第120話 復帰

 実家で過ごすのんびりした時間は、残念なことにそう長く続かなかった。


 盟主たるアミールが前線を留守にしてまったりとメフリーズ村で過ごせたのは、ほんの短期間だけだった。三日目の夜にはもう総指揮官のバフマンから催促の使いが来て、さすがに呑気な彼も、腰を上げざるを得なくなったのだ。無論、妃たるアレフを伴っての復帰である。


 アミールより数日間長く休暇を過ごせたファリド達だが、結局巻き込まれる羽目になった。すでに軍を完全離脱したつもりになっている彼だが、ものの二日もするとアミールから復帰の要請が入ってくるのだ。最初はお願いだったものが次第に催促になり、やがて懇願に変わる。そして、最後は部族軍を束ねているはずのシャープールが、直接フェレの実家に押し掛けてくる仕儀となった。


 ファリドにしてみれば、もう自分の役割は終わったと思っている。すでに第二王子派とのパワーバランスは完全に逆転して、勝利は時間の問題だ。これからは王都への物流を締め付けつつ、じわじわと降伏に追い込んでいけばよい。騎馬突撃を旨とする部族軍には不本意な戦い方ではあろうが、それが一番犠牲を少なく勝つ方法なのだから、仕方ない。


 このような持久戦ではファリドの献策も、フェレの超絶魔術も用をなさないであろう。もはや十分すぎるくらいアミールの戦いに貢献したと自負しているし、もうこれ以上は過重労働じゃないかというのが、望まずして「軍師」扱いされた、彼の思いである。


「そういうわけには参らぬ。『軍師』たるもの、戦の帰趨を見届けるまでは盟主アミール殿下の帷幄に在ってもらわねば困るというもの」


「もう俺の出番は、ないと思うんだがなあ」


「ことは『軍師』殿だけの問題ではないのだ。兵士どもは、おのれを導く『女神』様を渇望している。持久戦は黙っていれば士気が下がるもの、ぜひその神々しきお姿を、見せてやってもらいたいのだ」


 シャープールのその言葉には、説得力がある。王家への忠誠心乏しい部族軍は、この混乱状況で戦場にとどまっている理由を持っていない。彼らがまだアミール軍に……もはや第二軍団と言うよりこの呼び方の方が適切だろう……主力として残っている原動力は、ちょっぴりの「軍師」ファリドに対する信頼、そしてそのほとんどは、彼らが女神アナーヒターの化身と呼ぶフェレに対する、信仰とでも呼ぶべきもの。アミールはよき主ではあるが、人格者であるだけでは、癖の強い彼らを抑え切ることはできないのだ。


「義弟たるアミール殿下には、まだ我々部族軍の力が必要でござろう。数日のうちなら説得で留め置けると思うが、それ以上はなあ……」


 ここまで来ると、完全に脅迫である。「軍師」ファリドは大きなため息を一つついて、敗北を認めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「全員その場で聞け! たった今、『軍師』殿と女神アナー……おっと『大魔女』殿が帰参された!」


 五万の兵が起こす、地響きのようなどよめきが、駐留地を埋める。ひときわ高い指揮台に立つファリドとフェレにも、兵士たちの喜びが、直接伝わってくる。


「大魔女殿の御尊父と御母堂様が、卑劣な第二王子派に拉致されたのだ。お二人はご両親を救うため敢然と敵地に潜入し見事奪還を果たされ、こうして我々のもとに戻ってこられたのだ! 軍師、大魔女と共にあらば、もはや勝利は疑いなし!」


 再びうおおっという歓声が兵士たちから上がる。


「確かに、軍師と大魔女が来てから、連戦連勝だな!」

「あの軍師の智謀は大したものだ、本拠地を出てから兵は倍増しているからな」

「いや、やはり大魔女……いや女神様の超絶魔術あってこそだ!」

「女神さまぁ!」

「フェレたん、萌え……」


 めいめい勝手なことを言っているが、兵士たちがこの二人を勝利の象徴として受け止めていることは、間違いない。いつもの無表情でぼぅっと群衆を眺めていたフェレがふと口許を緩め、シャムシールをすらりと抜いて、真っすぐ前方に差し出した。兵士たちの盛り上がりは、最高潮に達する。


「諸君も本拠地や家族のもとを離れ、辛いであろう。しかし王都の住民を傷付けぬため、今少し持久の戦をせねばならぬ。大丈夫だ、二人が我が陣営にいる限り勝利は疑いない。我々はじっくりと第二王子派を追い詰め、開城に至らしめるのだ!」


「おう!」「やるぞ!」

「持久戦の方が被害が少ないからな!」「そうだな、生きて帰らねえとな!」

「おまけに女神様の加護まであるぜ!」「アナーヒター様ぁ!」

「よしっ、アミール殿下のために、もう少し頑張るか!」

 

―――なるほど、うまいものだ。


 ファリドも得心する。ここまで破竹の勢いで連戦連勝してきた兵士たちは、王都をひたすら囲む静かな戦に、倦み始めている。彼らにもう一度気合を入れるには、「女神」の化身たる乙女の姿が最もふさわしい。自分が彼女の「おまけ」であることを、ファリドはもちろん理解している。


―――ここに王太子率いる第三軍団が合流すれば無敵だが……ちょっと遅いような気がするな。


 ファリドの頭をよぎった懸念は予想以上に深刻であったのだが……彼らがそれを知るのは、後日のことになる。

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