第103話 これも、粒?

 諦めのため息を深くついたファリドは、熱にうなされる若者の包帯を解き、足の傷を診る。しかし赤黒く変色した足に、彼は一瞬でその表情を深刻なものに変える。


「これは……ひどいな。完全に化膿してしまっている。こうなる前に足を切断する必要があったと思うのだが?」


「うむ、今となっては貴殿の言う通りであったと認めざるを得ないのだが……我々騎馬を生業とする部族にとって足は命そのもの。切るのをためらっているうちに、もはや手遅れになってしまったわけなのだ」


 ファリドの言葉に、若者の父であり族長の弟だという男が、悲し気な表情で応じる。彼も、手遅れだということを承知しているのだ。


―――なんとかしてやりたいが……これは難しいな。恐らく細菌が、全身に回っている。


 その程度の知識であれば、ファリドの読んだ書物の中に記されている。ただ、そこに書かれた治療法は、この時代では実現しえないものだ。いにしえの頃にはカビだの虫だのから採ったエキスを投与して、悪い菌だけ殺して身体は生かすような技術があったとされているのだが……もはやそれは失われて久しい。


 そして「女神」として当てにされているフェレが持つ治療の能力は、魔力を他者に生命力として与える業のみ。ファリドも瀕死の重傷をクーロスに負わされた時、フェレのお陰で生命をつなぐことができた。但し、それはあくまで「死なないようにつなぐ」術であって、「治す」ものではないことも、ファリドはよく理解している。その他にフェレが使えるのは「粒」を操る魔術だけ……さすがに人間の治療には、向かない魔術といえよう。


―――ん? あれも「粒」か? いや、もしかして?


「フェレ、試してみたいことがある、ちょっと来てくれ」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ファリドは、自分の左手首をフェレの眼の前に静かに差し出した。青く太い静脈がそこには浮き出している。


「なあフェレ、これは何だ?」


「……血管だね。中には血が流れている」


 いくらフェレでも、冒険者としてそのくらいの知識は持っている。そんな初歩の初歩をわざわざ聞くファリドに、首をかしげる彼女である。


「うん、そうだ。フェレはあの赤い血が、たくさんの粒で出来ているのを知っているか?」


「……知らなかった。あれも、粒なの?」


「赤い粒や透明な粒、いろんな粒が液の中に散らばっているという感じなんだが……その『粒』を感じて欲しいんだ。フェレの力なら、できるだろう?」


 フェレの「粒」に対する認識力は規格外だ。何といっても雲や砂であれば何億何兆個という「粒」をすべて認識し、意のままに動かせるのだから。しかし今ファリドは、直接血液を彼女に見せているわけではなく、あくまで身体の外から血球を認識せよと要求している。


 そんな高度なことが本当にできるのかと言う思いはもちろんあるが……その思いをフェレに気付かせてはいけない。愛する男の……ファリドの絶対的信頼があると思えばこそ、人知を超えた「粒」認識力と魔術制御力を振るえる、フェレなのだから。


「……うん、やってみる。ふぅ……これは粒、粒……」


 フェレはファリドの腕を取り、その手首のあたりに頬を寄せる。眼を閉じ、静かに呼吸しながら、何かを探っている。そのまま、しばらく刻が流れる。


「……わかった気がする。三種類くらいの粒が、リドの血の中にたくさん散らばっている」


「フェレは凄いな。血球が大きく分けて三種類だなんて、教えてなかったのに」


 さりげなく褒めると、いたく満足そうな表情を浮かべるフェレ。さすがにここで「なでなで」や「ぎゅっと」を要求することはしない……彼女も一応上流階級の末端にいる者、TPOというものをわきまえているのである。


 だが、ファリドの驚きは、押し隠してはいるが大きい。フェレの並外れた「粒」に対する認識力は、実際にそれを視界に入れずとも血球を「粒」としてきちんと意識できているのだ。


―――これなら、俺の考えていることも、できるのではないか?


◇◇◇◇◇◇◇◇


 先ほどからフェレとファリドが眼の前で繰り広げている妙なやり取りに、族長たちは不審の思いを禁じ得ないらしい。こそこそとシャープールになにやら話しかけている。


「シャープール殿、あのお二人はいったい、何をやっているのだ?」


「神ならぬ私が、女神様の奇跡を説明できるわけもない。だが、フェレシュテフ殿に依りし女神は、どうやら完全に覚醒してはおられぬらしい。であるから誰かが女神に、道を示すことが必要となるようなのだ……その役目は女神様が最も信頼している男であるファリド殿、我が軍師しか出来ないというわけでな」


「信じる男のために奇跡を起こす女神様とは……なかなかに愛すべき神のようだな」


 シャープールが実にテキトーなストーリーをでっちあげるが、男系社会である部族軍の長たちには「女神にも、頼る男が必要」という説明が、うまく刺さったらしい。なぜか納得して、成り行きを見守ってくれる心持ちになってくれたようである。


 そしてファリドはいよいよ、熱に浮かされる若者の傍らに、フェレを導いた。


「よし、じゃあ次が本番だ。この若者の血に存在する『粒』の中に、俺の血に無い『粒』があるはずだ。それを見分けて欲しい、できるな、フェレ?」

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