第110話 ゴルガーンの一族

「無茶だよ! 兄さんがそんなことを言い出すなんて!」


「ああ、無茶だってわかってる。生きて帰れない可能性は、かなり高いな」


「だったらっ!」


「いや、俺とフェレは、もう行くって決めた。今日限り第二軍団からも抜ける。もともと俺たちは軍籍じゃないから、問題ないよな?」


「う、ぐぐ……」


 淡々と戦線離脱を告げるファリドに、それ以上言うべき言葉を見いだせないアミール。


 一方のフェレは、もっと淡々としたものだ。すでに荷物も整理して、いつもの大ぶりの襟が特徴の濃い赤色に染めたシャツと、黒のボトムスのいで立ちに戻っている。ここのところは「女神」的な演出目的もあって女性らしいワンピースやスカート姿が多かった彼女だが、いち冒険者に戻るなら、やはり動きやすいこのスタイルで決めるのだ。


「……ごめんアミール。だけど、どうしても行きたいの。アレフを……大事にしてあげて」


「フェレ姉さん……」


 アミールも説得を諦めた。フェレの視線はもう彼方の王都に向いていて……もはや彼女を崇拝する第二軍団の者達など、そのラピスラズリの瞳には映っていなかったのだから。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「じゃあ、俺達は出かけるよ」


「姉様、兄様、ご無事で……」


 その眼に一杯の涙をたたえたアレフの見送りを受けて、ゆっくりと馬首を王都に向ける二人と一人……なぜか、魔族たるアフシンが従っている。


「アフシン殿、ここから先は俺達の個人的な行動だし、危険も多いのだが……」


「わかっておるわさ。儂はこっちのほうが面白そうだから、ついていくだけのこと。ここに残っても儂の能力が活かせるところは、もうなさそうだからの」


 本当のところは、この二人が「軍師」らしくもない無謀な作戦に挑むのを放っておけなかった魔族なのだが、年寄りとは素直でない生き物なのだ。


「これからは隠密行動になるから、正直アフシン殿が来てくれるのは助かる……よろしく頼む」

 

 街道から外れ、枝道を行くこと一時間ほど。ファリドの耳が、後方から追ってくる馬蹄の音を捉えた。


「……さっそく、戦う?」


「いや、あの駆け方は、味方だ」


 ファリドの言葉通り、間もなく追いついてきたのは、部族軍を束ねるシャープールだった。従うのは三騎のみ。


「軍師殿、どうしても行かれるのか」


「ああ、中途半端なところで投げ出すようで申し訳ないが、俺たちにとっては王国の行方より、両親が大事なものでな。部族軍も一万五千になった、統率は難しいだろうが、よろしく頼む」


「うむ、そこまで言われては引き留めることも出来ぬが……ならばせめてこの者達を連れて行ってもらいたい」


 そう声を掛けられ前に出たのは、二十歳になるかならぬかと思しき、若い男女。


「この若者達は?」


「軍師殿は『ゴルガーンの一族』をご存じか? その精鋭だ」


 ゴルガーンの一族。その名だけはファリドも知っているが、実態は謎に包まれている。諜報と暗殺を得意とし、要人の護衛に雇われることも多いが、彼らがどこから来ているのかを知るものは少ないという。


「『ゴルガーンの一族』は、我々ファールス族の領域に住まう者達。ろくな作物も獲れぬ山間の村に暮らしているため、出稼ぎで生きる糧を得ねばならぬ。その生業は闇社会のもの……それに耐えうるよう、子供の頃より文字通り血のにじむような体術、諜報術、暗殺術を叩きこまれるのだ」


 追ってきた最後の一騎である、ファールス族の長が言葉を継いだ。


「そんな努力を重ねて一人前になったら従う主を定め、ある者は主の身を守り、ある者は主の邪魔になる者を排除し、別の者は市井に溶け込み主のために情報を集める、そういう生き方をする者たちだ。実のところ、アミール殿下の母上であらせられるアリュエニス王妃も『ゴルガーンの一族』であったのだ。国王陛下に付き従いお守りするうちに、惹かれあったということだな」


「凄い一族なんだな。だが、その貴重な者達を、何も世のため人のためにならないことをやらかそうとしている俺達に、貸してくれようというのか?」


 そう、これからファリドとフェレがしようとしていることは、地方騎士一家の幸せを守ろうとするだけの行為。何の国益にも、つながらないのだ。


「そうだ。我がファールス族を含め部族の者達は皆、アナーヒター女神の化身たる大魔女フェレシュテフ様に従うと決めた。女神の望みをかなえるために働くは、本懐というもの。この二人は双子の兄妹、まだ従うべき主を決めてはいないが、天賦の才を持っている……ぜひ、女神様に仕えさせたい」


「オーランだ」「リリです」


 兄妹おそろいの、茶色の髪に、同じく茶色の瞳。派手さはないが秀麗に整った容姿に、引きしまった筋肉質の身体。闇の世界に生きる者にはとても見えない、美しいが普通の若者だ。


「さらに『ゴルガーンの一族』は、王都のあらゆるところに溶け込んでいる。貴殿らの求める虜囚の情報もきっと得られるであろう。仕える主に背くことはさせられんが、幸いというべきか第二王子の一派には嫌われているからな」


―――だろうな。第二王子は人を信じないという。そんな考えの人間が、暗殺術を売りにする一族の者を、近くに置くわけもない。


「ありがとう、喜んで世話になろう。正直なところ、情報収集をどうやって進めるか、悩んでいたんだ」


 ファリドの言葉に、リリと名乗った娘の頬が嬉しそうに緩む。


「お仕えをお許しくださって、ありがとうございます。全力で女神さ……フェレシュテフ様をお守りいたします、普段は側仕えとして、遠慮なくお使いくださいね」


「……リリ。友達に……なってくれると、嬉しい……」


「くっ……よ、喜んでっ!」

 

 差し出された新しい主の右手を、感極まったように両手でぎゅっと握り込むリリ。仏頂面が通常運転であるフェレの頬にも、桜色が差している。男たちはその姿を、微笑ましい思いで見守っているのだった。

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