満足で戻ってきた者は、数えるほどしかいないことを。
「それならば、儂に任せて貰おうかの」
気楽に宣言した魔族は、山羊の角を揺らしながら、無造作に地下への階段に近づいていく。もちろんその入り口を二人の衛兵が守っているのだが、アフシンに視線を向ける様子もない。
「兄さん、あれって……」
「おそらく魔族の力なのだろう。意識を自分に向けさせない術を持っておられるようだ」
これまで暗視能力しか持っていないと公言してきたアフシンだが、ここのところフェレやファリド、さらに彼らに忠誠を誓うリリ達にも、隠していた自己の能力を次々と見せつつある。それは、フェレとその周りの者に対する信頼の証なのだろうと、ファリドは言っていた。オーランも、改めて深くうなずく……闇に生きる者にとって、自分の手札を明かすことは、命を縮める行為なのだから。
そしていつの間にやら衛兵のすぐ横にまで近づいたアフシンが、細く二股に分かれた不思議な形の暗器を取り出し、まるでシシカバブに串を刺すかのように無造作に首の後ろに突き刺して、瞬く間に二人を冥界に送り込んだ。
「あの爺さんに逆らうのはよそう、長生きしたいからな」
「大丈夫、私達がフェレシュテフ様に忠誠を誓う限り、アフシン様は同志のはずよ」
兄妹が交わす会話を聞こえぬ振りで、アフシンが呑気に戻ってくる。
「うむ、これで衛兵の交代まで三時間ほどは大丈夫のはずだの。参るとしようかの」
◇◇◇◇◇◇◇◇
アフシンがさらに三人、リリとオーランが合わせて三人の看守を片付け、地下牢の最奥部にたどり着いた。だがそこには、予想以上に凄惨な光景があった。
鉄格子の向こうに、確かに目指す人物、王太子カイヴァーンが横たわっていた。だがもうその姿に、王太子として君臨し、軍団を指揮したかつての堂々とした姿の面影はない。
「お、王太子殿下……」
リリが震える声で呼びかけると、その人物はようやくこちらに気づいたかのように顔を上げた。その左眼はつぶされ、頬は鋭く裂かれている。左腕の手首から先、そして両脚は膝から下が失われ、失血で死なぬよう傷口が焼きつぶされた無残な姿を晒している。
「その方らは何者か?」
しかし問い返す言葉は明晰で、声色は威厳を失っていない。アフシンは何の感動も覚えない様子で突っ立ったままだが、リリとオーランは素早くひざまずく。
「はっ。第三王子アミール殿下の義姉たる大魔女フェレシュテフ様に仕え、『ゴルガーンの一族』に属する者。主人と、メフランギス妃殿下の命により、王太子殿下をお救いにあがりました」
軍師ファリドの名前など出したとて、王太子は首を傾げるだけであろう。オーランが手っ取り早くフェレとメフランギスの名を口にしたのは、無理ないことである。
「そうか、メフランギスが……キルスに害されず、無事でいてくれたか、良かった」
「王都で囚われて居られましたが、フェレシュテフ様と、その連れ合いたる『軍師』ファリドがお救い奉りました。すでに副都の郊外まで参られ、殿下が脱出されるのをお待ちしておられます」
脱出とは言ったが……と、オーランは暗澹たる想いを抱く。両脚を失った瀕死の王太子を、厳戒体制をひいたこの城砦から連れ出すことは、いくら闇のあれこれに長けた「ゴルガーンの一族」でも、無理だ。万に一つの望みを以って魔族アフシンに視線を向ければ、ただ横に首を振られただけ。
「そなたらの働きには深く感謝しよう。だが見ての通り、もはや私が脱出するなど不可能事である。私がそなた達に頼むのは、私を早く楽に殺し、その証拠をアミールとメフランギスに届けてくれることだ」
「殿下!」
リリが切なげな声をあげる。王太子はそれに応えず、言葉を継ぐ。
「私が生かされているのは、第一に私の身を盾にすればアミールが攻撃をためらうことが間違いないからだ。そして第二に、キルスに王位継承権を譲る旨の念書を書かせるためだ……その為に右手と片目だけは残してくれたわけだからな。いずれにせよ、そんな目的のためにこの身を使われるわけにはいかぬ。私がここでだらだら生き延びることは、アミールのためにも、国のためにもならんのだ。よいな、私を殺すのだ」
「……」
「妃やアミールに書状をしたためるゆえ、それを届けてもらおう。頼みたいことはそれくらいだな。そうだ、まずは現在の戦況を聞かせてくれぬか……」
拷問を受け、瀕死の傷を受けているにも関わらず泰然とした王太子の姿に、オーランはもう一度深く頭を垂れた。
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