第102話 女神の証明

「ふむ、シャープール殿、卿は我々に、第二軍団へ降るべきと言う。だが第二軍団の盟主アミール殿下もれっきとした王族だ。我らに対する感情は、あのキルスとそう変わらないのではないかと思うが?」


「私も初めは、そう思っていた。だがあの殿下は違う、先日の戦勝でも我ら部族長の手を取り、一人一人に熱く感謝の弁を述べられたぞ。王族といえども、あの方は信じられるはずだ」


 ここまでの問答は、当然想定済みだ。第二王子キルスとアミールの上に立つ者としての器は、比較するまでもない。問題は、その次だ。


「なるほど、卿の言を是としよう。しかしシャープール殿は、第二軍団にアナーヒター女神の化身たる乙女が在るとも仰せられる。さすがにこれには我々も、疑いの眼を向けざるを得ない」


「そうだ、尊い女神の御名を簡単に語るべきではないぞ!」


 族長たちから上がる疑惑の声も、もちろん想定の範疇だ。シャープールは落ち着いて、天幕の隅で所在無げにちょこんと立っているフェレを振り返る。


「皆がそう言うのではないかと思って、女神様に同道をお願いしたのだ。紹介しよう、このお方だ……現世ではフェレシュテフ様と名乗られており、第三王子妃アールアーレフ殿下の、姉君にあらせられる」


 大げさに名指しされたフェレだが、瞬き一つしただけで頬の筋肉すら動かさない、安定の仏頂面である。


「ふむ、確かに神秘的な容貌をお持ちのお嬢さんだが、このお人がアナーヒター女神様の化身であるというのは、どのような根拠で申されるのか?」


 その言葉に我が意を得たりとばかりにシャープールが立ち上がり、熱弁を振るい始める。


 あのルード砦を砂に埋めたかと思えば、たちまちそれをすべて空に舞わせ、竜に変えた恐るべき砂の魔術。森を丸ごとひとつ包んであらゆる方向から風を吹かせ炎を煽り、一万の兵を翻弄した、想像を絶する風の魔術。そして、遥か彼方より雲を呼び寄せ、戦で焼けた野原に慈雨をもたらした、優しき水の魔術。


 こんな想像を絶する魔術が、水と生命を司る清浄の女神アナーヒター以外に、現出させられようかと。ルード砦に遣わされた部族軍五千はみなこの奇跡を目の当たりにし、皆このフェレシュテフ様を、尊崇しているのだと。


 居並ぶ族長たちは普段は冷静なシャープールに似合わぬ熱弁に驚いてはいるが、その表情には懐疑の念が強く浮かんでいる。彼が虚言を弄するような男ではないことは知っているとしても、あまりに荒唐無稽な話である。眼の前にいる小娘が、彼が語る奇跡をなしうるとは、とても思えないのだ。


「落ち着かれよ、シャープール殿。貴殿が話されたことが事実ならば我々もこのお嬢さんをアナーヒター様の眷属と認めざるを得ないが、そのような大それた魔術、さすがに信じられないのだ。自分の眼で確かめぬ限りは、な」


「貴殿らの前で、やって見せればよいと言うのか?」


 憤然とするシャープールを制して、フェレがクールな表情のまま、静かに言い放つ。


「……風の魔術ならすぐ出来る。だけど、この天幕が吹っ飛ぶ」


 族長たちはちょっと鼻白んだ様子で、しばらく言葉を失う。やがて沈黙を破って、もっとも年かさの男が、口を開いた。


「誇り高きブワイフ族長の息子シャープールは、誠実な男だ。虚言ではなかろうが、やはりその言が壮大すぎて信じられぬのも正直なところだ。それを証明してくれるとありがたいが、ここで大風など起こして騒ぎになると正規軍に嗅ぎつけられる。儂に考えがあるのだが、向こうの天幕まで、同行願えるだろうかな?」


 何が待っているかはわからないが、ここまで来たら、断る選択肢はない。意を決して、一行は天幕を出た。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ファリドたちがいざなわれた天幕は、傷病兵のためのものであるらしかった。


 そこには一人の若い男が、寝台に寝かされていた。足に包帯を巻いているが、怪我自体はさほど重症には見えない。むしろ酷い発熱が、彼の生命を脅かしているようだ……顔色は赤黒く、額には汗の玉が流れている。


「この若者は?」


「ここに居る、マシュハド族長の甥にあたる者だ。鋭い岩を踏み抜き足に傷を負ったが、どうやらそこから悪いものが入り込んだようで、全身に毒が回ったような状態でな」


「それで、フェレシュテフ様に何をせよと?」


 シャープールが問う。極めてマズい方向に話が展開しかけていることを彼も気付いてはいるが、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。


「女神アナーヒター様は水だけでなく、生命を司られるお方。この娘さんが女神の化身であれば、前途ある若者を病から救うことが出来るのではないかな? それが出来た時には、儂も貴殿の言うことを信じ、このお方に従おうぞ」


 フェレが女神だなどと決して信じてはいないが、万にひとつの望みでもという切なる願いが、年かさの長の眼に湛えられている。シャープールは当惑しつつ、フェレとファリドの方に視線を向けた。


「フェレシュテフ様、ファリド殿……かくいう仕儀になってしまったのだが……」


 予想外の状況にうろたえ気味のシャープールだが、彼が縋るフェレは、やけに落ち着いてファリドに一言。


「……ねえ、どうすればいい? 教えて、リド?」


―――やっぱり、俺に丸投げか!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る