第127話 女神のおまじない

「……あれで、よかったのかな?」


「メフランギス妃の裁定は正しかったと思う。少なくともその場であっさりと首をはねてやるのは、慈悲深すぎるというものだからな」


 少し考え込む風情で、上質のラピスラズリに見まごう瞳を向けてくるフェレに、ファリドはきっぱりと答える。


 派手な美貌と人当たりの良い性格が取り柄で、民の人気を取るには良い妃である、程度にしか思っていなかったファリドだが、今回の処分を見てメフランギスへの評価を改めている。必要な時にはいくらでも冷酷になることができる、やはり青い血が流れる者なのだと。


 将校の処分を委ねられた村人達は、容赦なく残酷な刑を与えた。獣の糞便を塗った草刈り鎌を男の腹に突き刺し、止めを刺さないまま放逐したのだ。間違っても第一軍団の本隊にたどり着けないよう、国境方面に向けて追い立てたのは言うまでもない。


 切り裂いたわけではないから出血は少なく、しばらくは動くこともできる。しかし腹膜の中に汚物が撒き散らされた状態で数時間も経てば、体内に雑菌が繁殖し、腐ってくる。そうなれば地獄の痛みが襲うが、もはや自ら命を断つことも出来ずただ苦しむだけ、すぐには死ねずそれが延々続くのだ。


「執行した彼女は、夫の眼前で乱暴され、あげく夫はなぶり殺されたそうだ。そんな奴らの責任者だったんだ、そのくらいの報いは受けないとな」


「……うん」

 

 そう答えつつ、フェレは気遣わしげな視線を広場の方に向ける。そこには夫や父を殺された女子供が、落ち着かない眼で炎を見つめ、肩を寄せ合っている。


 ファリド達は、救った村に一泊することにしていた。犠牲者は埋葬し、略奪品は元の持ち主に返したものの、村人の恐怖は収まらない。暴兵に荒らされた自宅に戻りたくないがため、村の中央広場に焚かれた火を囲んで震えている者が、多数いるのだ。急ぐ旅ではあるが、今晩くらいはフォローをせねばならぬだろうと、ファリドも諦めている。


「……あの人達に、何か力をあげたい」


 ファリドは、意外な思いでフェレを見た。人生最大の目標であったアレフの治癒が果たされて以降、彼女はすっかり受け身の女性になっていた。積極的に何かを望むことはほとんどなく、ファリドを信じその言葉に従うことに喜びを感じている風情であったのだ。そのフェレが、村人の心を救いたいと、はっきり意志を示している。ファリドが無性にその思いを叶えたい気分になってしまうのは、無理からぬことであろう。


 しばらく沈思していた彼は、フェレを伴ってメフランギスの天幕を訪った。


「あらあら、今日は大活躍だったわね、お疲れ様でした。早く休まなくて、いいのかしら」


「ええ。妃殿下にはお疲れのところ申し訳ありませんが、もう一幕、演じて頂けないでしょうか?」


「あら、何かしらね?」


 メフランギスの澄んだ青い瞳に、興味の色が浮かんだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 寛いだスタイルで眼の前に現れた王太子妃に、めそめそ泣いていた女達が慌てて平伏しようとする。


「いいのよ、今日はたくさん辛い思いをしたのだから、余分な気を遣わないでね」


 メフランギスの掛けた言葉に、また新たな涙を流し目を伏せる女達。しかし彼女達は、王太子妃が発した次の言葉に思わず顔を上げた。


「ねえみんな、心を癒すおまじない、してみない?」


「おまじないですって?」

「そんなものがあるんですか?」

「こんなひどいことされちゃった私たちの心を癒すなんて……」


 女達の疑問の声を聞き終わったメフランギスは、花が開いたような微笑を浮かべて、言葉を継いだ。


「あなた達、水と生命の女神アナーヒターが降臨されたという噂を聞いていないかなあ?」


「あっ! 私、街に出た時に聞きました! 黒髪の乙女に依りし女神様が、慈雨をもたらして山火事を鎮め、裁きのいかづちを下して逆賊軍を撃ち倒したって! あれは、ただの噂なのだと思ってました!」


「ふふっ。信じられないのも無理はないわね」


 弾けるように立ち上がった娘の言葉に優しく眼を細め、王太子妃は続けた。


「そう、女神様が降臨されたのは本当。何で言い切れるのかって? だって逆賊に囚われていた私自身が、女神様ご自身の手で救われたのだもの。そして、アナーヒター様が依りし黒髪の乙女は……たった今、ここにいるわ」


 女達はメフランギスの言葉に引き込まれ、その視線の先に眼を向けた。そこには、安定の無表情でたたずむ、フェレの姿があった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「あなた……様が、女神アナーヒターなのですか?」


「……自分では、わからない。だけど、みんながそう言う」


 フェレの返答は、相変わらずのぶっきらぼうなものだ。だが王太子妃の女優ぶりにコロっとダマされた女達の眼には、その姿が現世のあれこれを超越し泰然とした女神の姿に見えてしまう。


「女神様はね、まだ完全に覚醒されておられないの。だけど、みんなに癒しを与えることはできるわ、怖くないから、試してみない?」


「わ、私にお願いしたいですっ!」


 真っ先に声を上げたのは、最初に助けた母娘の、娘のほう。眼に涙を浮かべながら、一心にフェレを見上げている。


ーーーまあ、ダマされやすいお年頃だからちょうどいいか。


 そんな失礼なことをファリドが考えていることは、誰も知らない。


「……任せて。身体の力を抜いて……」


 フェレが娘の頭上にかざした手から、何やら白っぽい霧、いや靄のようなものがゆっくりと発せられる。その靄は焚火の揺らぐ光を反射して神秘的な橙色の煌めきを無数に放ちながら、やがて収束し有翼妖精の象をとった。その透き通った羽根がはたはたと動くたびに、焚火の橙色とフェレの蒼いオーラが複雑にグラデーションをつくるさまに、娘は眼を丸くし、やがてうっとりとした表情で、緊張を解く。


「……我、汝を癒し、浄めようぞ。そして、今後の人生に幸あらんことを願おう」


「女神様……っ!」


 もはや娘がフェレを仰ぎ見る視線は、崇拝に近いものとなっている。周りの女達も眼を輝かせて、次々に声をあげる。


「何て綺麗なの……」

「本当の……女神様なのね」

「女神様、私にも祝福をください!」

「どうか私にも!」


 安定の無表情だったフェレの口元が、少し緩んだ。

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