第109話 故郷へ帰っても

 王都へ向かう第二軍団を遮る勢力は、すでにない。マハン平原で第一軍団主力は壊滅し、降伏した兵を併せて第二軍団は五万にふくらんでいる。対して王都を守る兵は一万強であるはずで、数の優劣は論ずるまでもない。


「あとは静かに王都に向かって寄せて行って、残敵が内部分裂で自滅するのを待つというのが定石なのだが……」


 再編を終えて進み始めた軍列の中で、ファリドは小さくつぶやく。彼の脳裏に浮かぶ、フェレとアレフを悲しませるだろう一つのシナリオが、現実とならないことを祈りつつ。


 しかし、起こってほしくない予想というのは、往々にして現実になってしまうものだ。


 第二軍団は、マハン平原から一日の行軍を経て、フェレの故郷メフリーズ村へ至った。一時も早く村の様子を知りたいフェレを、なだめつつ……すでに彼女は、敵からも第二軍団の最重要人物とみなされ……つまり暗殺リスト筆頭に上がっているであろうから。


 斥候が村に異常ないことを知らせてきたとたん、まるでリードから解き放たれた仔犬のように、一散に馬を駆るフェレ。こうなったらもう止めようもなく、ファリドも急いで後を追う。沿道に集まる領民達はこわごわと第二軍団の様子を窺っていたが、フェレとファリドの姿を見て、その眼が輝く。


「お嬢っ! お帰りなさい!」「若殿! 生きておられた!」


 駆け寄ってくる彼らの中に、家令たるアルザングの姿もあった。


「ああ、お嬢様、若殿……よくご無事で……」


 その眼が忙しく何かを探す素振りを見せたのを察して、ファリドも口を開く。


「ああ、アレフも無事だ。アミールと一緒にいる」


「おお……良かった、アレフ様をお守り頂き、ありがとうございました……」


 初老に差し掛かった男の眼に、わずかに光るものが浮かぶ。


「ね、アルザング、父さんと母さんはっ??」


 フェレの問いは、いつものもっさりした口調ではなく、切迫している。


「王都の軍に連れ去られました、お嬢様と、婿殿にこれをと」


 答えるアルザングの口調は、重い。彼が精一杯の冷静さで差し出された手紙を、ひったくるように奪ったフェレは、ただでさえ大きな眼をさらに見開きながら読み進める。ラピスラズリの瞳が濡れ、やがて雫が白い頬を伝う。


「……うぅ。母さん……」


 フェレ宛ての手紙は、母ハスティが書いたもののようだ。そしてファリド宛ての手紙は、義父たるダリュシュのものだ。内容は想像がつくが……ファリドは、ゆっくりと封を切り、ベージュ色の素朴な便箋一枚に綴られた、その性格に似合わず意外と几帳面な文字に、目を走らせた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 我が頼れる息子、ファリド殿


 貴殿がこれを読んでいるということは、フェレを守って領地に戻ってくれたのだろう。ありがとう、さすがは理知に溢れる当家の婿殿だ……心より感謝をささげよう。


 私とハスティは恐らく今日明日のうちに、監獄に送られるだろう。そして我々の身柄を質として、アレフやフェレを渡せと迫るのであろうな。もはや奴らには、謀略や脅迫しか手段が残されていないのだろう。王都から出た大軍がマハン平原で一敗地にまみれたという噂は、敗残兵達が逃げ戻ってくるよりよほど早く、ここにも伝わってきたゆえな。


 だが、決して降らせてはならぬ。アレフが降ったとて、格好の人質が増えるだけのこと。


 我々は、ここに残った時から、すでに覚悟を決めている。我々のことは考えず、王都を取り戻すのだ。そしてカイヴァーン殿下に王位を取り戻した暁には……このささやかだが幸せに溢れた領地を、フェレと二人で手を取り合い治めて行って欲しい。いや、何もこの領地にこだわらずともよい……他の国に行ったっても構わん、フェレを、愛しんでくれさえすれば。


 あの子は心根の優しい娘だ、そして他の誰にもない才能がある。だが、あの子の精神はとても細く、危うい。何か支えになるものがなければ、ぷっつりと切れてしまうだろう。かつてはアレフの病を直すという目的にすがっておったが、今はひたすら婿殿に依存しておる。婿殿がいなければ、もうあの子は三日と生きていられまい。


 だから、父として頼む。フェレを、幸せにしてやってくれ。貧しくてもいいのだ、今までひたすら人を愛することばかりやってきたフェレに、愛される喜びを与えてやって欲しいのだ。


 勝手にお願いしてばかりで申し訳なく思うが、私はファリド君のように頼れる若者が婿に……いや息子になってくれて、本当に嬉しいのだよ。短い間だったが、君とフェレが揃って私を父と呼んでくれたことは、無上の喜びだった。


 もう生きて会うことはないと思うが、ありがとうと申し上げよう。そして、さらばだ、婿殿よ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「……う、くっ……ううぅ……」


 母の手紙を握りしめたまま、ファリドの肩を熱い涙で濡らしていくフェレ。


「……母さん……父さん、死んじゃやだ……」


 その細い肩を抱くファリドも、「軍師」に似合わぬ無謀な衝動に捕らわれていた。あのさっぱりとしておおらかな義父と義母は、家族を戦災で失った天涯孤独の自分を、まるでここで生まれた家族のように、自然体で受け入れてくれた。自分は、身元すら確かでない平民だというのに。


「……うっく……ひくっ」


 もう一度しゃくりあげるフェレの顔を上向かせると、ファリドはその頬を両掌で挟む。そして、濡れたラピス色の瞳に、視線を合わせる。


「フェレ。父上と母上を、迎えに行こう。まあちょっと……命懸けになるけど、な」


「………………………うんっ!」


 微笑み掛けるファリドに、恐らく今まで最高の笑顔で応える、フェレであった。

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