第116話 一歩前に

 ワインも入って、夕食の席は益々賑やかだ。


 アフシンやリリ達も、別室で同じメニューを振る舞われているはずだ。先程フェレが、とっておきであるらしいワインを地下室から持ち出してアフシンに届けていたのを、ファリドは見逃していない。


―――まあ、今回の殊勲はアフシンだからな。それに……普段からああやってフェレがあれこれ世話を焼いていたからこそ、あの気まぐれな魔族が俺達を助けてくれたんだろうし。


 人見知りがちなフェレが、アフシンやリリのような闇の者にやたらと懐くのはなぜなのか、ファリドにも良くわからない。


―――人付き合いが苦手なぶん、人間の本質が見えるのかもしれないな、フェレには。


「どうしたのであるか婿殿? 何か気になることでも?」


「あ、すみません父上。ちょっとぼうっとしていました」


 ファリドのいつもにない様子を気にしたらしい父ダリュシュが声をかける。大ざっぱに見える義父だが、人生経験豊かで細かいところに目が届く男なのだ。


「ちょうどアミール殿下に、世継ぎはそろそろかと伺っていたところでなあ」


「まあ、そのへんは自然に任せるというか。もう少しアレフと仲良くやりたい気持ちもありますし、兄と違って世継ぎを急ぐ立場でもないので」


 ややデリカシーに乏しい父ダリュシュとて、娘の下半身事情を聞きたいわけではない。王太子カイヴァーンに跡継ぎがまだいない今、第三王子たるアミールが先に子供をもうけることには複雑な意味があるからだ。問いの真意は、王位争いに関わる気があるのか、ということなのだ。アミールもそれを理解し、ややオブラートに包んだ答えを返している。簡単に割り切れる問題ではないのだ。


「僕らには子供をつくるにもいろいろしがらみがあるけど……兄さん達は自由だよね。そろそろ子供欲しくならない? あ、まずは結婚式を早くやらないといけないか」


 微妙な話題を柔らかくぶった切ろうと、アミールはファリドとフェレに水を向ける。子供がデキるような真似はしていないとファリドが口に出そうとしたとき、何本目かの鶏焼き串をつまみ上げながら、フェレがぼそっと言った。


「……まあ、いつ出来ても不思議はないよね」


「お、おいフェレ。俺たちはまだ子供ができるような行為というか振る舞いというか……してないだろ?」


 フェレの爆弾発言を慌ててファリドが打ち消そうとするが、フェレが追い討ちをかます。


「……大人の男女が一緒に寝れば、子供ができるのは当たり前のはずだけど?」


「いや、まあ、そうなんだが……寝ると言ってもそれは眠るという意味じゃなくてだな」


「……それ以外の意味ある?」


 何やらコントのような掛け合いに最初は笑っていたアレフの表情が、途中から凍り付いたようにこわばる。母ハスティに至っては、顔から血の気が引き始めている。


「ちょっと姉さん、こっち来てっ!」

「そう、母さんとお話をしましょう……急ぎでね!」


 そして、串焼きを頬張ったままのフェレは、やたらと焦った様子の二人に連行されて行ってしまうのであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 しばらく後、アレフとハスティは何事もなかったかのように食事を再会したが、フェレは戻ってこなかった。


「姉さんは、ちょっと食べすぎちゃったみたいで」


 アレフの取ってつけたような説明は、明らかに嘘だ。払いがファリドの財布であれば串焼きなどは二十本くらい軽く平らげてしまうのが、フェレなのだから。そう思いながらも、それ以上突っ込むなというようなオーラを出しまくっている彼女に押され、口をつぐむしかないファリドである。


 そしてアレフは、メフリーズ村を逃亡してからザーヘダーン城砦に逃げ込むまでの苦難、そして王都に向けた反攻とフェレの活躍に、話題を変える。彼女が活き活きと語るリアルな冒険譚にダリュシュとハスティ、そしてアミールまで惹き込まれ……いつしかなし崩しにフェレ不在のまま、一家の団らんは解散と相成った。


―――いったいフェレは、何をやっているんだろう?


◇◇◇◇◇◇◇◇


 アミールとアレフが新築の離れに泊まることで、母屋の二階を使うのはフェレとファリドの二人だけになっている。階段を上ったファリドは、フェレの私室に気配があるのを感じて、まずは安心する。


―――いろいろ、疲れたんだろうな。まあ今日は寝かせといてやろう、俺も疲れた。


 自室のベッドに入ってほどなく酒精の働きもあって眠ってしまったファリドだが、傍らに立つ人の気配にふと目覚めた。


「う、あ……フェレか。一緒に、寝たいのか?」


 常ならば有無を言わさず隣に滑り込んでひんやりした脚を絡めてくるはずのフェレが、遠慮がちに立ち尽くしていることに不審を覚えつつ、ファリドは誘ってみる。


「……う、うん」


 素直に寝具に入ってくるものの、何かいつもと違うおずおずと恥じらったような様子に、調子を狂わされるファリドである。そしてフェレはいつものようにいきなり密着してくることもなく、身体を離したまま、ファリドの右腕を控えめに掴んでいるだけ。


「どうしたんだ、フェレ?」


「……」


「夕食途中で出て行ったから、具合が悪いのかと思ったが、大丈夫なのか?」


「……それは、大丈夫」


「じゃ、何があったんだ? アレフ達と何を話してたんだ?」


 しばしの沈黙が二人の間に訪れる。


「………………ごめん、リド」


「何で謝るんだ?」


「……私は、大人の男女が……一緒に寝ることの意味を……分かってなかった」


「うん、そうじゃないかとは、思ってた」


 ファリドは得心した。あの後、母と妹でこんこんと「大人の常識」をフェレに教え込んだのだろう。そしておそらくショックを受けたであろうフェレは、こんな時間まで部屋の中に引きこもっていたというわけだ。


「……リドに、いろいろ我慢させて……しまったみたい、なんか、ごめん」


「いや、そこはフェレがそういう気持ちになるまではと……」


「……いいよ」


「えぇ?」


 思わず間抜けな声を出してしまうファリド。


「……リドのしたいように、して欲しい。私は……リドの妻として、隣にいたいから」


 薄明りの中でも、フェレの頬が紅潮しているのを感じる。二人が次の段階に進むのを妨げるものは、もうなにもなかった。


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