第92話 砂が降ってくる

 やぐらの上に自然体で立つ若い女。王都でファリドに買い与えられた濃い青のワンピースをまとった、フェレの姿である。いつもの軽快なパンツルックからわざわざ着替えて登場したのは、少しでも「大魔女」っぽく見えるようにという、演出の都合である。


「第一軍団の者たちよ、聞け! ルード砦はもはや陥落を免れ得ぬ、それはなぜか? 我が第二軍団に、王都ギルドで名高い『大魔女』殿が居られるからである!」


 この呼びかけはアミールの副官、ファルディンによるものだ。さすがに「大魔女」の名には、砦内の兵も、ざわついた。


「『大魔女』だと!」

「火竜をもう何体も倒しているとかいう、あれか? 本当なのか?」

「手も触れず人を焼き殺す術を持っているとも聞くぞ!」

「結婚して田舎に引っ込んだとか聞いていたが……?」


 これまで呼びかけに関心を示していなかった兵たちが、彼方に立つフェレの姿を見んと、次々城壁に登ってくる。


「遠くてわかりにくいがまだ若い、よく見るとかなりの美人ではないか?」

「そりゃ、アミール殿下が溺愛中であるアールアーレフ妃の実姉だそうだからな。そっくりの姉妹だとか」

「なんだか魔術師らしくないな、杖も持ってないし」

「小娘じゃないか。あんな奴に何が出来ると言うんだ?」


 賛否両論だが、一見魔術師に見えないフェレが自分達に脅威をもたらすとは考えていないらしい反応、これはファリドも織り込み済みだ。実力を示してやるしかあるまい。


 フェレがシャムシールをすらりと抜き、その切っ先を砦に向ける。その姿を見て守備兵たちはまだがやがやと騒いでいたが、ふと背中に感じる陽射しが弱まったのを感じて周りをきょろきょろ見回し、やがて上空を見て文字通り仰天した。


 砦の真上に、赤茶色の雲がかかっていた。それは時を経るごとに濃さを増し、やがて陽光をほとんど遮って、城壁の中はまるで夕刻のような薄暗さになりかけている。


「シャープール様、これはいったい……」


「むっ……これは雲……ではなく、砂か!」


 城壁の上にいるシャープールの見た通り、それは砂であった。ルード砦の周囲は一面の赤茶けた乾燥地帯。この砂が、なぜか砦の上にだけ、浮遊しているのである。砂の雲はますます濃く厚く、もはや太陽がどこにあるのか見通すことすらできない。


 そう、これもフェレの魔術である。無限に存在する赤茶色の砂を、砦の上空に集めて、静止させているのだ。一体何億何兆個の砂粒なのか想像もつかないが、フェレにとって一粒一粒が小さければ、数はいくら多くても制御が可能なのだ。


 だが本来楽勝であるはずの魔術を展開中のフェレは、なぜか苦しんでいた。その右腕をぷるぷると震わせ、脂汗をこめかみから滴らせていることに気づいたファリドが、慌てて声をかける。


「フェレっ! どうした? さすがに砂の量が多すぎたか?」


「……リド、も、もう筋肉が目一杯……」


 何とフェレは、決して軽量とは言えないシャムシールを砦に向け水平に維持した姿勢のまま、ずっとこらえていたのである。剣を前方に向けろと言うファリドの指示はあれど、いつ降ろせという指示は、なかったからだ。砂粒のコントロールに魔術を展開中だから、身体強化も使えない。まさに過酷な筋トレブートキャンプ状態に陥っていたわけだ。いくら愛する男の指示を絶対に守るフェレといえど、ここまで融通の利かない忠犬ぶりであったかと、あきれながらも愛しさがこみ上げるファリドである。


「くくっ、もう腕は降ろしていいぞ……そして、ゆっくり砂を降らせるんだ」


「……ふぅ、頑張った。褒めて欲しい」


 フェレが頑張ったのは、ファリドが期待も予想もしていなかった、筋トレだったのだが。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 上空を覆う赤い砂の雲から、少しずつ砂粒が砦に降ってくるのに気付いた第一軍団の守備兵たちの反応は、当初のんきなものだった。


「砂が……降ってきたな」


「まあ、あれだけ集まれば、多少落ちてくるだろうよ」


 しかし、ものの十分もしないうちに砂の落ちる勢いは増し、やがて視界はかすんで、二十メートル先も見えないような多さになった。しかし、降砂の勢いはあくまで静かだ。音もなく深々と降り続いている。そして早くも地面には砂が降り積もり、すでに靴先が埋まり足が取られるほどの深さに至っている。


「おい、これは、マズくないか?」


「いや、確かにマズいが……どうすればいいんだっ?」


 砦に砂が降り積もるのは、珍しいことではない。この地域では毎年春になれば季節性の強風が吹いて砂嵐を巻き起こし、一晩もたてばこんもりとあちこちに砂だまりができるものだ。しかし、今眼の前で降る砂はひたすら静かに、砦の中には見事なほど均等に平等に降り積もっているが、城壁を一歩出た先には、一粒たりとも落ちてこない。そしてこれだけ地上に砂を落としても、上空にある砂の雲は存在を薄めるどころか、むしろ重く濃くなっているように見えるのだ。城壁に守られていたはずの兵が、徐々に騒ぎ始める。


「し、シャープール様……我々は、いかがすれば?」


「大丈夫だマーニー、敵には我々を皆殺しにしようという意思はないはずだ。こんな恐るべき力を持つ術者にその意思があったならば、すでに我々の命はないであろうからな。となれば我々がどうすべきかは明確だ、すぐ他の部族軍族長達を集めよ。正規軍には気づかれずに、な」

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