第79話 東へ

 ファリドとフェレの準備に掛かる時間は、ごくごく短かった。ほんの先日まで冒険者として旅してきた二人は、元のいでたちに戻るだけなのだから。


 フェレはタイトにフィットするボトムスに大ぶりの襟が印象的なシャツ、その上に革のジャケットを羽織っている。王都のマリカが経営する服飾店で、ファリドに初めて買ってもらったコーディネートだ。今や有り余るカネを持っているはずの彼女だが、相変わらず外で活動するときには、必ずこのスタイルに着替えるのだ。


 よく見ればアレフも、全く同じデザインの服をまとっている。彼女にとってこの無口だが凛々しい姉は、憧れの存在……その姿を模倣したいというのは、当然の心理だろう。


 但しその色は全く違う……姉の黒髪、妹の銀髪にトーンを合わせるかのように、フェレは緑や紺、そして赤といった濃色のみでまとめ、アレフのそれは空色や繭色、生成り色と言った淡い染色がなされている。マリカの見立てであろうが、姉妹が並び立つと見事なコントラストが映える。


―――また、マリカの店に貢献しちゃったみたいだな。本当は、フェレの結婚式に使う服も、あつらえたかったところだけど、しばらくは無理か。


 そんな呑気なことをわざと頭に浮かべるファリドである。緊急の時ではあるが、焦りはろくな結果をもたらさない。意識して思考にゆとりを持たせているのだ。


「母さん、元気で」「……」


 そしてフェレとアレフが、両親と抱擁を交わす。ひょっとすると最後になるかも知れない抱擁を。気丈に見えたアレフも、眼に涙をためている。


「アミール殿下と仲良くね」「ファリドくんを大事にするのである」


 短いが感慨のこもった別離の言葉を背に、姉妹は愛馬の背に身をゆだねる。思いは尽きないが、いつ王都から兵が追ってくるかわからない状況なのだ。


「それでは、出発しますぞ」


 アミールの副官ファルディンが、抑えた声をかけて先頭に立った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 男二人は、轡を並べながら相談している。何しろじっくり話を詰めている時間がなかったのであるから。


「ファルディン殿、まずはどこへ向かうつもりなんだ? 第二軍団の一番近い基地と言えば……」


「いえ、小規模駐屯地の兵たちについては、すでに引き払い本部に合流する命令を出しています。私達も本部基地のあるザーヘダーンまで、一気に向かいましょう」


 ファリドは一瞬驚いた表情をするが、すぐに理解する。


「そうか、アミールはもはや、内戦も覚悟しているということか……」


「ええ。おそらく第二王子キルス殿下は、王都近郊を担当する国軍第一軍団を掌握するでしょう。第二軍団はアミール殿下の下にまとまるでしょうから、衝突は必至。小規模の基地に兵を置いても、第一軍団の大軍を迎えては各個に撃破されるのみ。それであれば最初から放棄して、一軍にまとまって対抗すべきと」


「なあファルディン殿、第二王子と言えどそんなに簡単に第一軍団の指揮権を奪えるもなのか? 王太子を差し置いて」


 このへんは、宮仕え経験のないファリドにとって、理解しにくいところだ。


「ですから、王太子殿下が西方視察に出たところを狙ったのでしょう。これはまさに、クーデターというべき動きですからな。当然国王の印綬なども、彼らの手に落ちたと考えるべきでしょう。国王印の捺された書面で命令されたならば、軍人としてはそれを拒めません」


「そういうものか。では第二軍団の長に国王の命令書が下ったならどうだ? 『抵抗をやめてアミールを差し出せ』ってな?」


「いえ、そこは懸念に及ばぬかと。この数年アミール殿下は第二軍団と苦楽を共にし、将校から末端の兵まで完全に掌握しています。もはや殿下の私兵のようなものですので、そこは安心してよいでしょう」


 副官ファルディンが破顔しつつ答える。主君の統率力を信頼しきった表情だ。この冷静で謹厳な男が言うのであれば信頼してよいであろうと、ファリドは割り切る。


「しかし、ザーヘダーンまで行かねばならないか……遠いな。五百キロくらいある」


「真っ直ぐ行ければ、ですな。追っ手もかかりますし、逃げ隠れしながら進むとすると、馬を使っても一週間以上は見るべきかと」


「楽しくない未来図だな。まあとりあえず、追いつかれるまでは街道を走るとしようか」


 そう言いながら、ファリドは後方の二人を振り返る。アレフは乗馬に熟達しているとは言えないが、姉と初めての旅が楽しくて仕方ないらしく笑顔を浮かべて、時折フェレに何やら話しかけている。一方のフェレは安定の仏頂面、何を考えているか読み取れない表情で馬を走らせているが、アレフに眼をやる瞬間だけは、その眼と口元に優しい笑みが浮かぶ。


―――いやはや、遠足みたいだな。まあ緊張するより、いいかも知れないが。

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