第111話 潜入
眼の前には背丈の五倍くらいもあろうかという高い石壁がそびえる。
「面倒なところへ閉じ込められたものよの」
「いやまあ、これを突破する手段はいくつかあるから……」
「ほほう。さすがは軍師殿ということだのう」
アフシンへの返答は強気なようだが、ファリドとしては正直な感想である。
―――むしろ、ここを探り当てる方に骨が折れると思っていたのだが……そこがあっさり片付いてしまったからなあ。
両親の連れ去られた場所を探り当てたのは、ファリドではない。いくら知識があろうとも、調査や探偵のスキルなど持たない彼なのだから。
そう、「ゴルガーンの一族」であるオーランが、王都に潜む一族の者に手を回すと、半日もたたないうちにここが判明したのだ。兄妹のはとこに当たる娘が王太子妃に仕えており、「最近、下級貴族らしい中年の夫婦が軍の監獄に監禁された」情報を伝えてくれたのだ。
「こんなに早くここにたどり着けたのは、オーランやリリのお陰だ。ありがとう」
「しかし、情報の対価は、高くついてしまった。申し訳ない」
オーランの言う「対価」は、カネではない。その娘が情報をくれる見返りに要求したことは、救出作戦のハードルをさらに上げるものだった。
「王太子妃様が同じ監獄に囚われている。オーラン達が仕える主が女神様だと言うなら、私の主も救ってほしい」
リリと並んで石壁を見上げるその娘の要求を、ファリドは二つ返事で飲んだ。
「なに、もともと目一杯危険な作戦なんだ。連れて帰る二人が三人になったところで、大して変わりはないだろうさ」
もちろん戦略的にも、王太子妃を見捨てるわけにはいかないだろう。妃が捕らわれた状況では、第三軍団を率いる王太子が自由にその手腕を振るうことはできないであろうから。
「感謝いたします。妃殿下を救うためならこの身は、皆様の矢盾になりましょう」
「……命を粗末にしては、だめ。みんなで……帰ろう」
いつもぼんやりしている視線を珍しく鋭く変えて、フェレがフーリと名乗ったその娘を叱り、そしてふっと頬を緩める。
「はい……女神様っ!」
何やらフェレが無自覚に、信者を増やしつつあるようであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夜半まで待ったファリド達は、再び石壁の前に立っていた。
「さて……オーラン達にはこの壁を越える業があるのだろう?」
「さすがは主殿……お任せを」
オーランは石壁に背を向けて中腰となり、両手の指を組み合わせて構える。そして、慎重に準備運動を行っていたリリが二十歩ばかり離れたかと思うと、その距離を一気に助走して、オーランが組んだ手の上に飛び乗る。
「ふんっ!」
短い気合の声とともに、オーランが渾身の力をもってリリを上空に投げ上げ、それと呼吸を合わせてリリがさらに高く翔ぶ。そして背丈の五倍はあろうかという石壁のてっぺんにギリギリ手をかけて己の身体を引っ張り上げると。素早く縄梯子を下ろす。
「なんと……さすがだな」
「この高さを跳べるのは、我ら兄妹だけだ」
オーランが誇らしげに口元を緩める。彼の並外れた腕力とリリの軽量かつ抜群の瞬発力だけではこの業はなしえない。血のにじむような鍛錬を積んだことで投擲と跳躍の呼吸を、完璧に合わせることができるゆえだろう。それを理解したファリドは、無言でオーランの背をポンと叩いて、賞賛の意を示した。
オーランをしんがりにして急いで縄梯子を登り、反対側に降りる。軍施設は夜中でも稼働しているが、監獄の周辺は篝火もなく、曇天の今日は、まさに暗闇だ。
「灯りはつけぬ方がよいの。儂の裾にでも掴まって来るがよいわさ」
アフシンに従い、彼を先頭に縦列を組んでごくゆっくり音をたてぬように進み、やがて監獄棟の入口に至る。そこには重厚な木の大扉に、錠が下りている。
「魔術錠ではありませんね。これでしたら、任せてください」
リリが手探りで鍵穴を探し当てると、懐から何か線のようなものを取り出し、コリコリとひそやかな金属音を立てる。やがて何かが弾けるような音とともに、錠は外れた。
「すごいな、ゴルガーンの一族は、盗賊の業も使えるのか」
「兄さんは全然ダメですけど、私は」
「ふん、適材適所ってことさ」
声を抑えながらもやりあう兄妹をほほえましく思うファリドである。
「さて、いよいよ踏み込むとしようか」
◇◇◇◇◇◇◇◇
監獄は石造りの三階建てだ。
「下級兵士は地下、一階は将校、二階は民間人、三階が貴人ですね。妃殿下は三階にいるはずで、ご両親は二階か三階のどちらかにいらっしゃるでしょう」
王太子妃に仕えるフーリがささやく。まったくこのゴルガーン一族の情報収集能力は素晴らしいと、ファリドも感心しきりである。フェレとファリドの苦手とするところを、しっかりとカバーしてくれている。
「看守は何人くらいいるかな?」
「各階に二人と思われます。夜は交代制のようですが、交代時間まではまだしばらく猶予があります」
ファリドはしばらく考え込んだ後、フェレを呼んだ。
「確実に下の階から制圧しないといけない。看守は殺すことになるが……頼むぞ」
「……うん、殺せる。家族の、ためなら……」
そうはっきり答えながらも、フェレの頬から血の気が引いていくのが、暗闇の中でもわかる気がした。
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