第68話 入り浸る王子
嵐のようだった激動の昼食が終わるなり、執着溺愛王子はアレフをしっかり捕獲して、今は庭のテーブルで、シロップのように甘ったるい二人の世界にどっぷり漬かって、何やら熱っぽく語りかけている。
「なるほど、ようやくアミール王子殿下の目的が分かったのである。それにしても、あれほど王子殿下がアレフに執着しているとは、意外だったのである」
「本当ね。女は愛される人のところへ嫁ぐのが一番幸せとはいうけど……さすがにそのお相手が王子殿下じゃあ、いろいろ慣れない苦労をすることになりそうね。あの子の楽天的な性格に、期待するしかないわ……」
グイグイ来る王子に驚き戸惑いながらも、どうせ断れないだろうと割り切った、領主夫妻のぼやきである。もちろん二人とも、アレフが愛する者と結ばれること自体は、嬉しく思っているのだが。
「で、やっぱりあの調子のいい王子殿下は、我が家にお泊りになるのであろうかな?」
「そうみたいね。あの様子じゃ今晩にもアレフのベッドにもぐりこみそうな勢いだけど、さすがに客用寝室は別にきちんと用意しないとね。ファリドくんを追い出しちゃうことになるけれど……」
「なんの、婿殿なら心配ないのである、フェレのベッドで寝ればいいだけなのであるから。だいたい、いまだにフェレと寝室を分けているのが、律儀すぎるのである。冒険者としてのこの一年ちょっと、ずっと同じ部屋で寝んでいたわけであるのになあ。あのくらいの年ならば、あたかも覚えたての猿のようにであるな……」
母ハスティがトレイを振り下ろしたバコッという音で、品のない方向に行きかけた領主ダリュシュの言葉は、断ち切られた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ダリュシュに言わせると「調子のいい」王子のお陰で、根菜類のスープを中心とした質素な夕食の席も、実に楽しいものだった。
アミール王子にしてみれば目当てはアレフだけで、両親はともかく他の家族などどうでもいいはずなのであるが、遠慮して口数が少ないファリドと、遠慮していなくても口数が極めて少ないフェレにも気を遣って、いろいろ話題を振ってくれる。執着王子のくせに、気配り王子でもあるのだなと、ファリドは感心しきりである。黙っていても周囲がひざまずき持ちあげてくれる身分に生まれながらこの性格に育つとは、なかなか貴重な例と言えるであろう。
「明日はぜひ、義兄上と剣のお手合わせを願いたいですね。そして何より、王国随一とも噂される義姉上の魔術を是非ご披露頂きたいのですが」
―――王国随一か。おそらく今となっては、間違いないだろうな。
独力で火竜をも倒したフェレは、王都ギルドにおいてはすでに英雄級魔術師に近い扱いを受けている。アミールもその評判を聞いているのだろう。だが、ファリドはフェレの本質を知っている。いくら強力な魔術を身に付けようが、フェレの内面は、まだ頼りなく危うく、物慣れぬ少女。ファリドが進むべき道を示して、初めてその力を発揮できるのだ。
「……こんなこと言ってるけど、どうする?」
よく考えると実に無礼極まりないフェレの発言であるが、当の王子はそんなことを気にせず、ひたすら眼をキラキラさせている。余程、フェレの魔術が見たいのだろう。
「うん、アミール殿下は軍人でいらっしゃるのだから、軍事にも使えるような魔術がご覧になりたいんだろうね。だから水無川まで行って、『砂』を見せて差し上げようか」
「……ん、リドがそう言うなら」
二人のやり取りを、アミール王子が興味深げに見ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
男性陣からの食後酒の誘いをやわらかく謝絶すると、王子は早々に寝室に引っ込んだ。
「まあ今晩、アレフと『いたす』気満々なのであろうなあ……」
父ダリュシュとしては、何かと複雑である。ほとんどノーアポに近く押しかけた挙句に、ずうずうしく家に上がり込み飯を食い、あげくの果てには愛娘すら美味しく頂こうとしている「調子のいい」王子だが、決してイヤな感じを受けないのだ。むしろ結構、好感を抱いていると言ってよい。
「仕方ないわよね。アレフもいいって言ってるんだし。それに、騎士階級の娘が王子殿下の正室なんて、普通だったら絶対にありえないことなんだからねえ。アレフは病床で恋物語ばかり読んでいたから、夢見がちな娘に育ってしまったけれど……その夢が実現しちゃうってことも、あるのよねえ」
母ハスティは、ことここに至ってはもはや前向きに、娘の恋を応援するつもりのようだ。さきほどこっそりと、何やら「夜の心得」のようなものをアレフにささやいていたのを、ファリドは見逃していない。
「お陰で、ファリドくんをフェレのベッドに追い出しちゃったけれど……まあ、二人にとっては、いつも通りのことよね」
「はぁ、まあ……」
そう、ファリドとフェレはここ一年以上、宿を取れば一部屋で一緒に寝んできた。だがしかし……想いを伝えあっているはずの二人の間には、未だにキス以上の出来事はない。
ファリドが度々サインを送っても、フェレが完全にスルーしているのだ。
フェレが鈍感なのか、純情なフェレを傷つけないようにファリドが婉曲な表現を使ってしまうのがいけないのか……いずれにしろ、何もないのである。浮気すら許さぬ家宝のピアスを着けているがゆえ、若いフラストレーションを悪所で発散することもままならず悶々とすることもあるファリドなのだが、この夫婦は勝手に、二人が「とっくにデキている」と思い込んでいる。
「ちょっと二階は壁が薄くて、いろいろ聞こえちゃうかも知れないから、あなたたち二人は、ほどほどにね」
―――だから、してないんだってば……。
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