第124話 お転婆王太子妃

 動かぬ第三軍団に繋ぎをつける役目は、結局ファリドが引き受ける羽目になった。


 考えてみれば、これはかなり難しいミッションである。大軍をもって副都までの広大な領域を平定して回るのが確実な戦略だが、それは政治的に避けなくてはならない選択肢だ……これ以上単独での軍事的成功を収めることは避けたいアミールなのだから。


 そうなると小規模の目立たない部隊で未だ敵の支配が解けていないエリアをこそこそとすり抜けつつ、副都に向かうしかないということになる。普通の騎士たちには困難な道のりになるであろう。


 副都に着いたら着いたで、第三軍団を今支配しているのが、親アミール派とは限らないのだ。相手に気取られぬよう軍団の状況を探り、そのままコンタクトするか逃げ帰って復命するかを、判断せねばならない。現場でこれほど高度の判断を要求する任務を遂行できるのは、かなり脳筋の傾向が強いアミール軍団においては、確かにファリドくらいしかいるまい。


 前途の困難さにため息をつくファリドであるが、その表情にはやや朗らかさがのぞいている。何しろこれからの任務は、いかにも冒険者向きのものなのだから。人里を避け野山を駆け抜けて秘密のメッセージを届けるような依頼は、彼にとって長い間親しんだものだ。


「懐かしいな。冒険者の頃に戻ったようだ」


「……そうだね」


 大ぶりの襟が印象的な深紅のシャツと、タイトにフィットしたダークカラーのパンツを身にまとい、魔法付与の革ジャケットをふわりと羽織ったフェレが、安定の無表情を崩して薄い微笑みをファリドに向ける。彼女にとって冒険者生活のほとんどは辛いものであったはずだが、その冒険者という仕事が妹アレフを救い、自らの魔術を開花させ、そして愛する男に引き合わせてくれたのだ。


「……このまま、二人で旅できたら素敵なのに」


 やや頬を桜色に染めたフェレの呟きに愛しさが込み上げるファリドだが、二人きりで行けるはずもない。野営続きの旅だ、不寝番のシフトを二人で組んでいたら、睡眠不足でおかしくなってしまう。


 普通の兵士に向かない隠密任務ゆえ、ほとんどの同行者は部族軍に頼み込んで選んでもらった「ゴルガーンの一族」だ。軍隊には向いていない彼らだが、偵察させて良し、誘拐や暗殺させて良し、どのような困難でも眉一つ寄せずに耐える、まさに闇のお供として彼ら以外の者はない。


 ファリドとフェレ、そしてなぜか懐いてしまった魔族アフシン。そして「ゴルガーンの一族」が七名。その中にはもちろんフェレとファリドを主と仰ぐ兄妹オーランとリリがいるが、なぜか王太子妃付き侍女として実質警護を行っていたフーリという名の娘も加わっている……なんとこの隠密行に彼女の主人たる、王太子妃メフランギスが参加しているからなのだ。


 こうなった事情を語るには、多少時間をさかのぼらねばならない。


「私も軍師と共に、副都に参りますわ!」


 いきなりそう主張した王太子妃に、アミールはじめ第二軍団の首脳陣は文字通り眼をむいた。


「いや、義姉上。副都までの道程はまだキルス派が制圧しているのです、危険極まりない。妃殿下に万一のことあらば、カイ兄に向ける顔がなくなってしまいます。どうか、頼れる軍師ファリドにお任せあれ」


「アミール様の仰ることは、よくわかります。しかし考えてみてください、第三軍団の動きがおかしいことは衆目の一致するところ。そこに我が夫カイヴァーンの意向が働いている可能性もありますわね? 我が夫がアミール様と敵対するとは思えませんけれど、狡知の者に騙されている可能性もあります。説得して正しい方向に戻す者が必要ではありませんか? そのために一番適任なのは、私なのでは?」


「ぐっ」


 妃の合理的な反論に、言葉を詰まらせるアミール。確かに、王太子カイヴァーンが何かの誤解に基づいてアミールとの合流を避けているのであれば、彼が信頼する者の口添えが必要であろう。その最適任が、側室の一人すら娶らずひたすら溺愛していると言われる妃メフランギスであることは、間違いない。


「しかし、目指す副都は遠く、間道を縫うように行く辛い旅です。とても王宮暮らしの御方に耐えられるものでは……」


「僭越ながら、その点は大丈夫かと思われます。メフランギス様はモスル王国の王女であった頃より槍と騎馬の達人として知られた御方、現在でも毎日の鍛錬を欠かしておられません、並みの兵士よりよほど頼りになりますわ」


 押されつつも抵抗するアミールの言葉を受けたのは、意外にも妃の侍女であるフーリ。彼女の素性を知っている首脳陣達が、眼を見開く。闇の仕事を生業とするこの侍女が推すのであれば、確かな腕前を持っているのであろうと。


「いや、うん、あの……ファリド兄さん、どう思う?」


 急に自信無げな表情になって、すがるような視線を投げてくるアミールの姿にため息をつきつつ、ファリドも心を動かされていた。


 自らの冒険者としての経験、加えてゴルガーンの一族の助けあれば、副都までたどり着くことはできよう。しかしファリド達には、王太子との面識はない。アミール軍の状況や彼の意図するところを語ったとて、信用されるには多大な努力が必要となろう。しかし、もし妃が同行すれば……その問題は存在しなくなる。十を数えるほどのあいだ眼を閉じて考えていたファリドが、ゆっくりと口を開いた。


「お願いいたしましょう。但し、本当に微行に耐えられるかどうか、確認させていただきますが」


 アミールを含めた首脳陣はファリドの言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべたが、反対の声をあげる者は、もういなかった。

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