第118話 リリの特訓
ファリドのシャムシールが鋭く斬り降ろすのを、アミールの長剣がはじき返す。返す刀で打ち込むアミールの攻撃を、ファリドが素早く飛び下がってしのぎ、姿勢を低くして反撃する。受けるアミールの額からも、汗がしたたる。最近、こうしてアミールがファリドの鍛錬に胸を貸すのが、朝食後のルーティンとなっているのだ。
「う~ん、ファリド兄さんは急に上達したよね。油断すると一本取られちゃうな」
アミールの台詞は、油断しなければ決して取られないと言う自信の表れだが、さわやかで嫌味を感じさせない。うなずくファリドもそれを当然のように受け取っている。
それもそうだ、彼はこれまで冒険者十人で剣技を競えばいつも安定の二番手程度。軍の大会で毎回五指に勝ち残るというアミールとは、レベルが格段に違うのである。とはいえファリドもアミールとの立ち合いで自らの刀技が洗練されてきていることを、日々感じている。今なら冒険者十人中の一番が、二回に一回くらいは、取れるかも知れない。
「俺のシャムシールは、きちんと師について習ったものじゃなく、生き残るために自己流で身につけたものだからな。きちんと基礎に裏打ちされた正規軍の剣術に触れることで、得るものは大きかったということだろう。まあ、これ以上上達するのは、難しいけど」
ファリドは無論自分の才能限界をよくわかっている。一種の天才であるアミールに師事したとて、彼がシャムシールを振るうことで英雄になることは、決してないだろう。皆が彼に求めるのは腕っぷしではなく、その頭脳に蓄えられた知識と、発想力なのだ。それでもファリドは近接戦闘の腕を磨くことをやめるわけにはいかない……大切な人を、守るために。
「それでも兄さんは凄いよ。正直なとこ、軍でもここまで僕を追い込んでくる剣術の持ち主は、なかなかいないからね……」
「うん? それじゃアミールは、正規軍内じゃ敵なしってことか? 大会成績はせいぜいベストスリーくらいだと聞いたが」
ファリドの疑問に、アミールは破顔する。
「あははっ、本気を出せば誰にも負けないけどね。僕が大会で優勝したって、栄誉にも励みにもならないじゃないか。優勝の杯は、日々の苦しい訓練で実力を磨き上げた、普通の将兵が獲るべきものだと思うんだ。だから僕は部下に威厳を示すに必要なところまでは勝ちあがるけど、優勝候補と当たったところで、うまく負けて見せるわけ。それが王族としての配慮なんだよ」
確かに、アミールが剣術大会で優勝しても、それが彼の価値をそれほど高めるものにはならないだろう。彼に求められているのは多くの部下を束ねる統率力であり、包容力であるのだから。もともと細かいところまで気が付く気配り王子ではあったが、実力を隠してまで部下の士気に配慮する姿には、さすがにファリドも感心しきりである。
「おっ、姉さんとリリも、始めたね!」
アミールの声に視線を上げると、これも最近のルーティンとなっているリリとフェレの模擬戦が始まっていた。
「だけど、あれはどういう訓練なんだろう? 姉さんの訓練には、なっていないように思えるけどなあ」
じっと見つめるアミールは、納得いかない表情だ。その鍛錬風景はフェレが常人を超えたスピードでひたすらものすごい数の打ち込みを行い、リリは決して反撃せずひたすら避け、払うだけなのだ。
「殿下のおっしゃられる通り、あれはリリのためだけの特訓なのですよ」
気配を消していたリリの兄オーランが、不意に現れて王子の疑問に答える。リリとオーラン、「ゴルガーンの一族」として闇仕事に従事していたこの兄妹は、フェレとファリドを生涯の主と定め、リリは侍女として、オーランは風景に溶け込んで二人の背中を守っているのだ。
「主が護衛を訓練するとか、あまり聞かないがなあ」
「ええ、慈愛溢れるフェレシュテフ様なればこそ。妹がこれまでの戦い方ができなくなってきたことに悩んでいるのを見て、手を差し伸べてくださっているのです」
オーランは続ける。リリの戦い方は、身の軽さと並外れた敏捷性を活かしたものだ。ひたすら敵の攻撃を避け、焦って隙ができたところに鋭く致命傷を送り込むのが、お約束である。先日ダリュシュ達を救った際に使った軽業師のような壁登りも、得意技の一つだ。
しかし、十代も後半になると好むと好まざるとにかかわらず、身体が少女から女性のものに変わる。華奢で筋肉質だった身体にふっくらとした丸みが加わり美しくはなるが、軽快なジャンプ力や敏捷性は失われていく。「ゴルガーンの一族」ではそれを嫌って成長を止める薬を服む娘もいるが、それは確実に寿命を縮める行為である。
「女の姿でなければできない闇仕事はたくさんあります。たった今させていただいている、侍女としてのお務めもしかり。そういうものに切り替えていけばよいことなのですが……妹は納得できないようでして」
かくしてリリは、速度に特化して身体強化を掛けたフェレの攻撃をひたすら避けることで、失われていく自らの敏捷性を、必死でつなぎとめようとしているのだという。フェレが十回ほども打ち込めば一回は避けきれず、リリはそのたび倒れては再度挑んでいく。
「なるほどな。今まで拠って来たところが崩れるのは、不安なものだが……」
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