第113話 魅惑という名の王太子妃

「先程のあれは、一体何が起こっていたのであるか?」


 父ダリュシュの呈した疑問は、もっともである。


「ああ、まず灯りの消えた理由ですね。フェレには何かあったら、ランプをすぐ消すように言ってありましたから」


「しかしフェレはここにうずくまっていたはずであるが? どうやって?」


「ええ、以前にお見せした『烈風』の応用です。フェレは空気の粒を動かして風を起こすことができますが、ランプシェードの中にだけ小さく風を生んで火を吹き消すこともできるのですよ。あらかじめ灯りの位置を把握していればの話ですがね」


 そう、ファリドの言いつけに忠実に従って、フェレは部屋に踏み込むとすぐにランプの位置を瞬時に確認し、気合を入れれば即時に灯を消せる準備を整えていた。しかし、捕らわれた両親の姿を見てその指示が頭からすっ飛んで行ってしまったのだ。ファリドがフェレを守るため敵兵に組み付きその命が危地にさらされたとき、ようやく我に返って準備していた魔術を発動させたという、実にヒヤヒヤものの状況であったのである。


「幸いというべきかこの部屋には明り取りの窓もない。ランプを消してしまえは真の闇……そうなれば自由に動けるのは、魔族たるアフシン殿だけになるわけですので」


 期待通り、闇が訪れてから十も数えぬ間に、アフシンは三人の敵を片付けてくれた。


 その手際の良さを見れば、彼が「夜目が利くだけ」の理由で軍に雇われているのではないことを想像することは、ファリドにとって難しくないことだ。決して油断できない魔族ではあるが、彼がファリド達を救ってくれたことは動かせぬ事実。もはや信頼するしかないであろうというのが、ファリドの結論である。


「アフシン殿、改めてお礼申し上げる。俺達みんなを救ってくれて、ありがとう」


「む、うむ、まあ……今後ともよろしく頼むということだの」


 何やら照れたような答えを返すこの魔族、実のところは自分でも理解しがたい気分になっていた。


 魔族である自分とも隔意なく接するフェレがなんとなく気に入ってこの二人の無謀な行動についてきたものの、その時は単なる興味だった。しかし自分と似た役割を持つ「ゴルガーンの一族」が彼らに嬉々として従いその指示を果たして行くのを見て、なぜか心がざわついた。そして新たな思いが、アフシンの中に湧き出てきたのだ。


『この主人の望みをかなえたい。かけがえのない配下として認められたい』と。


 常に色眼鏡で見られ、事あることに恐れられ疑われてきたアフシンにとって、人間は契約と金銭で付き合う相手であって、忠誠を捧げる対象ではなかったはず。だがこの二人は最初から、もとは敵対していた自分を自然に受け入れていた。つい期待してしまうのだ……彼らの傍が、自分の居場所になりうるのではないかと。


 そんな想いを抱いた自分に戸惑うアフシンの手を、フェレが取った。


「……ありがとう。リドを助けてくれて。父さんも母さんも……そして私のことも。あっ、感謝は言葉だけではだめだよね……アフシンの望みは、何かないの?」


「ふむ、そうよの。明日の夕食には、極上のマナ酒をつけて貰おうかの」


 何やら胸がふわりと暖まるのを感じつつ、にやりと笑みを浮かべて応える魔族であった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 最も大きい中央の部屋に監禁されていた王太子妃の救出は、両親のそれよりはるかに容易だった。すでに敵兵はいない。扉にはリリの盗賊技では解くことのできない魔術鍵が掛かっていたが、父母の無事に高揚しているフェレが「炎熱」の魔術で扉そのものを焼き切るという荒業で突破した。


「いやはや、嬢ちゃんは出鱈目だのう」


 呆れたような感想を漏らすアフシンの脇を風のようにすり抜けたフーリが、真っ先に部屋に飛び込む。


「メフランギス様っ!」


 娘が飛びついたのは、外の大騒ぎに気付いて寝台から身を起こしていた王太子妃。栗色の髪に澄んだ青い瞳、西方系の顔立ち……化粧をしていない顔には監禁の疲れが色濃いが、それでも十分に人目を惹く。魅惑を意味するメフランギスという名の通り艶やかな、二十代半ばの派手系美人である。王太子との間に子はまだないが、側室を置くこともなく妃ひとりを溺愛しているのだと伝えられており、それもうなずける美貌だ。


「よくぞ御無事で……」


「フーリ、こんなところまでよく来てくれましたね。この方たちは?」


 その胸に抱いた娘の頭を愛しげに撫でながら、派手な見た目に似合わぬ落ち着いた声で王太子妃が問う。


「はい、とても強い、お味方です。アミール殿下の命を受けて動いておられます」


 この作戦はアミールの意思とは無関係なのだが、そう言っておいた方が王太子妃には通じ易かろうと、一同を代表しファリドがうなずいて後を続ける。


「王太子殿下は第三軍団を率いて王都に向かわれるはず。すでにアミール殿下率いる第二軍団が第一軍団を打ち破り王都に迫っています。ひとまずはアミール殿下の元に身を寄せられ、王太子殿下のご来駕をお待ちになるのがよろしいかと」


「ああ、あなた方は……アミール様の結婚式で花束を獲った『つがい』ね。ふふっ、ご苦労をお掛けしますが、よしなにお願いしますね」


 妃は、にこやかに口角を上げる。この状況下でこの落ち着きよう、さすがに大物は違うと感心するファリドであった。


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