第75話 花束の行方

 まだ少女かとも見える若い女が、男に手を引かれつつ神殿からゆっくりと現れると、待ち構えていた参列者が一斉に歓声を上げる。


 ここは、王都のカーティス教本部神殿。童顔の若い女は、見事なつやのある銀髪にサファイアの瞳、ツンととがって小さく整った鼻、そして薄い唇に今日は紅を引いている……美しく装った、アレフだ。


「たった今、国王ケイホスローの子にして第三王子アミールと、アフワズ騎士ダリュシュの娘アールアーレフの婚姻は成った。若い二人への祝福と、カーティスへの感謝を!」


 初老の枢機卿がその小さな体に似合わぬ大音声で宣言すると、人々の歓声はいや増し、控えていた弦楽隊が、民族音楽を一斉にかき鳴らし始める。


 幸せに頬を染めるアレフの装いは、この国の伝統である極彩色に染めた民族衣装ではなく、ここ十数年の間に若者の結婚式で流行りとなっている、西方から伝わった白を基調としたドレスだ。本来であれば花嫁のドレスは純白であるのが西方のスタンダードなのだそうだが、ファリドのちょっとしたこだわりで、薄桃色と薄紫を筋状にすうっと流した瀟洒な染色柄が斜めに施された、東方から取り寄せた最高級絹地で作られている。控えめなデザインながら上質の宝石を惜しげもなくあしらったアクセサリー類も含め、今日の装いを誂えるために役人の年収に近いような金額をつぎ込んでしまったが、ファリドとフェレは毛ほども後悔していない。


 常日頃から生命を狙われており不特定多数との接触を避けたいアミールだが、結婚式だけは派手にやる仕儀となった。身分の低い騎士の娘を正室とすることを、あまねく知らしめることが、王位への野心なきことを示すために、必要であるからだ。参列者は国王夫妻をはじめ、二人の兄も含めた王族、高位貴族、王都の有力商人・・結局のところ五百を数えた。


 式場たる神殿を警備するため、アミールが所属する正規軍軍団から多くの兵が派遣されているが、神殿の境内はややカオス状態だ。これを奇貨として王太子たる第一王子、そしてアミールを害しようという者が暗躍するかも知れず……参列したフェレとファリドは新婦の姉兄という立場もさることながら、ボディガードとしての役割も担わざるを得ないのであった。


「……怪しいのは、いない?」


 相変わらず索敵に関しては、全部ファリドに丸投げのフェレ。


「今のところは、な。だが……さすがにこれだけ人がいたら、簡単にはわからないよ」


「……そうか。それにしても……今日のアレフ、綺麗……」


 フェレの言葉に少しうらやむようなニュアンスを感じて、ファリドは意外な思いに捉われる。華美に装うのは、あまり好きではないと思っていたのだが……


「俺達の結婚も、あんな風に派手にやりたいのか?」


 そう、結婚を約したこの二人は、アレフ達に先を越されてしまっている。どう見てもアミールの状況を考えるとこちらの結婚のほうを急ぐ必要があり、その準備にここ数ケ月追われて、自分達のことについては意識が至らなかったのである。


「……いや……あんな大げさなのは恥ずかしくて……無理。うちの館で普段着で、領民に囲まれてするのがいい。確かにああいうのも、素敵だなとは思うけど……」


「じゃあ、結婚式とは別に、綺麗に装ったフェレを絵師に描いてもらおう。それなら記念に残るだろ?」


「……いいの? もったいなくない?」


「ああ。一生に一度なんだぜ」


 無言で頬を桜色に染めているフェレを愛しく思いつつ、ファリドは周囲への警戒を怠らない。と、招待客の視線を追うファリドの感覚に、ふと引っかかる違和感があった。


「フェレ、あの男、ポプラの樹の左側にいる……東方風の服を着た奴に注意だ」


「……わかった」


 その男は少しづつ、にじり寄るように王族の集まる席に近づき……やがてその手に光るものが閃いた。


「フェレ、『氷結』を!」


 フェレが短い気合を発すると、男は自分の手に発生したヒヤリとする違和感に戸惑ったような表情を浮かべ……やがて苦悶しながら自らの腕を抱え込むように倒れた。周囲の者が驚き駆け寄ると、その腕はまるで氷漬けになったかの如くカチカチに冷え固まり……動かぬ手には何やら毒物を塗ったらしい小さな刃物。警護の者達が慌てて男を引き立ててゆく。


「申し訳ございません、『軍師』殿と『大魔女』殿のお手を煩わせてしまいました。しかしファリド殿、あの男にどうやって眼を付けられましたのか?」


 警護の指揮を執っていた、アミールの副官ファルディンが問う。


「簡単さ。視線を花嫁花婿に向けていない奴を探していただけだからな。あいつの視線は、王太子殿下に向いてたぜ」


「なるほど、参考にいたします」


 副官はどこまでも謹厳な態度で頭を下げた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 盛大だがやや物騒な結婚式も、終わりに近づいた。


 「氷結」で暗殺者の企図を砕いたフェレは、その後さらに彼方の屋上から遠矢で王太子を狙ったらしい刺客を「真空」で無力化していた。王太子の立場が如何に危険なのか、ファリドにもようやく実感が湧く。その危険を承知していながらも、弟の晴れ姿に立ち会うべく無理をして列席したこの王太子も、豪胆かつ家族思いと言うしかないであろう。


―――まあ、これだけ片づければ……もう襲撃はないだろうな。


 そして……セレモニーの最後に、花嫁が手にした花束を宙に放り投げるという儀式が行われる。これも最近西方から伝わった習俗で、落ちて来る花束をキャッチした娘が、次に結婚できるのだという。花嫁の近くには高位貴族の娘たちがわらわらと「次の花嫁」になるべく集まる。古今東西、若い娘はこの手の神秘的なゲン担ぎが大好きなのである。


 アレフが、その細い腕からは想像できないほど高くまで花束を投げ上げたその時、神殿の境内に突如として強烈な風が吹いた。淑女たちがベールやスカートを押さえる間に、花束は待ち受ける貴族の娘達から逸れて飛んで……会場の隅に立つフェレの手に。


「フェレお前……普通、こんなしょうもないとこに魔術を使うか?」


「……だって、どうしても……欲しかったから」


 上目遣いで見つめるフェレの真剣さに思わずグッときて、その脂肪の薄い身体を力一杯抱き締め……そして口づけてしまったファリド。脇役の二人が演じる意外なフィナーレに、参列者たちは笑い声をあげつつ、惜しみなく祝福を送ったのだった。




◆◆◆作者より◆◆◆


ここでいったんお話は区切りなのですが、なろうでの投稿がこちらに追いついたので、ゆっくりですが更新再開します。よろしければご覧ください。

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