第112話 救出
「……んっ!」
いつものように短い気合だけで、フェレの魔術は発動する。
一階の廊下を巡回していた看守兵士の手に持ったカンテラが瞬時に消え、看守自身も何かを叫んでいるような動きはするが声を発することができぬまま崩れ落ちた。フェレの「真空」である。
「隠密行動するには無敵の魔術だの。儂も欲しいくらいじゃ」
魔族アフシンが呑気な感想を漏らす間にオーランとリリが奥の看守室に飛び込み、もう一人の当直兵を声も出させず葬っている。
「よし、この階には用がない、上に行くぞ」
そして二階でも、同じ光景が再現した。そしてフェレとアフシンが組んで、囚人の中に探し人がいないか、見て回る。
「……いなかった」
「そうなると、最上階ということになるな。もう一度頑張ってくれ」
「……うん」
◇◇◇◇◇◇◇◇
最上階のしつらいは牢獄というより、宿屋のような風情。床にはカーペットも敷かれ、壁には何やらファリドの知らない絵画が掛かって、薄暗いがオイルランプもともっている。ただし外に面する壁に一切の窓がないことが、ここが宿屋でないことを思い出させてくれるのだ。
一番奥に看守兵の詰所、その手前に扉が三つ。身分の高い者を幽閉する施設だけあって、スペースだけは贅沢に使っている。
「これまでと同じように、看守からやるぞ」
「私たちにお任せを」
そう言って詰め所に飛び込んだリリとオーランは、怪訝な顔で出てきた。
「誰もおりませんでした」
「すると……」
答えは簡単だ。看守が、囚人と共にいずれかの部屋にいるということ。フーリが素早く三つの扉を確認し、右のそれを指さす。そこだけに錠が下りていないということだ。ファリドが一同に目配せしつつ、深呼吸をしながらその扉に手をかけ、一気に開いた。オーランとリリ、そしてフーリがすかさず飛び込む。
「愚かな賊どもめ、動くなっ!」
予想に反して、部屋の中には三人の兵が待ち構えていた。一人は椅子に縛り付けられた中年の男に小剣を突き付け、残る二人は婦人の後ろ手を捩じ上げて、やはり小剣を突き付けている。
「こやつらの命がどうなってもよいのか! 武器を捨てろ!」
「……母さんっ! 父さん!」
フェレが絶望の声を漏らす。剣を突き付けられているのは、まさに母ハスティと、父ダリュシュであった。
脅している敵が一人であれば、フェレの魔術を使えばいくらでもやりようはある。かつてアレフに剣を突き付けていたカシムの手を「氷結」で凍らせたように。しかし今は、三人の敵の動きを同時に封じねばならないのだ。愛する両親の身を巻き込まずにすべて倒す手段は……ない。
フェレは、シャムシールを床に投げ捨てた。ファリドも、オーラン達もそれに倣う。
「そこの魔女はここに来て、床に伏せろ! 他の奴らは動くな!」
「フェレっ、来てはだめっ!」
母ハスティが必死で叫ぶが、フェレはすでに魂を抜かれたようにふらふらと、母に剣を向けている兵に近づいて、抵抗の素振りも見せず床に膝を落とした。
「ふふ……殺れ!」
「っ!」
兵が中剣を抜き、フェレの頭上でそれを振りかぶるのを見たファリドは、飛び出していた。それは「軍師」らしい思慮も計算もない、ただパッションに突き動かされた行為。体当たりを受けた兵はバランスを崩し尻餅をついたが、すかさず剣を逆手に持ち替え、怒りに任せてそれをファリドの背に突き立てようと、大きく振り上げた。
その瞬間。
周囲から、すべての光が失われた。部屋には三ケ所にオイルランプが暖色系の光を灯していたはずだが、それが一斉に消えたのだ。そして訪れたのは、わずかの光も届かぬ、真の闇。夜でも行動できるよう鍛錬されているオーラン達「ゴルガーンの一族」ですら、何も見通せず周囲の気配を探るだけしかできぬ、本当の暗闇だ。
だが、そんな中動ける者が、一人だけいた。いや、「人」をつけるべきではないかもしれないが。
「うっ!」「ぐふっ……」「くそっ! ぐっ……」
暗闇の中で、男達の声が響く。激しい息遣い、何かが床に落ちる音……そして訪れる静寂。
「うむ、灯りをつけてよいぞ、ゴルガーンのしもべたちよ」
その声に合わせるように、リリが手元に蠟燭を灯し、壁のオイルランプを点けて回る。視界が回復したファリド達が見たものは、倒れた三人の兵士と、血濡れた短刀を手にうっそりと佇むアフシン、そして母ハスティと父ダリュシュの、無事な姿。
「……か、母さんっ!」
「フェレっ!」
立ち上がったフェレが、母の身体をぎゅっと抱きしめ……その胸に顔を埋める。そして、小さな嗚咽が、そこから漏れだす。
「……うっ、うっ……母さん……」
ファリドも我に返り、急いで義父を縛っていた縄を切る。
「父上、御無事で」
「まさかこんなところまで来てくれるとは思わなかったのである。君達には戦や謀略とは縁のないところで幸せになって欲しかったのであるのだがな」
「母上や父上がいなければ、フェレは幸せになれないのですよ。でも今回ばかりは危なかった……アフシン殿がいなければ、殺られていたかもしれませんね」
「おお、魔族殿であるな。娘と婿殿を助けてくれたこと、深く感謝するのである」
魔族アフシンが、少し目をみはる。人間……特に上流階級の人間は魔族とみるや怖気を振るい、何の害も及ぼしていないというのに忌避し、迫害するのが常であったはずだが、この中年の領主は、何のこだわりもなく胸に手を当て、魔族たる自分に素直に深い感謝の意を示している。
「この親あって、あの娘あり……であろうの」
あの娘……と呼ばれたフェレは、母の豊かな胸で、まだえぐえぐと泣いているのであったが。
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