第106話 決戦

 マハン平原を、無数の馬蹄から発せられる地響きが埋め尽くす。


 第一軍団は本陣に歩兵中心の一万を残し、三万の騎兵で先制突撃を敢行してきた。中央は最精鋭の正規軍重装騎馬一万騎、左翼に正規軍軽装騎馬一万騎、そして右翼に部族軍の軽装騎馬一万騎。


 最大の脅威はイスファハン王国最精鋭を誇る、重装騎馬だ。その速度と重量で前方の敵を押し潰すように突進するその勢いは、馬防柵や濠でも建設せぬ限り、止めうるものではない。彼らの突撃の前に多くの敵はバターのように中央を切り裂かれ、分断され崩壊するのが常なのだ。


 そしてイスファハンでこの最強兵種が配属されているのは、第一軍団のみ。その一万騎がもたらす戦力はおそらく、軽装騎馬の三万騎にも匹敵するであろう。今日の決戦、彼我の兵力は四万対三万といえど、実際の戦力では決定的な開きがあることを、もちろんファリドは認識している。


「兄さん、重装騎兵が……」 


「ああ、もう少し、もう少し我慢して引きつけるぞ」


「引き付けるって……あいつらに突っ込まれたら、一気に本陣まで潰されるよ」


「そうは、ならないさ」


 アミールの背中を、安心させるようにぽんと叩いたファリドが、右手を上げる。そして重装騎兵が彼我の中間点を越えたのを見て、その手を振り下ろした。


 ファリドの合図に合わせ、赤い煙火が天高く打ち上げられたその時。


 敵右翼の部族軍一万騎が大きく右にふくらんだかと思うと、次の瞬間左に急転回し、重装騎馬隊の右後方から攻撃を仕掛けた。昨夜約した通りに、絶好のタイミングで彼らは動いてくれたのだ。


 重装騎馬は正面からの激突なら無敵だ。そして側面からの攻撃にもその装甲で十分対応することができる。だが彼らは馬にまで着せた重い鎖帷子が災いし、速度を保ったまま軽快に向きを変えることはできないのだ。軽装の部族軍に斜め後方から突っ込まれては、迎撃する手段は限られる。速度を落とさず大きく円弧を描いて転回するか、馬の足を止めて騎士がその槍と剣で応戦するか、どちらかしか選択肢がないのだ。


 彼ら指揮官は短い逡巡の末、後者を選択した。さすがに敵軍三万に対して腹を見せつつ転回するわけには、いかなかったということだろう。重装騎馬隊は前進をやめ、小賢しい反乱部隊を先に懲らしめんと、その矛先を部族軍に向けた。


 が、部族軍は重装騎馬隊とそれ以上交戦することなく駆け抜ける。


「よし、それでいい。部族軍の役目は、重装騎馬隊の足を、止めさせることだけだからな」


 ファリドがアミールに聞かせるように、つぶやく。重装騎馬を無視した部族軍はそのまま、左翼の正規軍軽装騎馬隊に側面から突っ込んだ。


 軽装騎馬隊は正面の敵には強いが、側面からの攻撃にはひどく脆い。そして部族軍は、乗り手には見向きもせず、ひたすら馬を狙って矢を射かけ、槍で突いた。全速前進していた馬が傷付けば、その結果を想像することは容易だ。馬は次々と乗り手を振り落として彼方へ走り去り、落馬した兵の運命は明らかである。正規軍軽装騎馬隊は、初撃で全体の二割が戦闘不能に陥った。部族軍は足を止めることなく反対側に突き抜けて離脱しており、損害はほとんどない。


「よし、フェレ、頼む!」


「……うん」


 いつの間にか戦場の上空には、濃い雲が立ち込めていた。


 よく注意して観察すれば、その雲はまさしく戦場の上「だけ」にかかっていることがわかるのだが、死力を尽くして同士討ちの真っ最中である第一軍団主力がそれに気づかなかったことを、迂闊と責めるわけにはいかないであろう。一時の混乱を素早く収めた有能な重装騎馬隊指揮官は、大音声で命令を下した。


「蝿のようにたかるだけの部族軍には、構うな! 奴らの武装では馬鎧を突き破ることはできぬ! 迷わず前進して敵本陣を断ち割り、反逆の盟主アミールを討ち取れば我らの勝利なのだ! 全隊、全速前進せよ!」


 おそらくその命令は、指揮官に与えられた選択肢の中では、最も適切なものだったのだろう。しかし一旦完全に足を止めてしまった重装騎馬は、その重量が災いして再加速に時間がかかる。そしてその時間は、フェレの魔術を完成させるに、十分なものだった。


「……ふぅ、ん!」


 いつもより苦しげに、フェレが気合いの声を上げた瞬間、それは起こった。


 一条の稲光が虚空を斜めに走ったかと思うと、重装騎馬隊の先頭に掲げられた旗印に轟音を立てて突き刺さり、騎兵ともども黒焦げにする。そしてその災厄は、一撃では済まなかった。いつの間にか厚みを増してほとんどまっ黒になった上空の怪しい雲から、ひっきりなしに雷光が閃いては、その度に野戦無敵であるはずの重装騎馬兵を、数十騎単位で打ち倒していく。そう、彼らは駆る馬も含めて全身が金属で覆われているのだ……彼らが頼るその装甲は電撃をひきつけるだけのものとなり、そのまま彼らの棺桶となった。


 自軍が恃む精鋭が理不尽な力に為すことなく倒されていく光景を呆然と馬を止めて見ているだけであった左翼軽装騎馬兵達の耳に、不意に鬨の声が響く。一旦離脱したはずの部族軍が、陣形を整えて再度突撃してきたのだ。


「我々にはアナーヒター女神のご加護があるぞ! 今こそ勇戦し、女神に感謝を示すのだ! 者ども、突っ込め! 敵は棒立ちだ、討ち取り放題ぞ!」


 マシュハド族長の檄が飛ぶ。彼の言葉通り、足を止めてしまった騎馬兵など、歩兵よりも弱いものだ。そして敵は眼の前で演じられたフェレの神業に度肝を抜かれ、戦意を失っている。第二軍団側に寝返った部族兵達の戦いはまるで、草を刈るがごとく容易であった。

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