第101話 マハン平原

 マハン平原は、丈の短い草がまばらに生える、見通しの良い草原地帯だ。アミール率いる第二軍団は、ここで初めて第一軍団の主力と対峙している。


「ファリド兄さんの予想通り、決戦はここだったね」


「ああ。だけど、誰が予想しても、ここしかないと思うよ」


 王都に短時日で戻れる距離と、主力である騎兵の機動力を活かせる地形。ファリドの言う通り、軍事知識を持つ者に問えば十人中六~七人は、ここマハン平原を挙げるだろう。


「まあこの時間になると、開戦は明朝になるよね」


 アミールがつぶやく。すでに太陽は地平線に半ば以上没している。これから戦端を開いても、騎兵が自由に疾駆するわけにはいかない。特殊能力を持った歩兵の工作に注意する必要はあるが、恐らく今夜の戦闘はないであろう。


「ああ。だから俺たちはシャープールの勧めに従って、今晩敵陣にお邪魔するつもりだ」


 そう言いながらフェレの方を振り向くファリドに、アミールが気づかわし気な視線を向けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「それでは参るとしようかの。軍師殿は儂の腰帯でも掴んでついてきてくれればよいわさ」


 山羊のような角を二本、その白髪頭から覗かせた魔族アフシンが、吞気そうに声を上げた。この男の能力は一つ、夜目が利くことだけとされている。ちょうど新月にあたり、まさしく真の闇夜を行くファリドたちにとって、彼の助力が必須なのである。


 アフシンの後ろにファリド、彼の手をぎゅっと握って離さないフェレ、そしてブワイフ部族軍の長シャープールが続く。


「それにしても、わざわざ開戦前夜に敵陣に出向くとは、主らの物好きも極まれりだのう」


「俺だって危ない橋を渡りたくはないのだが、シャープール殿が是非にと言うんだ」


 やや呆れたような突き放したようなアフシンの感想に、真面目な答えを返すファリド。


 本音を言えば、ファリド自身は危ない橋を渡ることを何とも思わないが、フェレを危険にさらしたくないということなのだ。だがそれを言えばこの皮肉屋の魔族にからかわれるだけだということもわかっている彼は、あえて口にしない。


「軍師殿やフェレシュテフ様を巻き込んで済まないと思っている。しかし、どうしても第一軍団に組み込まれた部族軍を説得したいのだ。王族同士のくだらぬ権力争いで、恨みがあるわけでもない地方部族同士がぶつかるなど無意味。可能性がある限り彼らをこちら側に、降らせたいのだ」


 シャープールはすでにフェレを呼ぶに「様」付けだ。


「だが、フェレを連れて行けば、彼らが納得するのかな?」


 シャープールはかねてより懇意にしていた族長と、小鳥を使った原始的な通信でやりとりし、離脱を勧めていた。その族長は、であればシャープールが崇める「女神」を同道させて長たちを説得すべきだと忠告したのだという。配下の部族軍がフェレを崇拝している思いの強さがいまひとつ理解できないファリドは、疑問を呈してみる。


「わからん。だがもはや、アナーヒターの化身たるフェレシュテフ様に、縋るしかないのだ」


「彼らが、第二軍団の最終兵器であるフェレを捕え、正規軍に引き渡して手柄にする可能性もあるだろう?」


「部族軍と正規軍の溝は深い。そのようなことはないと言い切りたいところだが……万一の際には私がこの身にかけて血路を開こう」


 シャープールの決意は固い。そしてファリドも、部族軍の置かれた過酷な状況を考えれば、彼らを寝返らせられる可能性が決して低くないことを承知している。明日の戦闘でも、彼ら一万の部族軍は、十分な援護もないままに先頭を切って突撃させられるはずであろうから……不満は、爆発寸前のはずだ。


 小声で会話を交わしながらも、彼ら四人の足はまるで日中の行軍の如しである。アフシンがその夜目で確実に障害物のないところを選んで進んでくれるので、三人は足元に注意を払わず歩くことができるのだ。


 そして歩くこと一時間半。暗闇の中にいくつもの天幕がかすかに見える。少し離れた正規軍の天幕周辺には煌々とかがり火が焚かれているが、部族軍はひたすら静かに明日を待っているかのようだ。


―――彼らの微妙な立場と心境が、こんなところにも現れているようだな。


 虫の鳴き声のごときキチチッという音がシャープールの唇と歯の間から発せられると、どこからともなく二人の兵が現れ、彼ら四人を部隊中央の、ひときわ大きい天幕にいざなった。部族軍が彼らを鏖殺しようと思ったら逃げ場がない位置取りだが、もはやファリドも覚悟を決めている。万一の時にフェレに発動させる魔術まで、すでに指示が済んでいるのであるから、その「万一」にならぬよう、ベストを尽くすのみなのだ。


 天幕の中には、ごく控えめな灯りが灯され、十人ほどの男が座っている。おそらく、彼らが各部族の部隊を率いる者たちなのだろう。そのうちの一人、頭に茶色の布を巻き、見事な口髭を蓄えた男が、声を抑えつつ口を開いた。


「久しいなシャープール、先日は鬼神の如き活躍をしたと聞いたぞ、さすがと言うべきか。久闊を叙して一杯やりたいところだが今宵ばかりは時間がない、早速だが卿の勧めるところを、族長たちに示してもらいたい」


「うむ、望むところだ」

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