第125話 微行
「ふふっ。モスルにいた頃はお転婆もたくさんやったけど、野宿なんて体験初めてね。わくわくしちゃうわあ」
「……そんなにいいものとは思いませんが……誰と一緒か、によります」
澄んだ青い瞳をキラキラさせながら栗色の髪をかき上げ、活き活きと感動を語るメフランギスに、安定の感情乏しい表情で答えるフェレ。疎林を縫う間道をたどる副都への旅も三日目、人見知りのフェレもようやくこの活発な王太子妃になじんできたところである。
お転婆と自称しつつも雲の上の生活に慣れた女性だ、本当に大丈夫だろうかと一行の男性陣は気をもんでいたが、ふたを開けてみれば何の心配もなかった。
馬の扱いなどはフェレより余程巧みで、体力も十分だ。出発前に「試験」と称して持久走などをやらせても、装備を着けなければファリドより速い。そして槍の腕前は、二十合も打ち合えば彼のシャムシールを叩き落とすレベルであった。
「お妃様じゃなく女将軍がやれるじゃないか。とんだじゃじゃ馬だったわけだな」
「王太子様は、お姿だけではなくそういうところにベタ惚れなのですよ」
ため息をつきつつ賞賛のつぶやきを漏らすファリドに、フーリが合いの手を入れる。彼女自身も職務上だけではなく、本気でこの主人のキャラに惚れているのだ。
とはいえ生活面に関しては何でもかんでも使用人にやらせるのが前提という雲の上の身分に育ったメフランギスである。身の回りに関してはフーリとリリ、そしてフェレがああだこうだと世話を焼くことになる。万一の場合の主力として不寝番免除となったフェレが結果的に妃と一緒にいる時間が最も長くなり、明朗活発なこの妃の側からぐいぐい距離を詰められているここ数日なのである。
「……お茶、どうぞ」
「フェレちゃん、ありがとう! 火が使えないのに暖かいものが飲めるなんて嬉しいわ!」
メフランギスの驚きはもっともである。あくまで隠密行であるこの旅では、火を焚いて煮炊きすることも、湯を沸かすことも控えなくてはならない。しかしフェレの魔術にかかれば、鍋のまわりに超高温の風を吹かせることで、湯も沸かせれば料理もできる。
「……役に立つようになるまで、一杯練習しましたので」
そう、熱風魔術を覚えたての頃は魔力の出力調整がまったくできずいつも全開でぶっぱなし、料理をしようとしてもあたり一面を炭に変えていたフェレなのだ。しかし一緒に旅するファリドの喜ぶ顔が見たい一念で鍛錬を続け、今や正確に鍋の底だけに熱風を循環させて、急速湯沸かしする時とじっくり煮込む時の使い分けもできるところまで魔術制御力を上げてきたのだ。フェレにとっては雷を操り数万の敵を屠る超絶大魔術よりも、こうして美味しい茶を沸かす魔術の方が重大なのである……それは、ファリドに幸せを与えられるという一点のみの理由において。
「それは、あの方のためね?」
「……はい」
ぶっきらぼうに短く答えつつ、フェレの白い頬が桜色に染まる。王太子妃は仲の良い妹を見るように、その眼を優し気に細めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ファリド達がたどる間道沿いにも、もちろん小さな村が点々と在る。巡回の兵がいないことを確認しては村に入り、新鮮な食料を仕入れたり、敵勢力の情報を得たりするのである。ここまで立ち寄った村に敵兵がいたことはない。王都と副都の間に遊弋する第一軍団兵はわずか三千ばかり、大きな街を支配するがせいぜいで、街道を外れた村に常駐する余裕はないのだから当然である。
だが今日立ち寄ろうとした村は、様子が違った。村まであと十数分というところで、息せき切って走ってくる姉弟にであったのだ。
「どうしたのだ? 虎でも出たのか?」
「冒険者様! 父さん達を助けて!」
オーランの声掛けに、必死で叫び答える少年。只事でない雰囲気にまずは馬を隠し、姉弟を疎林にいざなって話を聞く。
「兵隊が二十人くらい来て、金目の物を出せって」
おそらく第一軍団の残党と思われる兵士達の暴挙に、最初村人は諦めの心境で素直に数少ない財物を差し出した。だがその要求が若い女の身体に及んだ時、村の男達は敢然と抵抗し、女子供を逃すため鋤や木棒で挑んでいった……完全武装した正規軍兵に向かって。
「賞賛すべき男達だが、勝算はないな……主よ、どうしますかな?」
オーランの言葉に合わせるように、一行の視線がファリドに集まる。
「この一行で最高位の方は王太子妃殿下だ。メフランギス様、いかがです?」
「戦いに関することは『軍師』に任せます、私は素人ですから」
投げた球をあっさりと投げ返された形になったファリドは、忙しく思考を巡らせる。
どう考えてもここで敵と事を構えるのは得策ではない。目指す副都はまだ遠く、そこに至る道程には打ち減らされたとはいえ数千の第一軍団兵がひしめいているのだ。ここで目立つことをすれば明らかに、自分達の存在を敵に教えるリスクを背負うことになる。
彼らのミッションは第三軍団とつなぎをつけることであって、たまたまぶつかった暴兵を懲らしめることではない。この種の略奪など戦場ではよくあること、この姉弟は保護するとしても村人達までは……と考えつつ視線を回せば、あちこちに擦り傷をこさえた少年の前にしゃがんで、甲斐甲斐しく手当てをしているフェレがいる。そして彼女は、まるで仔犬のように何か不安げな瞳を上眼遣いにファリドへ向けてきて……口には出さぬが何を言いたいかは、よくわかる。
「……リド」
「はぁ〜っ……わかったから、そんな眼で見るな。やるからには、完璧にやるぞ」
「……うんっ!」
安定の無表情を崩して顔を輝かせるフェレ。ため息をつきつつ意を曲げたファリドも、その笑顔を見て「まあ、いいか」という気分になるのであった。男なんてものは、ちょろい生き物である。
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