第93話 静かな圧力、そして暴発
「兄さんは、これだけで敵が降ってくると言うのかい?」
アミールが不思議そうな表情を浮かべながら問う。
「ああ、確実とは言えないが。アミールが殺すな壊すなとか無茶を言うから、こんな手しか取れなかったわけさ」
ファリドが皮肉をまじえて返す。二人はフェレの居るやぐらから十歩ほど引いたあたりで、城壁に立つ兵たちが右往左往するのを眺めているのだ。
そしてフェレにいたっては無意味な筋トレから解放され、やぐらの上に兵士たちが運んだ椅子にゆったりと腰かけ、女性兵士の給仕で紅茶などたしなんでいるところだ。もちろんそうやっている間にも、砦の上空に在る砂の雲は、さらに厚みを増している。すっかりリラックスして余裕たっぷりの様子を見て、ファリドも安心する。
「しかし、そんなに効くものなのかな? 言うなれば砂がゆっくり降ってくるだけだろ?」
「アミールの言う通り、直接的に命の危険を与えるものではないな。だが、心理的圧迫効果は大きいぞ。こっち側で見ていたらわかりにくいが、砦の兵士からしてみたら、理不尽で圧倒的な力が自分たち『だけ』に砂を降らせ陽を遮っている……城壁を一歩越えたら平穏な世界だというのがわかっているわけだから、孤立感が募るわけだ」
「うん、兄さんの言うことはわかる」
「そして、足元から本当に少しずつ……だけど確実に自分たちの領域を埋められていく恐怖。よく真綿で首を絞めるとかいうけど、あれだ。籠城兵たちは自分たちが捨て石だって認識しているから士気は低い、遠からず使者を送ってくるさ」
「心理的圧迫か、なるほど……でも兄さん、圧迫に耐えかねて暴発、城門を開けて突撃してくるって可能性はないかな? そうなると結構被害も出るよね」
アミールは明らかに、この義兄との知的会話を楽しんでいる。初めて身近に得た、気さくに何でもしゃべれる……アミールが熱望していた相手なのだから。
「ああ、その通りだな。破れかぶれで突撃されるとマズい。だが今回は心配しなくていい。斥候情報では敵七千のうち五千は、部族軍だというからな。彼らが俺たちと和議を結んでくれるだろう」
アミールが、少し疑問に首を傾げつつも、嬉しそうに笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ルード砦司令部の重厚な木製の扉がギシギシときしみながら開いて、ブワイフ族の族長が副官と従卒を伴って入室してくる。もっとも、扉が開くまでに兵士たちが必死で砂かきをしたわけであるが。
「これはシャープール殿、いかがされた」
黒々と立派なひげをきちんと刈り込んだ正規軍の司令官が、不機嫌そうに迎える。
「司令官殿、現在の状況を正確に把握しておられるだろうか」
「言われるまでもないわ」
のっけから非友好的な応酬が続くが、正規軍と部族軍の間柄は、常日頃からこんなものである。
「敵の術者が持つ力は、我々の想定を超えるものだ。本気を出されたら一瞬で全滅する、ここは和議、いやもはや降伏を申し出るべきではないだろうか」
「いやはや、勇猛をもって鳴るブワイフ族の次期族長たる者が、そのような怯懦の言をなすとはいかなること。一戦もせぬうちに敗北を口にするなど、戦神ウルスラグナに恥じるところはござらぬのかな?」
シャープールの進言に鼻を鳴らし、ここぞとばかり嘲りの言葉を浴びせる司令官。正規軍の将校たちには、かつては激しく戦った相手である部族軍に対し、根強い不信と差別意識があるのだ。自制心のあるリーダーであればその思いを押し殺して協調に努めるのであろうが、この司令官は小人であるらしい。
「いくら戦神とて、犬死にを嘉せられるものではないだろう。では司令官殿、この事態を打開する作戦がおありになるのか? それともルード砦を囲む高い城壁の内側が全部砂で埋まるまで、座して待たれるのか?」
シャープールも上官に対する礼節は守りつつ、語気を強める。彼とて部族を率いるものとしての誇りがある。挑発的な司令官の言いざまに、不快感を隠せない。
「城門を開けて突撃だ。部族軍五千が敵中央に突っ込み、正規軍二千は後詰とする」
「なんと? 四倍の敵に正面から突っ込めば、全滅しますぞ?」
「我々の使命は第二軍団を足止めすること。それが叶わぬ場合は少しでも奴らの兵力を削ることだ。敵の驚くべき魔術のせいで持久戦が望めなくなったとするならば、正々堂々と決戦するのみだ」
正々堂々とはよく言ったものだとシャープールは呆れる。結局は、潜在的な敵である部族軍を体よく壊滅させ、あわよくば第二軍団に少しでも被害を与えようという、極めて虫の良い言い分だ。
「そのような、部下を無駄に死なせる作戦に従う気はありませんな」
「貴様! 命令違反は死罪だぞ!」
もう話すことはないと席を立ったシャープールに向かって、司令官が長剣を抜き放ち、大振りの斬撃を送る。
「愚かな……」
軽く飛びのいて鈍重な攻撃をかわしたシャープールのシャムシールが電光のように閃き、司令官の手首を鋭く切り裂いた。彼がさらに流れるように二人を倒す間に、随伴してきた副官が二人を切り伏せ、従卒は建物を出て魔道具による烽火を打ち上げる。
「もはや隠忍自重は終わりだ! ルード砦はこれより部族軍が支配するぞ!」
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