第81話 考えるファリド
難題の解決をファリドに丸投げしてすっきりしたらしいフェレはアレフと二人、美しい姉妹愛の世界に埋没中である。そしてファリドの上には、重い重い宿題が、ずっしりとのしかかっている。
少し離れたところから、アミールの副官ファルディンが気づかわし気な視線をちらちらと向けてくるが、ファリドの苦しい心境を忖度したのか、遠慮して近付いてこない。
―――まずはとにかく、落ち着け、落ち着くんだ。
さすがに焦りを禁じ得ないファリドだが、焦りは思考を鈍らせるものだということも十分知っている。今にも弱気に陥りそうな自分を叱咤し、無理にでも気を鎮めるべく何度も深呼吸をする。
―――今のところ、食料の問題はない。そして、この丘陵地帯を慎重に進む限り、追っ手に発見される可能性も低いはずだ。すなわち、水さえ確保すれば何とかなる。
ここまでは、多少の経験さえあれば、誰でも到達する結論だ。おそらくファルディンも似たような思考までは、たどり着いているであろう。だがこの乾ききった土地で、どうやって最大の難関である「水の確保」を為すのか……その命題に対しては「軍師」ファリドと言えども、まったく有効なアイデアが浮かばないのである。
再びこみ上げてくる焦りを鎮めようと、フェレ達が潜む大岩の上に一人登って座り込み、やがて仰向けに寝転がっては、空を見上げながら呼吸を整える。真上には抜けるような青空が広がっているが、王都の方角である西の空には、いくつものひつじ雲が浮いている。
―――あの雲に乗って移動できたら、あっという間にザーヘダーンに着けるのになあ。いかんいかん、また現実逃避して、出来もしない思考をしてしまう。雲なんてなあ……ん? 雲? もしかして?
「フェレっ!」
その時、突拍子もない思考が彼の脳内に閃いた。ファリドは大岩からまるで落ちるがごとく飛び降りると、フェレの名を叫んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「……どうしたの?」
フェレが怪訝そうに眼を細める。
「ほら、あそこの空に見えるものは、何だ?」
「……ひつじ雲、だね?」
「そうだ、雲だな。雲は何からできているか、フェレは知っているかい?」
「……知らない。教えて欲しい」
そんな雑学が、今我々の置かれている危機と、何の関係があるのだ。普通の人間であれば、いらだちと不信とともに、そう返すところであろう。
だが、フェレは言うなればファリド教の「信者」だ。ファリドの言うこと為すことには一つ一つ必ず意味があると、信じ切っている。
「故郷の村で、魔術で霧を集めたことがあっただろう?」
「……うん。細かい水の粒がたくさんあるんだってわかったら、動かせたし、集めたら水に戻った」
二人で魔術を創りあげた記憶が蘇ったのか、フェレの頬が桜色に染まって少し緩み、可愛らしく口角が上がる。
「空に浮いている雲も、実はあれと同じなんだ。白くて大きな塊に見えるけど、細かい水……というより氷かな、その粒がたくさん集まったものなんだ」
「……そうなのか。びっくりしたけど、リドが言うのなら、信じる」
そこまで言ったところで、何かに気付いたように、フェレがその大きな眼を少し見開く。
「……あれが粒の集まりなら、引き寄せて集めれば、水が……手に入るということ?」
「そうだ。但しあの雲はここから十キロメートル以上西にあるし、高さも五キロメートルくらいの上空にある。普通の魔術師には遠すぎて手も足も出ないが、フェレが持つ規格外の魔力をもってすれば、できるはずだ」
そう、フェレは「褒めて伸びる子」。だからファリドは決して「できるのか?」とは言わない。「フェレならできる」と言い続けて、ここまでその能力を伸ばして来たのだ。
だがそのファリドにして、今回ばかりは少々……どころか完全に、無理筋だと思っている。自分達の周囲を取り巻いていた霧を操った時と違って、はるか彼方上空の雲中にある何億何兆個という水の粒を意識して念動魔術で動かすなどというのは、さすがにクレイジーな発想だ。
そうは考えても他に手段がない、ダメ元だろうが何だろうがトライしてみようというのが、ややヤケクソ気味になったファリドの心境だ。これまで何度も「フェレならできる」という言葉を信じて、あり得ない魔術を現出してきた彼女だ。その可能性に自らと仲間の運命を、生死をかけてみようと。
「……わかった。リドができると言うなら、私は……できる」
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